サッカーのアジアカップが開幕した。日本代表には5度目の優勝を目指すだけの戦力がそろっているが、タイトル獲得において大き…

 サッカーのアジアカップが開幕した。日本代表には5度目の優勝を目指すだけの戦力がそろっているが、タイトル獲得において大きな鍵を握る存在が、キャプテンである。日本代表の栄光の歴史とともにつながっていく、「キャプテンシー」の重要性をサッカージャーナリスト大住良之がつづる。

■長谷部のリーダーとしての力

 日本代表は恵まれている。吉田麻也の前、2018年ワールドカップまでキャプテンを務めた長谷部誠は、あらゆる面でキャプテンとしての資質を備え、26歳で迎えた2010年のワールドカップから8年間、3回のワールドカップでアームバンドを巻き続けた。フィジカル面ではごく平凡と言っても過言ではない選手だが、卓越した技術とゲームを読む目をもち、何より日本代表チームというグループをひとつにまとめる「リーダー」としての力を持っていた。

 2011年の9月、ウズベキスタンのタシケントで印象的なことがあった。2014年ワールドカップのアジア3次予選の試合前のことである。4日前に埼玉スタジアムで初戦を戦い、後半アディショナルタイムの吉田の劇的な決勝ゴールで「最大のライバル」を下した日本。アウェーでウズベキスタンに勝てば、最終予選進出は濃厚になる。そんな試合のウォーミングアップのために日本代表選手たちがピッチに出てきた直後である。

 長谷部が選手たちを呼び集め、数十秒にわたって円陣のなかで話したのだ。試合は前半8分に思いがけない失点を喫したが、後半20分、長谷部からボールを受けた右サイドバック内田篤人のクロスにFW岡崎慎司が地上30センチのダイビングヘッドで合わせて同点とし、1-1で引き分けた。

 試合後、バスに乗り込む前の長谷部をつかまえると(ミックスゾーンはなかった)、私は試合前のことを聞いた。一瞬ためらっていた長谷部だったが、周囲に他の記者がいないのを見ると、こう話した。

「ロッカールームの雰囲気が、少し浮ついていました。だからみんなに『これがワールドカップ予選であることを忘れるな』と言ったのです」

 本来ならアルベルト・ザッケローニ監督がしなければならないことだった。しかし就任から1年にも満たず、日本語も話さない監督に求めるより、自分が話そうと決意したのだろう。長谷部の思慮深さ、生まれついての「キャプテンシー」に私は脱帽した。

■宮本が示した交渉力

 フィリップ・トルシエ監督時代(1998~2002年)の半ばからジーコ監督時代(2002~2006年)にかけてキャプテンを務めた宮本恒靖も、キャプテンらしいキャプテンだった。2004年に中国で行われたAFCアジアカップ準々決勝のPK戦でのエピソードは有名だ。

 延長まで戦って1-1。日本とヨルダンの準々決勝は、PK戦決着となった。だが重慶のオリンピックセンター・スタジアムのピッチは状態が悪く、とくにメインスタンドから見て左側のゴール前が荒れていた。しかし大会本部からの要請により(おそらくテレビ放送の都合だったのだろう)、マレーシアのスブヒディン・モハド・サレー主審は左側のゴールを選んだ。その決定後に、宮本はサレー主審に「あちら側は荒れているから、逆でやってほしい」と話した。だが変更は認められなかった。

 日本の先攻。一番手の中村俊輔のキックは、大きく上に外れた。スタンドの記者席からでも、踏み込んだ右足、すなわち立ち足が、ずるっと滑るのがわかった。相手の1番手は右利きのキッカーだった。彼はしっかりと蹴り、右上隅に決めた。日本の2番手は中村と同じ左利きのアレックス三都主。まるで中村のキックの再生動画のように、立ち足を滑らせ、大きく外してしまう。

 宮本がゆっくりと歩いてサレー主審に近寄ったのはそのときだった。そして手を後ろに組んだまま、感情を押し殺した調子で「やはりここはだめだ。向こうにしてほしい」と話した。すると、驚いたことにサレー主審はそれを受け入れ、第4副審のところ行き、AFCの役員と話して「ゴールを代える。これまでのキックは成立し、このスコアのまま続ける」と告げる。

■卓越した統率力

 激怒したのが日本のジーコ監督だった。ゴールを代えるなら、最初からやり直しではないかと主張したのだ。公平性を考えるなら、ヨルダンの2人目が終わった時点でのゴール交代か、あるいは三都主のキックからやり直させるべきだったかもしれない。宮本は再度サレー主審のところに歩み寄り、こんどは強い口調で「日本の2人目からやり直すべきだ」と話す。しかしサレー主審は「このスコアのまま続ける」と譲らなかった。三都主がペナルティースポットに立ってキックすることを要求したが、サレー主審の決定は変わらなかった。

 ヨルダンの2人目、ラテブ・モハムド・アブダラフ・アルワダトは、驚いたことに左利きだった。右側のゴールに、立ち足を滑らせることなく、力強く決めた。そして日本は2人ずつのキックを終わって0-2と、絶体絶命のピンチに立ったのである。だがこの後、GK川口能活が神がかりの守備を見せる。相手の2人を奇跡的なセーブで止め、結局、ヨルダンは4人目から4人連続で失敗するという形で日本は準決勝へとコマを進めるのである。

 相手の4人目から「読むのをやめてボールに反応することだけを考えた」という川口もすごかった。しかし宮本の冷静な「交渉」がなければ「奇跡」は生まれなかっただろう。宮本は守備の冷静な統率でも際だったプレーヤーだったが、キャプテンとしてチームを代表するという面において、日本のサッカー史上でも卓越していた。

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