山﨑錬(ENEOS) 引退インタビュー 後編(全2回) この冬、社会人野球生活11年間を終え、引退を決めた名門ENEOS…
山﨑錬(ENEOS) 引退インタビュー 後編(全2回)
この冬、社会人野球生活11年間を終え、引退を決めた名門ENEOS(横浜市)の内野手・山﨑錬。山﨑は、2023年夏の甲子園で全国制覇した慶應高の出身で、2008年、高校3年の時に、主将として48年ぶりの甲子園出場を果たしている。歴代の名キャプテンとしても名前が挙がる山﨑は、慶應の「エンジョイ・ベースボール」をどう振り返るのだろうか?

慶應のエンジョイ・ベースボールを振り返ったENEOSの山﨑錬 撮影/村上庄吾
【後輩たちには感動をありがとう】
ーー2023年夏の甲子園を制したのが慶應高でした。OBとして感慨深かったと思います。
山﨑錬(以下同) 優勝の瞬間は感激しました。塾歌が最後にかかった時は涙が出そうなくらい。後輩たちには「感動をありがとう」と、そういう思いが一番大きかったです。
ーー自分の現役時代と比べて、今の選手の姿はどう映りましたか?
のびのびと、明るくやっている。その雰囲気は当時と大きくは変わっていないように思いました。でも一人ひとりのレベルは間違いなく高くなっていて、夏の県大会を見た時、とくに投手陣が全国レベルだと感じましたね。計算できるチームだな、と。僕が甲子園に出場した時より全体で合わせる細やかな練習が増えたと聞いているので、甲子園でもどこまでやれるかと楽しみにしていました。

2008年の春・夏の甲子園に慶應高の主将として出場した山﨑 撮影/浅田哲生
ーー全国優勝によってあらためて話題を集めたのが「エンジョイ・ベースボール」でした。
僕らを指導してくれた前監督の上田(誠)さんが長く掲げてきた指導スタイルで、この考えの大もとは、慶應大の監督を務めた前田祐吉さん(1930−2016)です。前田さんがその精神を「エンジョイ・ベースボール」と表現し、上田さんもENEOSの大久保(秀昭)監督も、前田さんの教えを受け継ぎ、それを自分流にアレンジして指導に当たっていたと思います。
【思い出深い大田泰示からの決勝ホームラン】
ーー「エンジョイ・ベースボール」について、今も尋ねられることが多いそうですね。
ENEOSで地方へ行き野球教室を開く機会があるんですが、そこではけっこう聞かれましたね。その時、正しい理解というよりは、言葉が独り歩きしている感はありました。
ーーどんなふうに説明しているんですか?
ひと言では難しいんですが、多くは「ただ楽しいだけじゃないんです」で始まって、どういう意識で野球をやるのか、そこにどれほどの思い入れがあるのか、そういった考え方を大切にしながら野球をやる。笑顔でわいわい楽しそうに野球をやることではなく、厳しいことを乗り越えるために主体的に取り組み、自分でどうしたらいいかを考えて、その結果勝ちを手にできればめちゃくちゃ楽しいよね、ということ、というふうに説明します。

エンジョイ・ベースボールが野球人生において大きな指針になっているという 撮影/村上庄吾
ーー自ら考えて挑む野球、というのがポイントになりそうですね。
上からの押しつけでなく自分で考えてやるということは、自分で責任を負えるかどうかになります。後悔しない一番の方法でもある。だから僕自身も「エンジョイ・ベースボールをやろう!」なんて思ったことはありませんし、チーム全員が自発的に動いてベストを尽くした先に「エンジョイ・ベースボール」があるのだと思っていました。
ーー自発的に動く中身は、それぞれの考え方でいいということですよね。
入部した時にみんな、自分にとっての「エンジョイ・ベースボール」って何だろうってきっと考えるはずなんです。今の自分に何ができるのかを考えながら、俺にとってはこうかなと思ったことを自分のなかに落とし込み、実践する。
「仲間への気配りを忘れず、大切にする」ということも前田さんが強く言われたことなので、チームのためにそれぞれが自分の持ち場でがんばって、大会前はメンバー外になった選手もビデオ係など多岐にわたって動きますし、勉強面ではヤバい選手に誰かが教える係になるというのもあって(笑)。そうやって動ける人間が多いと絶対にいい組織ができます。それは強く実感していることです。

東海大相模に勝利し甲子園出場を決めて喜ぶ山﨑(左)と慶應の選手たち 撮影/浅田哲生
ーー慶應高では全体練習は短く、自主練に重きをおいています。
僕の時は15時半くらいから練習が始まり、18時過ぎくらいには終わっていたと思います。まず、ノックがなかったんです。基本的にアップは各自で、そのあと投内連係をちょっとやったあとバッティング練習になり、その時に守備練習も兼ねる、みたいな。それで、はい、おしまいとなって、そのあとは自主練習です。トレーニングだけはグループ分けしてみんなでやりますが、それ以外はそれぞれが自由にやっていいんです。僕はいつも、自分でどんなことをしようかなと学生コーチと話しながら練習していました。
高校3年夏の県(北神奈川)大会決勝で東海大相模の大田泰示(現・横浜DeNA)から決勝ホームランを打ちましたが、あの一球はインコースのストレートで、自主練ではそこを打つ練習ばかりしていたんです。僕はパワーのある選手ではなかったのでこういう角度で打てばホームランになるかなと、こだわってやっていたことが大一番で活かせてうれしかったですね。
【"真面目なだけじゃ勝てない"恩師の教え】
ーー慶應のスタイルをとる学校も増えていると感じます。
自主性はすごく大事で、とくに指導者の選手への接し方が難しくなっている時代だからこそ、選手自身がきちんと自分の考えをもってやるというのは必要なことじゃないですかね。
ーー選手への言葉かけも大事になりますが、当時の上田監督は「好きならうまくなるよう努力しよう」「泥臭い野球をカッコよくやろうぜ」など、表現がユニークで絶妙でした。
上田さんはとにかく表現力がすごい。人の心をちょっとくすぐるような言葉を投げかけて、そうすると選手も自然とできるかもしれないと思うようになるんです。大久保監督もですが、ふたりとも人として最高におもしろい。「真面目なだけじゃ勝てね〜んだよ」とか言ってユーモア、遊び心があるんです。たくさんの人から愛される存在で、僕も大きな影響を受けました。
でも大久保監督は、「慶應の考え方がすべてではない、勘違いするな」とも言っておられて、みんな違う環境で野球をやってきているのだから自分の考えが当たり前と思ったらダメだぞ、と。いろいろなやり方があって当然で、僕も大学時代は、まったく違う考え方で野球をやってきた選手の姿をむしろ新鮮な目で見ていました。広い視野で捉えることが大切ですね。

ENEOSとどろきグラウンドにて 撮影/村上庄吾
【キャプテンシーとコミュニケーション】
ーーところで山﨑さんは抜群のキャプテンシーを発揮してきました。上田監督が慶應高のキャプテンとして印象に残る選手として、山﨑さんと東芝の佐藤旭さんを挙げています。
旭は僕が3年の時の1年生で、大学でも一緒。社会人ではライバルチームですがずっと連絡をとり合い、切磋琢磨してきた間柄でした。自分がリーダーの器なのかは何とも言えませんが、中学生の時からずっとキャプテンをやらせていただいて、高校の時に求めたのは「一体感」です。
横目で「あいつどうなんだろう」で終わらせず、仲間をちゃんと理解して、みんなが同じ方向を向いて野球をする。そういう一体感のあるチームにしたい、と。それを部長、監督、コーチ陣も賛同してくれて、高校の時はそれができたと思います。
でも、キャプテンがチームに影響を与えられる範囲ってやっぱりあると思っていて、大学の時はうまくいかず悩むことも多かったです。その反省から、社会人では一番キャプテンをやってみたいと思いましたね。この時、自分なりに心がけたのがコミュニケーション。それがとれていないのにあれこれ言っても相手に響かないと思うので、言い方と、言葉をかけるタイミングを考えて話をするようにしました。それがとてもうまいのが大久保監督です。

中学・高校・大学・社会人でキャプテンを務めてきた山﨑 撮影/浅田哲生
ーーこれまでの野球を通した経験は、この先大いに生かされそうですね。
「エンジョイ・ベースボール」が自分の物事の考え方の根底にある、というのは間違いないと思います。上田さん、大久保監督との出会いに感謝です。あとはぜひ、多くの人に社会人野球を見てほしいですね。
日頃はにこやかでも、ENEOSで一番の負けず嫌いなのは大久保監督なんです。試合前のダグアウトでは本当に集中していて勝負師の顔。カメラが入らないので多くの人は知りませんが、ここ一番にかける思いが伝わってきて、見たら誰もが驚くと思う。そんな裏側を想像しながら、一発勝負の試合を楽しんでもらえたらうれしいです。

ENEOSでは2度の都市対抗優勝を経験、ベストナインにも選出された 撮影/浅田哲生
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【プロフィール】
山﨑 錬 やまさき・れん
1990年、東京都生まれ。右投左打。大阪ドラゴンズで少年野球を始め、世田谷ボーイズを経て、慶應高へ。2年時よりレギュラーとなり、3年の2008年、二塁手として春・夏連続で甲子園出場。センバツは初戦敗退も、5打数4安打。夏は16打数7安打でチームはベスト8入り。慶應大時代は4年間で春の優勝2回を経験。ENEOS入社1年目と10年目に都市対抗野球で優勝。2022年はベストナインに選出される。中学、高校、大学、社会人で主将を務めた。