1月21日、川崎フロンターレはオランダのNECに所属しているファン・ウェルメスケルケン際(さい)を完全移籍で獲得したこ…
1月21日、川崎フロンターレはオランダのNECに所属しているファン・ウェルメスケルケン際(さい)を完全移籍で獲得したことを発表した。インパクトの強いフルネームだけに、気になったJリーグファンも少なくないだろう。
彼はいったいどんな人物なのか。どのようなプレースタイルなのか。現地在住で20年以上オランダサッカーを取材しているスポーツライターの中田徹氏に、ファン・ウェルメスケルケン際とのエピソードを寄稿してもらった。
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川崎が獲得したファン・ウェルメスケルケン際とは?
photo by AFLO
この3カ月間、今年6月で30歳となるファン・ウェルメスケルケン際は、ベテランの鏡としてすばらしいプレー、振る舞いをNECで示した。
エールディビジでは「左右サイドバックのバックアッパー」として8試合中3試合、計163分間のプレーにとどまったものの、その中身は濃かった。フル出場したKNVBカップ3試合も含めてNECでの6試合、チームは4勝2分と負けなし。しかもリーグ戦ではトゥエンテ(3-3)、AZ(2-1)、フェイエノールト(2-2)と、いずれも格上の相手ばかりだった。
とりわけ、ウインターブレーク明けの2試合で披露した際のパフォーマンスは特筆される。まずは1月14日のフェイエノールト戦。レギュラーの右SBバルト・ファン・ローイが頭部を負傷したために29分から急遽、際がピッチに立つことになった。この時点でチームは0-2の劣勢だった。
「僕が出るまで、フェイエノールトのプレスにハマってしまって、守備がバタついていた。でも、 僕は11年もオランダでプレーしているのでフェイエノールトに対する怖さはなく、スムーズに試合に入ることができました」
その後、NECは同点に追いつき、強豪相手に貴重な勝ち点1を得た。そして際は、オランダのふたつのメディアで週間ベストイレブンに選ばれた。
【12歳の際はオランダのサッカーに衝撃を受けた】
続く1月17日のゴー・アヘッド・イーグルス戦(2-1)でフル出場した際は、30メートルの左足ボレー弾をゴール右上に突き刺した。このシーン映像にSNSでは「2024年のプスカシュ賞(FIFA選定年間スーパーゴール)は際のゴールで決まりだ!」と大きな騒ぎとなった。
オランダ生活11年間で1部リーグ、2部リーグ、KNVBカップを合わせて合計5ゴールと、際は決して得点数の多い選手ではない。だが、そのすべてが記憶に残る鮮やかなものだ。しかも左足で決めた3ゴールは、どれもスピード、変化、破壊力があった。2022年のカンブール時代にPSVを3-0で倒した時の右足シュートも記憶に新しい。
「決まる時は、いいゴールしかないですね。NECは自分が12歳の時に2週間ほど練習参加させてもらったクラブなんです。ドルトレヒトで(プロ生活が)始まって、今はNECでこういうゴールを決められて、ほんとにオランダでがんばってきてよかったと思います」
NECと際の縁は、12歳の夏休みまでさかのぼる。オランダ人の父、日本人の母を持つ際は、オランダ南部のマーストリヒトで生まれ、2歳の時に山梨に越した。
「一度、自分が生まれた国を見ておいで」と両親に言われた際は、12歳の時に2週間、NECとドルトレヒトの練習に参加した。ドルトレヒトが街クラブなら、NECはまさにプロサッカークラブのオーガニゼーションだった。
当時、際が所属していた八ヶ岳グランデFCは個人スキルを伸ばすブラジル式サッカーだった。しかし、オランダではドリブルをしないでパスでボールを運ぶサッカーだった。
最初は「これは自分のサッカーと違うな」と感じたが、「このサッカーは面白いな。自分には伸びしろがある。日本に帰りたくないな」と思うようになっていった。やがて際は、ヴァンフォーレ甲府のアカデミーでパスサッカーを学んだ。
「オランダでまたサッカーをしたい」という熱い思いは、高校を卒業する18歳になっても冷めることはなかった。際は自身のプレー集映像をオランダの各クラブに送り、真っ先に返信をくれたドルトレヒトへの入団を決めた。それが2013年夏のことだった。
【センター試験の失敗をきっかけに再びオランダへ】
そして10年後の2023年10月末、際はNECと今シーズンの契約を結んだ。しかし、両者の間では『冬の移籍市場で退団する』というコンセンサスがあったようだ。
1月21日、NECの公式ウェブサイトは「ファン・ウェルメスケルケン際は川崎フロンターレに移籍します。彼がNECと結んだ契約のなかに『日本のクラブからのオファーがあった場合、自由契約扱いで移籍できる』という条項が盛り込まれていました」と発表した。
ドルトレヒトでスタートし、NECでひと区切りを迎えた際のオランダ挑戦は、決して忘れられない12歳の夏の思い出を叶えたものだった。
2015-16シーズンのウインターブレイク前のこと。私は年末年始を日本で過ごすことを際に告げ、「なにか日本で欲しい物があったら買ってくるから遠慮しないで」と言った。
「重くなって申し訳ないんですが、『NASAに学ぶ英語論文・レポートの書き方』『はじめての英語論文』をお願いできませんでしょうか」
際はセンター試験(現・大学入学共通テスト)に失敗したことで、オランダでサッカーをする夢を叶えた選手だった。
彼が通った甲陵中、甲陵高は山梨県内屈指の進学校。際も文武両道に励む青春を過ごしていた。目指していたのは関東の国立大学。しかし、オランダでプロサッカー選手になる夢も捨てがたい。
「受験は志望校ひとつのみ。浪人はしない。そこを落ちたらオランダに行く」
センター試験の英語科目で、際はマークシートの答え記入枠をひとつずつずれて書いてしまうミスをした。緊張だったのか、単なるケアレスミスだったのか......。ともかく彼はオランダに渡り、サッカーだけでなく通信大学に通いながらスポーツビジネスを学んで文武両道を極めようとした。
かつて際とのインタビューでは、ドルトレヒトのPL(損益計算書)からクラブの経営を分析した話も出た。「ドルトレヒトは小クラブなので、みんな事務作業で手一杯。本当に人が足りないが、全員ほかの部署のことができるので、お互いをサポートできる。そこがこのクラブの強みです」と結論づけていた。
【U-23日本代表時代の後悔がプレーのベース】
ドルトレヒトのトップチームに昇格してから2シーズン、オランダ2部リーグで62試合プレーした際は、サポーターからチームのマスコットのように親しまれた。2年目のシーズン、ドルトレヒトは2部リーグ20チーム中19位という体たらくな状況だったが、際はチームの最優秀選手に選ばれるほど成長し、オランダ内外からオファーが相次いだ。
2017-18シーズン、際はオランダ2部リーグ上位のカンブールへ移籍。コーチから「勉強しているの?」と訊かれたので「日本からドルトレヒトに来て、通信制大学に2年通って、スポーツマネジメントを勉強していました」と答えると、「やっぱりね」と言われた。
「際は新しいフォーメーション、戦術、初めてやる練習でも理解が早い。だから、見るだけですぐ察知してできる。それはしっかり勉強してきた基礎があるから。際を見ていると、そのことがなんとなくわかる」
この時、際は「勉強は絶対に生きている」と思ったという。際にとってサッカーは勉強の息抜きではなく、勉強がサッカーの息抜きなのである。そのことは、異国の地でのサッカー人生で、自分で考え答えを導き出すことにつながった。
ボールを持った時の自信──。それが際のプレーのベースとなっている。
リオオリンピック直前でU-23日本代表に入った時、当時の際にはそのストロングポイントが失われていた。それというのも、ドルトレヒトでウインガーからサイドバックに転向してまだ1年ほどで、「DFとして安全にプレーしよう」という思いが強く、バックパスばかりでうしろ向きのプレーが多かった。
この時の反省を活かし、際はSBの位置から縦ばかりでなく、中盤に上がってからサイドにパスを振ったり、そのままアタッキングゾーンに攻め上がったり、ビルドアップのバリエーションを増やす役割を果たしたり、どんどんプレーの幅を広げていった。そのことが、のちのオランダ2部リーグでのベストイレブン受賞、オランダ1部リーグのPECズヴォレ、カンブール、NECでの息の長い選手生活につながっている。
【オランダでの経験を川崎フロンターレで活かす】
NECでの最後の2試合。際の活躍にロヒール・マイヤー監督はこう言ってうなった。
「際はチームが(フェイエノールト戦のように)困った時、すぐに助けてくれます。ゴー・アヘッド・イーグルス戦のゴールは、その成果です」
続くトゥウェンテ戦(1-0)は左SBカルビン・フェルドンクが30メートルの距離から美しいFKを決め、これが決勝点となってNECが勝った。出場機会のなかった際は試合後、フェルドンクに「どっちのゴールのほうがすごかったかな?」と冗談交じりに尋ねた。「際のゴールのほうがすごかった」「いや、君のゴールのほうがすごいよ」とふたりは称えあったという。
週間ベストイレブンに選ばれても、強烈なボレーシュートを決めても、レギュラーのバルト・ファン・ローイが復帰すれば、また際は控えメンバーにまわる。
「クラブの生え抜きであるバルトを優先することは理解できている。昔だったらちょっとクサってたりした可能性もありますけど、経験を活かし、落ち着いて毎日やれています」
黒子(くろこ)が魅せた派手な活躍──。NECの人たちは際のことを、いつまでも語り続けるだろう。