青山学院大が「一強」駒澤大を凌駕した第100回箱根駅伝。史上初の2年連続学生駅伝3冠目前だった駒大に往路で2分38秒、総合で6分35秒の大差をつける青学大の圧勝劇は、なぜ生まれたのか。改めて振り返る。青学大の2区・黒田朝日の走りが猛攻へのき…

青山学院大が「一強」駒澤大を凌駕した第100回箱根駅伝。史上初の2年連続学生駅伝3冠目前だった駒大に往路で2分38秒、総合で6分35秒の大差をつける青学大の圧勝劇は、なぜ生まれたのか。改めて振り返る。


青学大の2区・黒田朝日の走りが猛攻へのきっかけに

 photo by Tsutomu Kishimoto

【流れを決めた序盤の3区間】

 往路、総合で大会新記録を樹立する青学大の圧勝劇だった。ここ数年、厚底シューズやトレーニング方法の進化により高速化が進む長距離界だが、2年前に青学大が樹立した大会記録を2分17秒も更新する優勝タイム10時間41分25秒は陸上関係者も驚嘆するハイレベルなもの。「10時間40分切り」の可能性を見出した点でも大きな意味を持つレース内容だった。

 駒大の藤田敦史監督が「我々の想定を超える結果。相手が強かったと言うことに尽きる」と振り返ったそのレース、勝敗を分けたのは1区から3区までの流れだった。

「体調不良者やケガ人は12月に入ってからいっさい出ず、エントリー選手16人は誰が走っても問題ない状態だった」と藤田監督が言うほど、駒大は万全のコンディションを整えていた。12月29日の区間エントリーでは11月の上尾ハーフで自己新記録を出した白鳥哲汰(4年)を1区に入れたが、当日変更でハーフマラソン日本学生記録(1時間00分11秒)保持者の篠原倖太朗(3年)を起用。2区は主将の鈴木芽吹(4年)、3区は2023年アジア大会5000m日本代表の佐藤圭汰(2年)と、1万mの自己ベスト27分40秒未満の学生長距離界を代表する3人を並べて勝負に出た。

 対する青学大は、1区に全日本大学駅伝6区を区間3位で走った荒巻朋熙(2年)、2区と3区は予想どおり当日変更で2区は出雲駅伝2区区間賞、全日本2区区間2位と一躍エースに成長した黒田朝日(2年)を置き、3区には2年前の3区で駒大を交わしトップに立ち総合優勝のきっかけをつくった太田蒼生(3年)と、信頼できる選手を置いてきた。

 藤田監督は1区の当日変更について、「私たちに背中を見せると他大学が言っていたように、往路にエースを筆頭に主要戦力をつぎ込んでくると予想できた。駅伝は1区の流れが非常に大切になってくるので、篠原で確実に流れに乗せて、という選択をした」と説明する。

【布石となった青学大・黒田の快走】

 その選択は、うまくいったかに見えた。

 スタートから駿河台大のスティーブン・レマイヤン(1年)が飛び出す展開となる中、3km手前からは駒大・篠原と青学大・荒巻、國學院大・伊地知賢造(4年)がレマイヤンに追いつき、4人が先行する形に。14km付近からは青学大と國學院大が遅れ始め、15.2kmの蒲田付近では駒大と青学大で15秒差に開いた。

 篠原は1時間01分02秒で2位の創価大・桑田大輔(4年)に23秒差をつけ区間賞を獲得。青学大と並び、「ストップ駒大」候補に挙げられていた中央大・溜池一太(2年)と国学院大・伊地知賢造(4年)は篠原から1分30秒以上遅れ、優勝争いでは厳しい状況に追い込まれたが、青学大の荒巻は終盤で粘りを見せ、区間9位で篠原との差を35秒にとどめた。「最低でも20秒差を目標にしていた」という荒巻だが、これまでの実績から見れば、その役割を果たしたと言える。チーム全体に前向きな姿勢をもたらすのに十分だった。

「あそこ(15.2km)からはもう行ききれなかったんですよね。最後ももっと行くかなと思ったけど上がりきらなくて、ラスト1kmですごい詰められた。それ以降、アドバンテージが取れそうで取れない形になってしまった」と藤田監督は振り返る。

 それでも駒大の2区・鈴木も淡々とした走りで自分の力を出した。5km通過は14分07秒、10㎞通過は28分09秒と藤田監督が「想定どおり」という走り。トップを譲らず走り切った1時間06分20秒は、吉居大和(中大)が前回大会で区間賞を獲得した時のタイムを2秒上回る好タイムだった。

 だが、青学大・黒田は、鈴木を上回る走りを見せていた。集団をうまく利用しながらスピードに乗り、7人抜き。ノビノビと走る姿が印象的だった。

「設定タイムは特に考えずに、66分台が出ればいいかなと思い、前半は余裕を持っていき、権太坂からペースを上げていくレースプランを考えていました」

 あまりタイムにとらわれず、自分の走りに徹した結果、1時間06分07秒で区間賞を獲得。駒大との差を13秒詰めてみせた。

 駒大にとっては何かしっくりこない展開ではあった。それでも駒大3区の佐藤の力を考えれば、青学大にとって大きな差にも見えた。この時点では......。

【青学大vs.駒大を象徴した3区】

 佐藤は5km通過が14分00秒と決して悪いわけではなかった。だが、経験のない20km超の距離を意識したのか、見ている側からすれば少し抑えたような入りをした。

 対して青学大の太田は最初の5kmを13分台で突っ込み、7.6km地点で佐藤に追いつく気迫のこもった走りをした。10km通過も佐藤は27分50秒だったのに対し、太田は27分28秒。太田はトラック1万mの自己ベストより50秒以上速いペースで走っていたのである。しかも、疲労の気配すら見せなかった。

 太田は佐藤の後ろにつき、レースを進める。出雲、全日本の2区で佐藤が早々に2位以下に優勝争いをあきらめさせる快走を見せた時は、トップでタスキをもらいその後も単独走だった。つまり今季の駅伝では競る経験がなく、それが数少ない不安要素でもあった。その不安が太田につかれたことで現実のものとなってしまう。

「自分のリズムで走れないのが苦痛だった」という佐藤を太田は18.2kmから突き放しにかかり、3区では日本人初の1時間の壁を突破する59分47秒で走破。太田は、これまでの日本人最高記録(2022年に東京国際大の丹所健が記録した1時間00分55秒)を42秒上回った佐藤からさらに4秒差をつけて中継した。

 青学大の4区・佐藤一世(4年)は12月に部内に蔓延したインフルエンザにかかり、その後虫垂炎になったという。駒大は全日本後に股関節を痛めたため、前回と同じ5区ではなく当日変更で4区に入れた山川拓馬(2年)だった。

 佐藤一世は、「レースプランは前半をハイペースで入って後半は耐えるだけとシンプルだった」と12月の体調不良の影響を微塵も感じさせず、最初の1kmをいきなり2分41秒というハイペースで入り、勢いをつける。4km通過は11分17秒。対する山川は練習不足への不安もあったのか4km通過が11分42秒と、追いかける側の鉄則といえる"突っ込む走り"をできず。8.9kmの二宮ですでに41秒差、小田原中継所では1分26秒差に開いた。

 その差は5区の山上りでさらに広がり、往路優勝の青学大と2位の駒大の差は2分38秒に。一縷の望みを持って迎えた復路の6区では4分17秒差と開き、勝負が決した。

【序盤3区間に潜んでいた差とは?】

「青学大には2区で詰められ3区で抜かれ......、そこですね。青学大のように1区をしのいで2区、3区で、というのではなく、うちは三本柱(篠原、鈴木、佐藤圭汰)をその3区間で使いながらアドバンテージを取れなかった。チーム内の動揺はどうしても出ました」と藤田監督は振り返る。

 もっとも駒大の往路記録は、優勝した前回大会を2分19秒上回る5時間20分51秒の大会記録でミスがあったわけではない。青学大は駒大の想定を大きく上回る、驚異的な走りをしたということだ。

「たら・れば」は禁物であることは承知の上で言えば、1区・篠原なら区間記録(1時間00分40秒)更新、2区・鈴木なら駒大記録ではなく日本人最高(1時間05分57秒)、3区・佐藤圭汰なら留学生に果敢に挑んだ高校時代のようにイェゴン・ヴィンセント(東京国際大、現・Honda)の区間記録(59分25秒)を更新しようという気概が表に出ていたら、チームの勢いも盛り上がったのではないか。それに挑めるだけの実力を備えている3選手ゆえ、なおさらそう思わざるを得ない。

 とはいえ、出雲と全日本を完勝して「駒澤一強」と注目される中、史上初の2年連続3冠獲得を必要以上に意識してしまった部分もあるだろう。

「体調不良もなかったので、私も若干、慢心ではないけど油断があったのではないかと思いますし、箱根駅伝に対する練習の組み立て方も工夫しなければいけなかったかもしれません」

 藤田監督が振り返るように、選手たちの意識が「勝ちたい」ではなく「勝たなければいけない」となってしまい、どこかに守りの気持が芽生えていたのかもしれない。

 それに対して青学大は、各選手が「箱根では120%の力を発揮しよう」という思いを持って走っていた。8区区間賞の塩出翔太(2年)は「監督からは『タイム差もあるから遊行寺までは余力を残しで淡々と行こう』と言われたけど、青学らしいのは積極的な走りだと思うので、最初から区間記録を視野に入れて走り出した」と思い返す。

 青学大の優勝は、12月に体調不良が多くあった中でのメンタル面も含めた調整力の高さがあってのもの。そして、わずかな気持ちの差が大きなタイム差につながる、箱根駅伝の怖さを示すものでもあった。