第1回の世界ろう野球大会が2月24~28日、台湾で開かれる。 参加するのは日本のほか、米国、台湾、韓国、メキシコの5カ国・地域。日本代表選手の多くが、高校野球の強豪校で甲子園をめざして白球を追った経験がある。ろう学校で技術を磨いた仲間とと…

 第1回の世界ろう野球大会が2月24~28日、台湾で開かれる。

 参加するのは日本のほか、米国、台湾、韓国、メキシコの5カ国・地域。日本代表選手の多くが、高校野球の強豪校で甲子園をめざして白球を追った経験がある。ろう学校で技術を磨いた仲間とともに、世界舞台で頂点を狙う。

 昨年12月、日本代表は東京学館浦安高(千葉)の卒業生チームと練習試合を行い、勝利を飾った。

 主将の森豊(39)は、昨年夏まで春夏通算で甲子園出場23回を誇る滋賀・近江高の出身。試合でベンチ入りした経験もある。

 在校時代の2001年夏、チームは全国準優勝を果たしたときはベンチ入りできなかった。初めての世界大会に、「世界のレベルを感じたい」と意気込む。聴覚障害者の野球人口は多くないと感じており、「世界大会の存在を知って増えてほしい」という思いがある。

 甲子園でベンチ入りした選手もいる。

 先天性感音性難聴の障害のある安藤北斗(25)は16年、長野・佐久長聖高の背番号「17」の投手として甲子園の土を踏んだ。東北の強豪、富士大(岩手)を経て、現在は東京で会社員をしながら、草野球チームでも汗を流している。

 練習試合では肩を痛めてリハビリ中だったこともあり、登板はなかったが、6番中堅手で出場し、打撃で活躍した。「世界一という目標がある。チームの勝利のために貢献したい」と奮起を誓う。

 エースで4番の中野康平(27)は、熊本から駆けつけた。開新高出身で、最速141キロの直球に多彩な変化球を織り交ぜる。

 小学校4年生で野球を始め、大人になってからろう野球の世界に加わったが、「どういう感じになるのか分からなかったが、やってみたらやりやすかった」と語る。

 高校野球の強豪校で腕を磨いた経験者が多くを占める中で、正捕手で副主将を務める大石健太(24)は東京都立中央ろう学校の出身だ。

 ろう学校の野球部はすべて軟式だ。日本代表の試合に出るためには硬式球でのプレーに慣れる必要がある。大石は「打撃にしても守備にしても軟式との違いはあるけれども、練習を重ねるうちに慣れてきた」。海外の野球の雰囲気に触れられることを楽しみにしている。

 多くの選手たちから「声をかけてくれた監督のために、世界一になりたい」という決意も聞かれる。野呂大樹監督(35)こそ、チームを象徴する存在といえるだろう。

 生まれつきの難聴だが、独立リーグ・ルートインBCリーグの新潟アルビレックスBC(今季からオイシックス新潟アルビレックスBCとしてプロ野球2軍のイースタン・リーグに参加)の中堅手としてプレーし、3度盗塁王に輝いた。難聴の野球選手の情報は、ニュースやろう者のネットワークで得ているという。

 「選手に信頼されているのはうれしい。チームワークを高めて、世界一を目標に戦ってきたい」と抱負を語る。(八鍬耕造)

■米国・台湾など5カ国・地域が参加

 世界ろう野球大会は、参加5カ国・地域が総当たりのリーグ戦を行う。台湾と台湾を除く上位2チームが28日の最終日のリーグ戦に進み、優勝を決める。

 大会開催までには曲折があった。

 一般社団法人日本ろう野球協会が設立された20年、韓国で世界大会の開催が計画されたが、コロナ禍で延期を余儀なくされた。

 また今回の大会は昨年11月に開催される予定だったが、3カ月遅れとなった。プエルトリコが出場を辞退したため、5カ国・地域での船出になった。

 選手の参加資格についても、聴覚障害に関する身体障害者手帳を保有していることになっているが、日本ろう野球協会は「障害者手帳の交付基準は国・地域によって違う」として賛同しているわけではない。

 協会では、耳の聞こえないアスリートの国際スポーツ大会「デフリンピック」に野球を導入すべく活動している。また、ろう学校に硬式野球部を設立することもめざしている。これらの活動を広げるためにも、初の世界大会を重要な一歩としてとらえている。

 大会要項によると、台湾での宿泊費は主催者から全額支給されるが、台湾までの交通費は支給されない。

 日本ろう野球協会では、世界大会に関わる財政支援として、寄付を呼びかけている。問い合わせはメール(deafbaseball@jdba2020.jp)かファクス(03・6830・4957)へ。