プロボクサー・藤原茜インタビュー(前編)プロボクサーの藤原茜。36歳である。彼女はなぜ、"アラフォー"を迎えながらリングに立ち、闘い続けるのか。美しきファイターの"生き様"に迫る――。プロボクサーの藤…

プロボクサー・藤原茜インタビュー(前編)

プロボクサーの藤原茜。36歳である。彼女はなぜ、"アラフォー"を迎えながらリングに立ち、闘い続けるのか。美しきファイターの"生き様"に迫る――。



プロボクサーの藤原茜。photo by Fujimaki Goh

 腫れ上がった顔でプロテインを飲む彼女を見て、試合を観戦した大学時代の交際相手が聞いた。

「いつまで続けるの? 殴られる姿、もう見てられないよ」

 ありきたりのロマンス映画なら、彼女はグローブを壁にかけ、元彼と復縁したかもしれない。

 だが、ボトルに残ったプロテインを飲み干すと、彼女はキッパリと言った。

「じゃあ、会場に来ないで。私がやりたくてやっていることに口を出してほしくない」

 プロボクサー藤原茜、36歳。闘い続ける理由がある――。

 運動は幼い時から得意だった。

 最初に始めたのは水泳。兄が通うスイミングスクールは3歳からしか入れなかったが、「入りたい、入りたい!」と駄々をこね続け、特別に3歳の誕生日を待たずに入会を認めてもらった。

 小学生時代は陸上、水泳、体操教室とさまざまな競技を経験。同時にピアノや絵画も習う多才さも持ち合わせていた。

 中学に入ると、気の合う友だちの多くがバスケ部に入部。しかし彼女はバレー部を選んだ。

「バスケットのように、ひとつのボールを奪い合ったり、取り合ったりするのが苦手で。同じボール競技でもネットがあるバレーならいいかなって」

 大学は日本体育大学へ。

「特に『スポーツ大好き!』みたいなことは思ったことがなくて。ただ、幼稚園の頃から足が速かったり、人より運動ができたんで、なんとなくの流れでしたね」

 大学では部には所属せず、趣味で社会人のバレーボールチームに参加し、夏はビーチバレーで汗を流したりもしたが、もっぱらスポーツジムのインストラクターのバイトに明け暮れる日々を過ごした。そして、スポーツ・健康事業の企画や運営を請け負うコンサルティング会社に就職。決め手は、家から近いことだった。

「自転車で通える距離だったので(笑)」

 だが、入社1週間で違和感を抱く。「ここでずっと働くのはムリだな」と、直感の赴くままあっさり3カ月で辞めてしまう。

「私の人生、行き当たりばったりで、計画性がないんです(笑)」

 ただ、転んでもただでは起きないバイタリティを彼女は持ち合わせていた。

 バイトを掛け持ちしながら、退職から3カ月後にはパーソナルトレーナーの資格を習得。その後、ダイエットや健康には運動のみでは不十分だと栄養学を学び始め、ファスティング関連の書籍を出版、グルテンフリーのスイーツ専門店をオープンさせたりもしている。

 27歳までボクシングとは無縁。それもそのはず、彼女は言う。

「ボクシングも、格闘技も、まったく好きじゃなかったです」

 2014年、トーレニングや栄養学を学んだ際に師と仰いだ人物が和氣慎吾(FLARE山上ボクシングスポーツジム)のトレーナーをしていた縁があり、和氣の東洋太平洋スーパーバンタム級王座防衛戦を観戦する。

 世界が変わるのに、3分もいらなかった。

「初めてボクシングの試合を見て、気づいたらもうやっていたみたいな」

 もちろん、周囲からボクシングを始めることに反対意見も多かった。だが「私、都合のいい耳なんで」と、彼女は一切気に介さなかった。

 とはいえ、ボールを奪い合うことすら苦手だった彼女が、拳にバンテージを巻いたのは大きな矛盾を孕(はら)んでいるように映る。

「ですよね。自分でも思います(笑)。ただ、競技を続けるなかで少しずつ言語化できるようになったんですけど、私のなかでは何も奪い合ってないんです、ボクシングって。

 奪うんじゃなくて、自分がやってきたことをリング上で出す。もちろん相手はいますけど、究極的に自分を磨いて、磨いて、磨いて、リング上で披露する。リングの上で相手から何かを奪ったり、取り合ったりしているわけじゃない気がするんです」

 和氣に「女子の選手が多いジムがいいよ」と紹介されたのが、ワタナベボクシングジムだった。

「ワタナベジムが家から5分だったんです。私、運命とか信じちゃう系なんで(笑)」

 ロマンチストは同時に淡い野望を抱いていた。

「女子ボクシングがロンドン五輪で正式種目になり、2020年の五輪開催地が東京に決定したタイミングだったんです。ボランティアでもなんでもいいから、五輪に関わりたい。でも、できるなら選手で。女子ボクシングは競技人口が少ないので可能性があるかなって」

 程なくして、ロマンチストは思い知らされる。わずか数年では多少運動神経がいいくらいで、五輪への扉をこじ開けることはできない。

 この時、ボクシングから退いたとしても、誰も後ろ指など指さなかったはず。それでも、彼女が選んだのは引退ではなくプロ転向だった。

「プロはアマと違って、ヘッドギアもないし、グローブも薄い。だから、恐怖はありました。でも、それ以上にボクシングを辞めることのほうがイヤで。

 自分の今までの人生で、運動も、勉強も、仕事も、それなりにそつなくこなしてきたつもりではいたけど、何かで1番になったことがなくて。人生で、1度でいいから1番になってみたい。きっと、ここでボクシングを辞めたら、私は一生何かで1番になれないと思ったんです」

 決断したというより、もはや後戻りできないほど、彼女はボクシングを愛し始めていた。

「やればやるほど、奥深さも、怖さも知って。やるほどにボクシングが好きになっちゃったんで。楽しくてしょうがないですもん。あの日、選んだのがボクシングでよかったって思います。きっと他の何かではダメだった」

(文中敬称略/つづく)