後藤啓介インタビュー前編ジュビロ磐田の攻撃の要として躍動した後藤啓介がベルギーへと旅立つ。高校2年生ながらトップチームに…
後藤啓介インタビュー前編
ジュビロ磐田の攻撃の要として躍動した後藤啓介がベルギーへと旅立つ。
高校2年生ながらトップチームに昇格し、Jリーグデビュー戦のファジアーノ岡山戦(2-3●)では後半途中出場ながら2ゴールを挙げ、クラブ最年少得点記録を更新。衝撃的なリーグデビューを果たした。2024年1月1日よりベルギーのジュピラー・プロ・リーグに所属するRSCアンデルレヒトへと1年間の期限付き移籍。今後も活躍が期待される日本の新星にジュビロ磐田、RSCアンデルレヒト、そしてかねてより話題の"駄菓子愛"について余すことなく語ってもらった。

RSCアンデルレヒトへと期限付き移籍した後藤啓介
photo by H.Fukada/Kumafu
――2023シーズンは高校生ながらジュビロ磐田のトップチームに昇格し、J2リーグ戦33試合出場・7ゴールをあげるなどJ1復帰に大きく貢献。開幕前の新体制発表記者会見では「シーズンを通して10ゴール以上に絡みたい」と力強く抱負を掲げましたが、17歳と思えぬ自信に満ちあふれたコメントが印象的でした。
後藤啓介(以下同) 「まずは試合に出られるようにがんばりたい」というような言葉は誰でも言えるじゃないですか。達成できるかどうかは別にして、「10ゴール以上に絡みたい」という言葉はわかりやすい目標として自然と口から出てきました。
具体的に発言することで自分のやるべきことが明確になる。小さいころから自分はそうやってきました。クラブとしては補強禁止のシーズン(※)ということで厳しい状況でしたが、自分としては逆にチャンスだと思ってポジティブにとらえていましたね。
――トップチーム昇格前、17歳になったばかりの2022年7月20日、天皇杯・東京ヴェルディ戦(1-2●)で公式戦デビュー。その経験が自信になりましたか?
トップチームの練習に何回か参加するなかで手ごたえをつかめていました。だから、東京V戦はまったく緊張しなかったんです。自分からしたら、デビューするのが遅いくらいだったので。
あの試合で「プロのレベルでもやれるな」と確信できたシーンがありました。中盤で相手選手からコンタクトを受けてボールを失ったけど、すぐ切り替えて守備をしてマイボールにできた場面。最終的にはジャメ(ジャーメイン良)くんのゴールにつながったこの一連のプレーで手ごたえをつかんだんです。
※ジュビロ磐田はFIFAの規則に違反したとして、2回の登録期間(23年1月6日~3月31日、7月21日~8月18日)での選手補強禁止などのペナルティを課されていた。

J2では33試合に出場し、7ゴールをあげた後藤啓介 photo by Aflo
――2023シーズンを振り返ってみて、ターニングポイントはいつでしたか?
第37節V・ファーレン長崎戦(1-0〇)でのCBカルロス・グティエレス選手とのマッチアップですね。先に体をぶつけてボールを収めることができたんですけど、これは開幕前から自分が求めていたポストプレーでした。
もちろん毎試合チャレンジはしていたんですけど、うまく体を当てるタイミング、相手との距離感などがなかなかかみ合わなくて。すべてかみ合ったのがこのシーンでした。
この試合で完璧に感覚をつかめたので、長崎戦を終えてから最終節までに出場した4試合では、DFより先に体をぶつけるポストプレーができるようになりました。横内(昭展)監督からシーズンを通して求められていたことなので、カタチになってうれしかったです。
――J1昇格のために勝たなくてはいけなかったシーズン終盤の2試合、第41節水戸ホーリーホック戦(5-0〇)と第42節栃木SC戦(2-1〇)で先発フル出場。チームを2連勝に導き、劇的なJ1昇格を決めました。
その前の第40節東京V戦(1-1△)でジャメくんが前半早々に負傷して、自分が交代出場したんですけど、シュートを1本も打てなくて......。水戸戦、栃木戦では自分で持ち込んでシュートを打つ意識で試合に臨みましたし、とりあえず勝つことだけを考えてプレーしました。
――シーズン7ゴールながら、8月26日の第32節ジェフユナイテッド千葉戦(2-3●)以降はゴールネットを揺らすことができませんでした。FWとして、どのようなことを考えていましたか?
千葉戦が終わって、第33節ブラウブリッツ秋田戦(1-1△)と第34節大宮アルディージャ戦(3-2〇)でチャンスがあったのに外してしまって。「これがJ1昇格に響いたら最悪だな......」と思いましたね。特に秋田戦は自分が最後にヘディングを決めきれずに引き分けてしまったので、ここで落とした勝ち点2が昇格争いの最後の最後で響いたら地獄だなと。
それからはもう自分が決めるよりもチームが勝つことだけを意識しました。「入んないなら入んないでいいや」という感じで。水戸戦は自分の動きからいくつかチャンスをつくれていたし、そこからゴールにもつながっていたので、チームには貢献できたかなと思います。
――ちなみに、J1昇格のかかった最終節、セットプレーのタイミングで鈴木海音選手から「清水は勝っているの?」と聞かれて、「そんなの気にしている場合じゃないだろ」と言ったとか。先輩に対しても物怖じしない後藤選手らしい発言ですよね。
セットプレーで僕がドンピシャでヘディングしたのにゴールの上に外してしまったシーンがあったんですが、そのときに海音がそういうことを聞いてきたから、「そんなの気にしている場合じゃねえだろ。戻れよ、早く」って感じのことを言いました(笑)。勝たなきゃ意味がない試合でしたからね。海音はDFだし、別の試合の情報を気にしてプレーが固くなって失点したらもったいないので、ああいう言い方になっちゃいました。
――2024年1月1日からベルギー1部・RSCアンデルレヒトへ期限付き移籍。さまざまな国のクラブからいくつもオファーがあったなかでこのクラブを選んだ決め手は?
ベルギーのシント=トロイデンにいたことのある(松原)后くんの話は参考になりました。アンデルレヒトは強豪だし、以前から熱いオファーをもらっていたので、迷うことなく決めましたね。
それに遠藤航選手、鎌田大地選手、三笘薫選手、冨安建洋選手など、何人もの日本代表選手がベルギーからステップアップしているので、自分もそういう道をたどりたいなと。1年で戻ってくるのか、1年後に完全移籍できるのかは自分次第。とりあえず、自分のできることを精一杯やろうと思っています。
――アンデルレヒトでも背番号42をつけることに。「世(4)に(2)出る」という語呂合わせでもあるんですよね?
高校生時代に清水エスパルスとのダービーでゴールを決めた思い出深い背番号なので、これから先もずっとつけていきたい気持ちはあります。でも、正直、何番でもいいんですけどね(笑)。42番が空いていたからそのままつけました。
――「20歳までに海外へ行く」と言い続け、18歳で有言実行。今後はどのようなキャリアを歩んでいきたいですか?
2024年のパリ五輪、2025年のU-20W杯、2026年の中南米W杯を目指したいです。とりあえず近い目標はそこですね。今すぐ森保ジャパンで活躍できるかといえば、「そんなの無理だろ」と言われるとは思います。でも、やってみないとわからないので。日本代表のメンバーに入るためには、アンデルレヒトでちゃんと成長しないといけない。今はアンデルレヒトで結果を出すことだけを考えています。
――ジュビロ磐田のストライカーといえば、中山雅史さん、高原直泰さん、前田遼一さんなど、日本代表を背負ったエースばかり。意識はしますか?
よく言われますけど、自分は自分なので、まったく気にしていません。ジュビロは自分にとって9年間ずっとお世話になったクラブだし、実家みたいな存在。欧州で活躍して、最後はこのクラブで引退したいです。
後編:『アンデルレヒト移籍の後藤啓介は191㎝万能型FW 駄菓子好き18歳のアイドルは170cmの名手』
プロフィール
後藤啓介(ごとう・けいすけ)
2005年6月3日生まれ、静岡県出身。191cm、70kg。カワイ体育教室SC―磐田U-15―磐田U-18―磐田。2023シーズン開幕前にトップチームに昇格し、J2リーグ33試合出場・7得点を記録。2024年1月1日からRSCアンデルレヒト(ベルギー)へ期限付き移籍