福部真子の競技人生は「山あり谷あり」の連続だった photo by Murakami Shogo福部真子インタビュー(前編)【日本選手権4位でまさかの代表落ち】 女子100mハードルは、2019年に6年ぶりに競技に復帰した寺田明日香(パソナ…
福部真子の競技人生は「山あり谷あり」の連続だった
photo by Murakami Shogo
福部真子インタビュー(前編)
【日本選手権4位でまさかの代表落ち】
女子100mハードルは、2019年に6年ぶりに競技に復帰した寺田明日香(パソナグループ、現・ジャパンクリエイト)が19年ぶりの日本記録更新、日本女子初の12秒台に突入したことを契機に、一気に進化し始めた種目。その後、寺田の背中を追う好敵手が台頭し、12秒台に続々と名を連ねているが、そんななか、記録面で一気に突き抜けたのが福部真子(日本建設工業)だった。
実業団選手として5年目を迎えた2022年に日本選手権を初めて制覇すると、夏のオレゴン世界選手権では予選突破を果たし、準決勝で12秒82の日本記録をマーク。帰国後、9月の全日本実業団選手権でその記録を12秒73まで伸ばし、翌年のブダペスト世界選手権の参加標準記録(12秒78)まで突破と日本のトップハードラーに成長した。
だが、周囲からの期待が大きく寄せられて迎えた2023年は、思わぬ展開が待ち受けていた。6月の日本選手権で3位以内に入ればブダペスト世界選手権代表に入れる状況だったが、決勝では4位に終わり、まさかの代表落ち。その衝撃は大きかった。
福部はその時の心境を今、こう振り返る。
「勝たなければ、という気負いは特別なかったんですけど、12秒73を出した実力を示さなければという使命感というか......。13秒0でダメというわけではないのですが、13秒0もかけてしまう走りをしちゃいけないのでは、というように考えていました。
12秒7台前半のタイムは、私のなかではやはり速い記録であり、そのレベルの選手であり続けたい思いは強かったと思います。12秒台(で走れること)が定着していた自信はあったので、12秒8台前半や12秒7台後半の記録は調整しなくても走れるくらいのレベルでないと日本記録の12秒73が幻になってしまうという気持ちになっていました」
【突き抜けた故のプレッシャー】
2023年の日本選手権を迎えるにあたり、福部は世界選手権参加標準記録を突破している唯一の選手だったため、照準は8月の世界選手権に定め、6月の日本選手権はその過程の大会として捉えていた。4月の織田記念は予選で12秒95と順調なシーズン序盤だったが、寺田や前日本記録保持者の青木益未(七十七銀行)以外にも、3大会連続の12秒台で記録を伸ばした田中佑美(富士通)に加え、清山ちさと(いちご)も5月に12秒95を出していた。参加標準記録突破でなくとも、世界ランキング(ポイント制)による世界選手権出場の可能性を秘めた選手も増え、福部が代表の座をつかむには、日本選手権で「3位以内に入ればいい」というシーズン当初の状況から、「確実に3位以内に入らなければならない」状況に変わっていた。
「昨年は日本選手権も6月上旬開催と早かったので、12秒台の選手が増えてくるとは思っていましたが、5人になることは想像していませんでした。自分のなかで12秒9で走れる感覚はあるけど、6月上旬の時点で12秒8台以上を出すことはあまり現実的ではないという気持ちが正直ありました。私自身の照準はあくまで8月でしたが、他の選手は6月に合わせているのも分かっていたので、『12秒9台でも3位以内に入れないかもしれない』というプレッシャーに急に襲われました」
大会前日の記者会見に呼ばれた福部は、「プレッシャーがある」という言葉を口にして落ち着かない雰囲気を見せていた。
「落ち着きがないどころではなかったですね。全然眠れないし、吐きそうにもなりました。だから余計に青木さん、寺田さんを尊敬しました。特に青木さんはずっともう最前線で、毎回、代表の座をしっかり取っていく。経験の差が出ているなと思いました」
それでも6月2日の予選と準決勝は、12秒99と12秒97のトップタイムで通過。福部は1本目から12秒台で入ることを世界と戦うための必須条件と捉え、それを国内でも実践する必要性を感じていた。「国内でできないことを『世界選手権やオリンピックで予選からできますか』という話」というのが理由である。
だが、日程面の綾もあった。日本選手権は、世界選手権のように準決勝と決勝が同日実施ではなく、決勝が予選・準決勝の翌日の夜。そのことが緊張を増幅させた。
「前日に12秒を2本そろえた体の負担もそうですが、みんなが予選と準決勝を抑えていることが分かったので、他人を気にしてしまいました。『寺田さんと青木さんが勝負強い、残りは1枠』と考えた時に田中選手も安定していたので、結構メンタルが持っていかれてしまいました。
本当に初めての感覚で、心ここにあらずというか、集中したいけど邪念が入ってくる。いつもなら体の細かい部分まで神経が行き届いて走りの感覚もミリ単位で分かったりするけど、その感覚がまったく入ってこない。もう頭の中が真っ白でパニックになっていました」
2023年の日本選手権は4位で世界陸上代表を逃すことに
photo by Nakamura Hiroyuki
【実力の見極め方の気づき】
福部は全国中学校大会の四種競技で日本一に輝き、高校時代は100mハードルで1年時から三連覇という偉業を成し遂げた。大学時代、実業団選手になって以降は苦しんだ部分もあるが、2022年に見事につき抜けたことで、周囲は再び福部を評価する傾向にあった。しかし本人は2023年の失敗、自身の現在地を冷静にとらえていた。
「やはり経験の少なさですね。私はずっとトップにいたのかというとそうではありません。トップにいたのは高校までで、その後しばらく時間が経ってからいきなり日本のトップに立ち、日本記録も出した。これまで記録保持者になったことはなかったので、なった直後は『インターハイ三連覇よりも楽だな』と思っていたんです。でも少し時間が経つと、考えていた感覚とはちょっと違うことを2023年に身をもって感じさせられました」
もし自己ベストが2022年の世界選手権で出した12秒82のままだったら、そこまでプレッシャーを感じることはなかったという。
「その前の青木さんの日本記録は12秒86だったから0秒04差しかなく、私の記録も『また抜かれる』と考えたと思います。でもいきなり73までいってしまったので」
大きく抜け出してしまったからこその苦しみ──その記録が偶然ではなかったことを証明しなければいけないという気持ちだけが強くなっていった。
「順調にいき過ぎていたからこそ、大事なところを見落とすことがあったと思います。あの(日本選手権)後、7月にヨーロッパで4レースに出たときに気がついたのは、私はいつも海外選手の自己ベストばかり見ていたことです。でも実は12秒5の自己ベストの選手はどんな時でも(12秒)8か7で走ってくる。一方の私は12秒5だけを目指していた。一番大切なのは12秒7をどんな時でも出すところまで作っていかないと、いいコンディションに恵まれた時に(12秒)5は出せないと頭が切り替わってきました。
私の73はグラウンド条件などいろんな要素が重なってポンと出ただけで、本来の力は12秒9。それが今の自分の実力と考えたらちょっと気が楽になりました。『ここから少しずつ上げていけばいいんじゃん』と。一気にジャンプアップではなく、コツコツやっていくことが大事だなっていうことが腑に落ちて、今の自分にできることは何回も失敗することと思いました」
福部の競技人生は、中学時代から振り返っても山あり谷あり。「沈んでは上がって、上がっては沈んでまた上がってきた」と言う。沈んでも絶対に上がってくるメンタルの強さは福部の真骨頂とも言える。
「悪い時は『今は落ちる時だな』と切り替えて取り組めるようになりました。それが、この冬期練習を通して、だんだん整理されてきたという感じです」
後編に続く
【Profile】福部真子(ふくべ・まこ)/1995年10月生まれ、広島県出身。府中中(広島)→広島皆実高(広島)→日本体育大学→日本建設工業。中学3年時に全国中学校大会の四種競技で優勝、高校時代は100mハードルでインターハイ3連覇を達成するなど、世代のトップハードラーとして台頭。大学時代は最初の2年間は自己記録を更新できなかったが、3年目以降に徐々に記録を伸ばし始める。実業団ではシーズンごとに浮き沈みがあったが、5年目の2022年に日本選手権初優勝、初の世界選手権(オレゴン大会)出場を果たし準決勝では自身初の日本記録更新を果たし、同年9月には現在(2024年3月14日現在)も日本記録である12秒73まで記録を伸ばした。