日本サッカー界も、歴史を重ねてきた。だが、それ以上に長いのが、中国の歴史である。紀元前から続く歴史だ。蹴球放浪家・後藤…

 日本サッカー界も、歴史を重ねてきた。だが、それ以上に長いのが、中国の歴史である。紀元前から続く歴史だ。蹴球放浪家・後藤健生にとって当然、中国もフィールドワークの一環である。まるで14世紀に建てられたようなスタジアムが、中国・広州にあった。

■14世紀に建設されたような「古いスタジアム」

 さて、ソウル五輪予選で広州に行ったとき、広州のことを何も知らずにブラブラしていて偶然この越秀公園を見つけ、博物館を目指して坂道を登って行きました。

 すると、「鎮海楼」のすぐそばに古めかしいスタジアムが存在するのを発見しました。

 越秀山の斜面が観客席になっています。とまり、谷の地形を利用したスタジアムです。スタンドには屋根も付いていませんでしたが、ゴール裏にはかなり大きな本部の建物が建っており、そこも「鎮海楼」と同じような赤い塗装で、まるで14世紀に建設されたスタジアムのように見えました。

■国立競技場は「幕府の弾薬庫」だった

 実際には建設されたのは1926年。かつては広州を代表する陸上競技場でした。1980年には「広州国際大会」で日本代表も試合をしたことがあります。

「清」王朝の時代には、現在越秀山体育場がある場所は弾薬庫だったそうです。

 弾薬庫というのは爆発事故が起こる可能性があるので、世界中どこに行っても、こうした谷間に置かれることが多いのです。

 現在、東京の国立競技場が建っている場所も江戸時代には幕府の弾薬庫(焔硝蔵)だった場所です。国立競技場のメインスタンド側には渋谷川という川が流れており(現在は暗渠化。原宿のキャットストリートの下を流れ、渋谷駅の南で地上に出てきます)、谷になっていました。バックスタンド側の台地とは約7メートルの高低差があり、谷地形になっていたのです。

■ストイコビッチ監督が率いた「広州のチーム」は

 2017年に川崎フロンターレの試合を見に広州を訪れたときに、僕は「南越王墓」を見に行きました。王墓は1983年に発見されたものなので、前にここを訪れたときには博物館は存在していなかったからです。

 王墓を見学してから、僕は越秀山に行ってみました。「そうだ、越秀山体育場はどうなっているんだろう?」と思って見に行ったのです。

 ソウル五輪予選が行われたのは1987年に建設されたばかりの「天河体育中心体育場」でしたし(2017年の川崎の試合も同スタジアム)、2010年には広州で第16回アジア大会が開催され、8万人収容のオリンピックスタジアムも建設されました。

 だから、「古い越秀山体育場がなくなっちゃうんじゃないか」と心配だったのです。

 でも、越秀山体育場は元気に改修中でした。ピッチも新しく作り直しているようでしたし、スタンドには屋根も架けられ、青いプラスチック製の個席を取りつけ中でした。

 青のチームカラーは、中国超級聯賽(スーパーリーグ)所属で、不動産会社がスポンサーとなって広州に移転してきたばかりの「広州富力足球倶楽部」のものです。広州富力では、その後ドラガン・ストイコビッチを監督として迎えたこともありましたが、親会社の経営難のために2023年には解散してしまいました。

 越秀山体育場は、これからどうなってしまうのでしょう? いや、かつてはアジアに覇を唱えた広州恒大も2部相当の甲級聯賽に降格してしまいましたが、中国のサッカー自体、どうなるんでしょうかねぇ……。

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