第3回卒業生対談に登場するのは、仙葉遼輔(国教4=秋田南)と周旻朗(国教4=香港・セントステフェンズカレッジ)の男子エペ陣だ。最大のライバルであり、最強のパートナーである2人。会った瞬間から両者ともに「負けたくない」と闘志を燃やしていた一…

 第3回卒業生対談に登場するのは、仙葉遼輔(国教4=秋田南)と周旻朗(国教4=香港・セントステフェンズカレッジ)の男子エペ陣だ。最大のライバルであり、最強のパートナーである2人。会った瞬間から両者ともに「負けたくない」と闘志を燃やしていた一方で、日本語での会話もままならなかった周に仙葉が手厚い指導を施すなど、常に一番近くでお互いの成長を支えてきた。男子エペのエース・中本尚志(スポ1=山口・岩国工)が不在の中、全員が200%の力を発揮し劇的勝利を収めた最後の早慶戦は、今も多くの部員の心に残っていることだろう。

※この取材は2月18日に行われたものです。

※周選手は9月卒業のため、今春までプレーする予定です。

「(日本語を)一番教えてもらったのは遼輔」


一本勝負を制した最後の早慶戦で、お互いの健闘を称える仙葉(右)と周

――今回の対談では、競技人生も全体的にこう振り返っていただきたいなと思います。まずおふたりがフェンシングを始めたきっかけをそれぞれ教えていただいてもいいですか

仙葉 フェンシングを始めたきっかけは、兄と姉がいて、2人ともフェンシングをやっていたので、自然と自分もやるのかなというふうに思っていて。同じものをやってみたいみたいな、早く同じところに行って練習に参加してみたいな、という気持ちがあって始めました。

――時期はいつ頃でしたか

仙葉 小学校1年生の時に始めました。出身が秋田県なんですけど、秋田市に当時クラブチームが2個くらいあって、小さい頃にフェンシングを始める環境が整っていたので、スムーズに始められたのかなと思います。

 そうですね、僕の場合はもっと単純な理由なんですけど、かっこいいなあと思っていて。小3の頃ですかね、もともとアニメとかが好きなんですけど、剣とか銃とかに興味があって、フェンシングでは剣が持てるじゃないですか。それで面白いかなと思って始めました。小学生の時にちょうど勉強する機会があって、小学校にチームがあったので、そこから始めました。

――その中でも専門種目としてエペを選ばれた理由はなんでしょう

仙葉 僕は、めっちゃ短く言えって言われたら、勝てる可能性があったのがエペだからです。日本だと、フルーレが1番競技人口も多くて、小学生とかから始める子だとフルーレから入る子が多いんですよ。僕も始めた当初はフルーレから入って、 高校3年生まではフルーレをメインでやってたんですね。それで1つ高校生の時の目標として、インターハイに出るっていうのがあったんですけど、フルールではインターハイになかなか出られなくて。エペもなかなか出られないなってなってたんですけど、高校3年生の時にチャンスが来て、そこで出ることができて、インターハイでもそこそこ運良く勝ち上がれて。それでやっぱり、やるんだったら結果を出せそうな方でやらないと、勝ちたいし、勝たないと楽しくないよね、アンソン。

 うん、アスリートはみんなそう思います。

仙葉 そう、やっぱり自分の中では、長くやってきた分フルーレを頑張りたいっていう気持ちもあったんですけど、そこは現実を見ながら、大学ではどっちか一本に絞るっていうことだったので、絞るんだったら、周りからも向いてるって言ってもらっていたので、 エペで頑張ろうと思ってエペに決めました。

――エペを専門にしたのは本当に最近だったのですね。ちょっと意外でした。エペが得意な理由はどこにあるとお考えですか

 1番は、身長が周りと比べても高くて、あと自分で言うのもあれなんですけど、腕も長いんですよ。身長の高さと腕の長さってだいたい同じぐらいって言うと思うんですけど、たぶん身長よりだいぶ長いんですよ。あとは、僕が通っていたクラブチームには高校生の時までずっとお世話になっていたんですけど、そのクラブチームに、エペで本当にすごかった指導者とかも何人もいて、それも1つの転機だったのかなって思います。これだけ強い先生が(エペの方が向いていると)言うんだったらそうだろうみたいな。

――なるほど。アンソンさんはいかがですか

 僕の場合はコーチの影響でした。香港の小学生はフルーレしかできなくて、そもそもエペとサーブルがなくて。今はあるんですけど昔はなくて、それで僕はフルーレから入りました。中学校まではずっとフルーレをやっていたんですけど、コーチ自身もエペ陣だったということもあって、コーチに「エペの方が向いてるんじゃない」って言われて。じゃあそうしようかなと思ってそのままエペに転向しました。別に深く考えてはないです。

――エペの方が戦いやすいのは何か要因があったりしますか

 そうですね、フルーレは結構きれいな動きが求められていて、みんなテクニックがすごいんですよ。でも自分はそういうのがあんまり向いてなくて…。自分は動きがめちゃくちゃ固くて、悪くいうと「固い」んですけど、良くいえば「みんなが慣れてない、変な動きをしている」というタイプの選手なので、エペの方が自分のペースで試合ができているというところが、1番活かせるんじゃないかなと。フェンシングの人生ももう終わりがけなんですけど、最近ようやく気付きました(笑)。

――そうだったんですね。おふたりとも長くフェンシングを続けられていますが、進学先として早稲田を選んだ理由を伺ってもいいですか

仙葉 私はですね、兄と姉も早稲田大学のフェンシング部で、兄の方がだいぶ年は離れていて8歳上なんですけれども、兄が早稲田大学に入学した時が自分は小学校4年生で、その時に漠然と。その当時知ってる大学っていうのが、東京大学と早稲田大学しかなくて。じゃあ兄貴が行っているから早稲田行きたい!みたいな感じでしたね。

 僕は高校生の頃に日本で留学したいなって思っていて、日本でどこの大学に行くってなったときに、知っている大学は東京大学で、慶応と早稲田はなんか聞いたことあるかな~くらいで、正直他の大学はあまり知らなかったです(笑)。やってみようっていう気持ちで、早稲田の海外の人向けの特別なルートの試験を受けてみて、受かったので入学しました。

――どちらも国際教養学部ということですが、部活以外で関わりはありましたか

仙葉 これがですね、面白いことに全く1回も授業であったことないんですよ。2人とも分野が違うので。自分は理系ですね。高校の時、いわゆる進学校だと、高校2年生から文理で分かれるところが多いと思うんですけど…そもそも早稲田大学に僕、指定校で入っていて、指定校って(推薦を)もらえる確証がないから勉強もある程度頑張らなきゃいけないし、成績も取らなきゃいけないってなった時に、文系科目か理系科目だったら、理系科目の方が取りやすいなって思ってたので、理系に進んで、結構好きだったんですよね。っていうので、そういう系の授業を取っているからアンソンとは被らなかったです。

――アンソンさんはどんな科目をよく履修していましたか

 そうですね、僕は高校1年生の時から歴史に興味があって…そもそも文系の授業の方が好きで、そっちの方が頑張れるんですよ。親の影響もあって理系の科目も受けていたんですけど、結局文系が好きなんで、大学に行っても好きなものを勉強したいなと思って。歴史を学んだり、ゼミも近代日本史のゼミに入っています。

――アンソンさんは高校までずっと香港で、大学生になって初めて本格的に日本語を学び始めたということですが、フェンシング部に馴染むにあたって仙葉さんの存在は大きかったですか

 めちゃくちゃ大きかったです。

仙葉 またまた~、意外とないだろ(笑)

 いやいやいや。入った当時は遼輔はまだいなかったんですけど…最初は日常会話くらいしかできなくて。そこから、英語で喋ることも一応できるので、英語でみんなと会話するまではいかなくてもなんとなく(言葉を)伝えることはできるんですけど、そういうのは私はあまり好きじゃなくて。せっかく来たから、日本語も頑張りたいっていう気持ちがあって、ボロボロなんですけど日本語で話していきましょうっていって、だんだん慣れていくっていう感じでした。そこで一番(日本語を)教えてもらってるのは、やっぱり遼輔です。「今の日本語おかしいです」って。

仙葉 言っちゃうんですよ。

――でもその方が上達しますね

 そうなんですよ。そうやってちゃんと言ってくれる方がありがたいです。自分もボロボロなのは知っているので、言われても、恥ずかしいとか傷つくとかないので、言われる方が嬉しいです。

――すごい。本当に勉強熱心なんですね。4年間でこんなに流暢に話せるようになることはあまりないですよね

仙葉 アンソン実はすごい子なんですよ!

 (笑)

――仙葉さんはもともと英語が得意だったのですか

仙葉 得意か苦手かで言ったら得意な方だとは思います。私、幼い頃にヤマハ英語教室に通っていまして。それのおかげで喋れているのかと言われたら、別にそうとは思わないんですけど、英語に対する苦手意識みたいなのはないです。高校も…スーパーグローバルハイスクールってご存知ですか。スーパーサイエンスハイスクールってのもあるんですけど、そのグローバルの方は、グローバル化が進む中でうんたらかんたらみたいなのがあって。 ちょうど私が高校に入学する1年か2年前から、うちの高校が指定を受けていて、5年間の指定なんですけど、ちょうど自分がいる間はずっと被っていました。それのおかげで、学校全体としてもだし、入ってきた同級生とかも、結構みんな英語に対するモチベーションが高くて、学校全体で頑張っていこう、みたいな風潮があって、何度か海外に行く機会も学校の方からいただいて、っていうのもあって、英語は頑張ろう!と。

――大学時代はどこに留学していましたか

仙葉 スロバキアのコメニュース大学っていうところに行っていました。公用語はスロバキア語なんですけど、それは全く覚えられずに帰ってきました。(大学は)英語の授業とスロバキア語の授業があって、もう僕は選べないので英語の授業だけ受けていました。

「絶対に勝ちたいという思いが年々強くなった」


誰もが認める努力家で、大成長をとげた周。早慶戦での活躍は多くの人の感動を呼んだ


2年生の時には日本一を経験した仙葉。学業と競技を両立させ、大事な戦力としてチームに貢献した

――話は変わりますが、フェンシング部に入部したときの同期の第一印象はいかがでしたか

 自分は日本語が喋れないときもあったんですけど、本当にみんな優しいなと思っていました。時が経ってもその印象は変わってないですね。遼輔もコロナの影響で最初は秋田にいて来れなかったし、マネジャーの重信さんも2年生から入ってるんですよね。僕自身も初期メン(2020年4月から入部しているメンバー)ではなかったんですけど…

仙葉 俺初期メンだから!(笑)こっち(東京)には来れなかったけど初期メンなんですよ。

 そうなんです。まあそれで、最初から知っているみんなの印象はあまり変わってないというか、長い間付き合って、本当に優しいなって思っています。

仙葉 さっきアンソンが言ってくれてたみたいに、みんな一気に同じタイミングで入ってきたみたいな感じじゃなくて。 第一印象で言われると、そもそも最初に入ったのが自分を入れて4人で、自分と藤澤(将匡、スポ4=宮城・仙台城南)、ダグラス(ビューワーニック、スポ4=埼玉・星槎国際)、蓮井陽菜(スポ4=香川・高松北)だったんですね。陽菜は本当に知らない人で、ダグは当時は全くわからない、けどなんか面白そう、LINEでしか喋ったことないけど「意外と面白い人かもしれない」って。将匡は地元が近くて、東北大会とか、意外と秋田と宮城の交流も昔はあったりしてちょくちょく会ってたので、当時‟藤澤くん”って呼んでいたんですけど、「あれ、藤澤くんいるんだ!」みたいな感じでした。ダグに関しては、僕が秋田にいる間にもちょくちょく連絡くれたりして、「いつ来るんだっけ」とか「来たらご飯行こうよ」とか誘ってくれていて、合流した当初も「あれ、意外フランクだな、絶対仲良くなれるな」と思いました。

――アンソンさんの第一印象はどうでしたか

仙葉 アンソンは当時英語でしかコミュニケーション取れない人って勝手に思っていたから、「頑張って英語喋んなきゃいけないのか、よし」って身構えていたけど、意外と日本語喋ってくれるんだ、と。あとアンソンに関しては、やっぱり同期で同じ種目だったので、負けたくないってずっと思ってましたね。会った瞬間から。

 同じです。

――結構プライベートでも遊びに行かれていると思いますが、フェンシングに関係なく、今まで一緒に遊んだ中で1番楽しかった思い出はなんでしょう

 あれじゃないですか。徹夜でカラオケに行ったとき。

仙葉 マジごめん。あれはマジでごめん。

 全然嬉しかったよ。先輩含めてエペ会したあとに、ちょっと事情があって終電を逃して…

仙葉 いや、先輩が落とし物しちゃって、それを探している過程で帰るのが面倒になっちゃったんですよね。

 帰ろうとすればギリギリ帰れるぐらいな感じなんですけど、なんか面倒になって、2人でカラオケに行かない?っていう話になって。2人で5時間ずっと歌うっていう。

仙葉 休みなしで歌い続けていました。

――2人が一緒に行くと何を歌うんですか

仙葉 それぞれ好きな曲歌うみたいな感じです。

 被っている曲が少ない。

仙葉 そうだね、アンソンがjpop歌っていたらわかるよ~って感じじゃない?

 こっちはアニメの曲とかをいっぱい歌ってしまいますね。遼輔がわかっていないというか、自分の方がみんなと(好みが)被ってないことが多いです。みんな、日本人だったらこういう曲は知っておかないといけないよっていう曲をいっぱい教えてくれます(笑)

――十八番はなんですか

 ええ(笑)

仙葉 アンソンの十八番代わりに答えたい!

――ぜひお願いします!

仙葉 ラブライブの「Snow halation」です。僕、ラブライブとか見たことないんですよ。でもアンソンが大好きでそれを歌うので、覚えました!アニメはたぶんこれからも見ないです…(笑)

――仙葉さんの十八番はありますか?

仙葉 俺十八番なんかある?僕、結構いろんな曲を歌うんですよ。1曲歌ったら、次は別のアーティストを歌いたい。

 あの…福山雅治の「家族になろうよ」とかは?

仙葉 ああ~みんな知ってるからね。ゆったりした曲の方が、苦しくないんですよね。

――ありがとうございます。それでは次に、お互いフェンシング部の中でどういう存在なのかを教えていただけますか

仙葉 アンソンはですね、いじられ役ですね。

 そう言われるかなと思いました(笑)

仙葉 いじられ役で、みんなのアイドルなので。後輩からもアンソンって呼ばれてるのヤバいけど(笑)

――確かに中本くん(尚志、スポ1=山口・岩国工)にそう呼ばれているイメージはあります

仙葉 そうですね。あそこは友達らしいので。

 ちょっと生意気なところがあります(笑)

――仲良しですね(笑)ではアンソンさんから見て、仙葉さんはどういう存在ですか

 難しいですね…

仙葉 あれ、もしかして実は仲悪かった?

 いや、ちょっと日本語が出なくて…リーダーを補助する人、ちゃんと理性を持って状況分析できる人。部の中でも最も頭がいい方なんですよ。

仙葉 それはどうだろうな。

 ちゃんと周りを見て、今の状況はどんな感じなんですかっていうことをちゃんと分析して、提示できる人、そういうタイプの人だと思います。

――ありがとうございます。では次に、おふたりが4年間で一番記憶に残っている試合を教えてください

 僕は一択ですね。昨年の早慶戦なんですけど、最後回りを任された試合がたぶんそこしかなくて…いや他にもあったんですけどやっぱり雰囲気が違いますね。早慶戦のインパクトが強いので、そこでちゃんと活躍できたのはよかったです。最初はやらかしたところもあったんですけど、最後は挽回できて、4年間で確実に成長したなって。自分から言っていいのかなと思うんですけど、まわりの恩恵を受けて、先輩にも同期にも後輩にもいっぱい教えてもらって、それに応えることができてうれしかったです。あれはチーム全体が頑張って。逆転したのは遼輔でしたよね。

仙葉 あ、追いついたのは俺か。あれは実力以上だったな。

 そこで勢いがついて、みんなで頑張っていこうっていう流れになったので、ありがたいです。

――全員が活躍してつかみ取った勝利ですね。仙葉さんはいかがですか

仙葉 一番印象に残っている試合ですよね。難しい~(笑)。1個1個思い出に残ってる試合がたくさんあるんですよ。一旦適当にずらーってって並べてってもいいですか。とりあえず、2021年のインカレで優勝したことですね。あの時は、決勝で僕が試合をぶっ壊したかなって思っていました。団体戦の1巡目で僕が6点か5点くらいマイナスして…当時は2人強い先輩がいたんですけど、やっぱり相手も強くて、その先輩たちでもドカンって(点を)取ってくるのは難しいから、頑張って耐えてほしいと言われていた中で点数を落としてしまいました。その時ベンチには藤澤が入っていて、1回変えてみようってなって。それで将匡も頑張ってくれたんですけど、やっぱり本業ではないので追いかける展開は変わらなくて、ずっと現状をキープしている状態でした。最終セットに入った時も、5点か6点負けているところからのスタートだったんですね。「いや~、申し訳ない!」みたいな。関カレの時も同じような状況で、最後先輩が頑張ってまくってくれて、一本勝負で負けちゃったんですけど。「いや、もう本当に自分のせいだよな」って思いながら見ていて、最終的にはもうね、強かったので勝ってくれたんですけど。その時は嬉しさと悔しさが、本当に半分半分ごっちゃ混ぜみたいな感覚でしたね。その後の全日本も優勝したんですけど、あれは正直自分はほぼ何もしていないなっていう感じで、繋いだだけだったんですけど、それでも手にしたチャンスをみんなで掴めたのは嬉しいなって単純に思いましたし。その日はみんなの調子が良かったんですよ。自分の試合を振り返っても、よく突いたな、と思うのは何本かあったし、いまだにテンション上げたい時は、その時の良かった試合見ています。だから成績的に1番大きかったのは、全日本の優勝ですね。直近だと、昨年の早慶戦はどうしても印象に残る試合になっています。

――全日本優勝はすごいですよね。早慶戦はやっぱり他のリーグ戦とかと比べても違う雰囲気がありますか

仙葉 そうですね、僕も個人的には、2年生の時とかは早慶戦は普通に慶應と試合するだけだな~くらいにしか思っていなかったんですけど、何年も重ねていって、今まで勝てていたよって言われていたものが勝てなくなって、そこのプレッシャーがあるのと、毎年対戦するって決まっている中でやられるのは気分が良くないので。絶対に勝ちたいっていう気持ちが年々強くなっていきました。でも冷静に、向こうの方が戦力としては結構充実しているところもあるってわかっているので、実力差があることは認めた上で、どうやってひっくり返すかみたいなのが、特に男子エペでは課題でした。それをもう1週間、2週間前とかから話してね、「どうする、どっちが最後回りやる」とか。尚志いないけどどうする、って。

 そうですね、今年の早慶戦はちょっと特殊というか、遠征があっていつも出ている選手がいなくて。こっちも中本がいなくて、むこう(慶大)も他の大会に出ている子がいて、という感じの試合だったんですけど、中本がいなくても勝ちたいと思っていました。坂東というめちゃくちゃ強い選手がいて、そこをどうやったら耐えられるかという課題もあったんですけど、どうしても勝ちたいなという気持ちがあったんですよね。早慶戦のあの雰囲気は、他の試合と全然違います。

仙葉 あれ異様だよな。

 早慶戦って、公式戦ではないじゃないですか。海外のアスリートから見たら他の試合の方が大事なんじゃないかって思うと思うんですけど、でも部の中に入って「早慶戦ってそんなに大事な試合なんだ」ってなって。この(早稲田大学という)環境がなかったらあの体験はできないし、こんな気持ちも味わえないんじゃないかなと思っています。

仙葉 最初は人から「負けられないぞ」って言われていたけど、自分で「負けられないぞ」って思うようにどんどん変わってくるもんだなって思いましたね。

――やはり早慶戦は早大生として大切な試合の1つですよね。対談も終わりに近づいてきましたが、これから早大フェンシング部を担う後輩たちへおふたりから伝えたいことはありますか

 そうですね、競技スポーツって勝つことも大事だと思いますし、勝たないと面白くないということはアスリートみんなそう思っています。そうなんですけど、フェンシングが好きという気持ちをいつまでも忘れないでほしいなと思います。スポーツをやっていることも大切な思い出の1つにして、この気持ちで頑張っていってほしいです。

仙葉 たぶん僕らの代が抜けて人数は一瞬少なくはなるんですけど、新しい1年生も結構入ってきてくれそうだという話は聞いていて、人数的にはそんなに大きくは変わらないと思うので、その時ある戦力で勝つべくして勝つっていうのが、1番難しいのはわかるんですけど、 勝つべくして勝てるように応援しています。

――では最後に、これからの意気込みをお願いします

 (9月卒業で)就活中なので、第一志望の会社に入れるように頑張りたいと思います。

仙葉 リーグ戦の目標も言っとこう!

 リーグは、勝ちたいですね。王座にむけて頑張ります!意気込み大事ですよね。

仙葉 僕は社会の波にもまれながら、全力で食らいついていきます!能力があって、それをひけらかさない人になりたいです。謙虚な気持ちを忘れずに頑張ります!フェンシングも楽しく頑張りたいですね。

 練習来てください~!

仙葉 うん、行く行く。頑張って行くわ!試合も出られたら出たいです。

――頑張ってください!ありがとうございました!

(取材・編集 槌田花)

◆仙葉遼輔(せんば・りょうすけ)

2001(平13)年5月5日生まれ。185センチ。秋田南高校出身。国際教養学部4年。明るい人柄で、場の雰囲気を一気に和らげる仙葉選手。試合中、早スポ記者に対しても「いい写真撮れてますか~?」と気さくに声をかけてくださいます!その一方で、まわりを見て冷静な判断を下せるところも仙葉選手の強みです。

◆周旻朗(ちょう・まんろん)

2002(平14)年3月5日生まれ。169センチ。香港・セントステフェンズカレッジ高校出身。国際教養学部4年。”アンソン”の愛称で親しまれる、部活ナンバーワンの愛されキャラ!努力家で、競技も日本語も想像を超える成長を見せた周選手。9月卒業のため、今年のリーグ戦、そして勝ち抜くことができれば王座決定戦まで先陣を切って駆け抜けます!