東京六大学野球のOBは、現役時代にどんなことを考えてプレーしていたのか。各世代のOBの方々にリレー方式で繋いでいただきならが、語って頂きます。30代の二人目は末定英紀さんからご紹介いただきました、2001年度秋季東京大学主将、井出庸生さんで…

東京六大学野球のOBは、現役時代にどんなことを考えてプレーしていたのか。各世代のOBの方々にリレー方式で繋いでいただきならが、語って頂きます。30代の二人目は末定英紀さんからご紹介いただきました、2001年度秋季東京大学主将、井出庸生さんです!

・名前:井出庸生(いで・ようせい)
・出身校:東京大学(私立武蔵高校)
・卒業年度:2002年(平成14年)
・ポジション:ファースト
・卒業後の進路:NHK記者、衆議院議員

--思い出に残っている試合とその理由

 2001年秋、シーズン開幕週の9月9日、東大法政2回戦。当時4年生だった私は主将だったが、東大は春全敗。代打専門の、私の出番も少なくなっていた。秋開幕カードの法政戦も、大差で連敗濃厚となった最終回、代打に。夕方、雨雲がかかっていた神宮は暗かった。相手投手はマウンドに上がったばかりだったせいか、ノースリーに。そこから2球、速いストレートを、ボール気味の球も含めて振ってみたもののカスリもしない。「五里霧中」という言葉が浮かぶ。6球目、とにもかくにもとバットを振ったら、打球は、雨でぬれた神宮の芝を滑るようにセンターへ抜けていった。代走を出され、私は、ニコリともせずベンチに戻った。実はこのヒット、私の神宮初ヒットだった。ベンチでも、笑顔の仲間は誰もいない。それだけチーム状態は悪かった。ただ、次打者に送られる声援は、ひときわ大きなものとなった。そんな中、何人かの同期が、皆、次の打者に視線を向けながら、握手や、黙って背中を叩いてくれた。絶望的な状況でも「このままでは終わらない」「最終シーズンはまだ始まったばかりだ」そんな、チームメイトの気持ちを感じたひと時だった。

--母校野球部の一番の魅力

自由と自主性を重んじること。全体練習の時間が短く、自分で考えて練習できる時間が十分に与えられていた。また、授業に応じて、練習に参加する時間を午前か午後で選択できるなど、個人の裁量が大きい部だった。一方で、ノウハウの不足や、真面目すぎる選手の体質、リーグ戦で負けがこむ厳しい現実の中で、自由と自主性を存分に活かせていたかというと、悔いもある。

--実は好きだった母校以外の六大学野球部とその理由

5大学の特に守備。試合前シートノックの、流れるようなボール回しに憧れていた。一方で、上下関係の厳しさや、体育会系的な組織力の強さに、疑問と若干の恐怖を感じることも。

--東京六大学野球の魅力

最高峰の舞台であること。6大学野球・神宮を目指す理由は、選手一人ひとり様々だが、チーム内での厳しい競争があり、憧れの神宮のグラウンドに立っても、他校との厳しい戦いがある。また、1年生から試合に出続ける選手もいれば、私のように、公式戦経験が少ない選手や、マネージャーや学生コーチとして裏方に回る選手もいる。神宮は、すべての選手が、最高峰を目指した努力や想いが詰まっている。選手たちの夢や希望、挫折など、様々な想いが織りなす最高峰の舞台を、一人でも多くの方に見ていただきたい。

--現役選手へのメッセージ

野球に集中し、ベンチ入り、公式戦出場、レギュラー奪取、試合での活躍など、それぞれの目標を一心不乱に目指してほしいです。個人の努力の末にチームの勝利があり、また、ともに努力を尽くしたチームメイトが裏方に回ることが、チームに一層の勇気を与えます。一人一人が最高峰を目指した努力の結晶が、チームを強くし、選手を強くする。だから、ただただ、野球に打ち込んで欲しいと思います。また、6大学野球が終わった後の人生も、一人一人、様々ですが、長い人生でも切磋琢磨できるよう、他校の選手とも交流を重ねていただければと思います。頑張ってください。