サッカーのアジアカップが開幕した。日本代表には5度目の優勝を目指すだけの戦力がそろっているが、タイトル獲得において大き…

 サッカーのアジアカップが開幕した。日本代表には5度目の優勝を目指すだけの戦力がそろっているが、タイトル獲得において大きな鍵を握る存在が、キャプテンである。日本代表の栄光の歴史とともにつながっていく、「キャプテンシー」の重要性をサッカージャーナリスト大住良之がつづる。

■キャプテンの新たな役割

 フランツ・ベッケンバウアーが78歳の若さで亡くなった。彼は1974年のワールドカップで優勝した西ドイツ代表のキャプテンであり、1990年には監督として西ドイツ代表を3回目の優勝に導いている。「選手、キャプテン」そして「監督」としてワールドカップ優勝を経験したのは、他にディディエ・デシャンがいるだけだ。

 1974年大会、ベッケンバウアーは「陰の監督」とまで言われた。1次リーグの最終戦で東ドイツに敗れ、やや意気消沈した選手たちを集め、強い口調で檄を飛ばした。2次リーグからの西ドイツのまとまり、チーム一丸となっての戦いは、この「キャプテン・ミーティング」のおかげだったと言われている。

「キャプテン」は、2024年のサッカーでひとつの重要なキーワードになるかもしれない。近年のサッカーのキャプテンは、ただ試合前にチームを率いて入場し、エンド選択かキックオフかを選ぶコイントスに参加するぐらいしか意味がなかった。

 現行のルールには、第3条の10項に「チームのキャプテンは、何ら特別な地位や特権を与えられているものではないが、そのチームの行動についてある程度の責任を有している」とある。しかしチームのメンバーの行為によってキャプテンが罰せられることなどなく、この条文意味を持つのは前段の部分だけである。

 ところがことしのルール改正で、国際サッカー評議会(IFAB)はキャプテンについて重要な変更をするのではないかと言われている。判定に対するレフェリーへの質問を、キャプテンに限って受け付けるというものらしい。狙いは選手たちがレフェリーを取り囲むのを防止することにあるのだが、腕に巻いたアームバンドの意味が俄然大きくなるかもしれないのである。

■キャプテンの成り立ち

 それまで粗暴な「騒乱」のようだった「フットボール」が、主として英国の私立学校でそれぞれのルールに沿った「競技」となっていった18世紀から19世紀にかけて、キャプテンは非常に重要な地位にいた。当時の「フットボール」にはレフェリーはおらず、反則があると両チームのキャプテンが話し合って判定を決め、必要なときには退場にするなど選手を罰していたのだ。

 だが、1863年にルールが制定されて「サッカー」という競技が誕生し、人気が出るとともに、中立の「裁定者」が必要となった。レフェリーの誕生である。その権限の強化とともにキャプテンの役割は縮小し、ついに今日のような状態となったのである。

「キャプテン」とはラテン語の「頭」を指す言葉から派生した言葉である。やがて組織の「カシラ」や「船長」を示す言葉となり、スポーツのチームでも採り入れられるようになった。競技面では特別な役割などとっくになくなっているのにもかかわらず、今日でもキャプテンがしっかりと決められ、仲間の選手からだけでなく、ファンからも尊敬を集めている。チームゲームであるサッカーにおける「キャプテンシー」の意義が、そこに隠されている。

■不言実行タイプの遠藤

 いま、カタールで5回目のアジアカップ優勝を目指して戦っている日本代表。そのキャプテンは、MFの遠藤航である。湘南ベルマーレのユースからプロとなり、2012年、新監督に就任した曺貴裁によって19歳でクラブのキャプテンを任された。その後、浦和レッズを経て欧州に渡り、シントトロイデン(ベルギー)、シュツットガルト(ドイツ)とステップアップし、昨年夏にリバプール(イングランド)に移籍。最初は苦しんだが、年末には欠くことのできない存在となった。

 さまざまな年代別代表を経て日本代表にデビューしたのは2015年、22歳のとき。25歳で迎えた2018年ワールドカップ(ロシア)では出番がなかったが、大会後、ボランチとして、キャプテンとしてチームを支えてきた長谷部誠が代表引退を宣言すると、森保一監督は遠藤をレギュラーのボランチとし、以後、中心選手として活躍してきた。そしてことし、森保監督は遠藤をDF吉田麻也に代わるキャプテンに任命した。

 遠藤は「不言実行」タイプのキャプテンと言える。大げさなジェスチャーや叱咤激励でチームを引っぱっていく選手ではない。ピッチの中央に位置し、誰にも負けない集中力で相手の攻撃を読み、果敢なインターセプトでその芽を摘み、あるいは粘り強い対応で前進を止め、そこから一挙に味方の攻撃につなげる。チームにとってこれほど頼りになる存在はなく、遠藤がそこにいて、プレーしているということだけで、チームの選手たちは自分がやるべきことを理解し、果敢に実践するようになる。

■前主将との共通点

 何年間もこうしたプレーを続けてきた遠藤が日本代表のアームバンドを手渡されたのが、30歳を過ぎてからだという事実に驚く。遠藤は生まれついてのキャプテンであり、湘南ベルマーレで3バックの右サイドでプレーしていたころから、チームに対して大きな影響力をもっていたからだ。ただ、日本の社会には良い意味での「長幼の序」のようなものが残っており、それが組織の安定性にもつながっていて、森保監督が「第1期」の就任時にやはり30歳のDF吉田麻也をキャプテンにしたのが間違っていたとは思わない。

 吉田もキャプテンの役割を理解し、キャプテンらしい言動とプレーでチームを牽引した。英語でのスピーチもうまく、森保監督の「第1期(2018~2022年)」に日本代表が国際舞台でイメージを大きく上げた背景に吉田のコミュニケーション能力があったのは間違いない。ピッチのなかでは常に大声を出して味方を叱咤激励し、自ら体を張って守るプレーは味方を勇気づけた。

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