第96回箱根駅伝2区を走る相澤晃(左)と伊藤達彦(右) Photo by Nishimura Naoki/Aflo sports 東洋大時代の相澤晃(旭化成)は、"大エース"だった。 圧倒的な走力でロードを駆け、チームを牽引し、相澤がコケ…
第96回箱根駅伝2区を走る相澤晃(左)と伊藤達彦(右)
Photo by Nishimura Naoki/Aflo sports
東洋大時代の相澤晃(旭化成)は、"大エース"だった。
圧倒的な走力でロードを駆け、チームを牽引し、相澤がコケたら東洋大もコケると言われたほどの存在感を示した。主将でもあり、大学長距離界ナンバー1の選手だったが、相澤自らは「エース」についてどのように考えていたか、語ってもらった。
――東洋大時代、理想とするエースはいましたか。
「僕の中では、服部勇馬(トヨタ)さんです。速いエースはいると思うんですけど、僕が考えるエースは、走りも大事ですが精神的な支柱であることが大事だなと思っていて。実際、東洋に入学した後、勇馬さんが後輩から慕われていたという話を聞きましたし、僕もかなり慕っていました。また、勇馬さんは、寡黙に見えるんですけど、監督にも必要なことを言えるんです。エースって選手の代表でもあるので、選手の気持ちをスタッフに伝えるのも重要です。勇馬さんはそういう意味でも完璧なエースでした。タイプは違いますが、柏原(竜二)さんも東洋大らしいキャプテンでした。あの闘争心は、画面からも伝わってきて、すごいなって思っていました」
――相澤選手がエースを自覚するようになったのは、いつごろからですか。
「3年生の時からですね。1、2年の時は、先輩に速い選手がいましたし、下級生だったので特に意識していなかったです。誰かのために行動しようとか、チームをまとめようとか、まったく思っていなかったです。でも、3年になってひとつの上の修二(山本)さんが故障で走れない時期がつづいて、後輩の西山(和弥)も最初は走れていなくて......。そういうなか、僕が走りで全体をまとめられる存在にならないといけないと思ったんです」
相澤が3年時に出走した出雲駅伝は1区2位、全日本大学駅伝は8区区間賞、箱根駅伝は4区区間新で東洋大のエースとして表舞台に躍り出た。4年になるとエースとしてはもちろん、キャプテンとして東洋大をまとめる重責を担った。
――キャプテンとして周囲に気を配りつつ、エースとして走るのは負担が大きかったのでは。
「監督に、人間的に成長するためにもキャプテンをやってくれと言われたんですけど、小3から陸上を始めて、それまでキャプテンはやったことがなかったんです。それにひとつ上の小笹(椋・小森コーポレーション)さんがキャプテンをしていた姿を見ていて、きついなぁって思っていたので自分がやれるのかなって思っていました。でも、走りで引っ張っていくことからスタートして、仕事的には途中から最上級生全員がリーダーのように動いてくれたので、だいぶ助かりました」
――エースとしての責任感は、3年の時よりも一段と増した感じでしょうか。
「4年の全日本の時かな、僕が負けたらチームが負けるみたいなことが言われていたんですけど、そのとおりというか......駅伝は僕がしっかりと走り、区間賞を獲ることが大前提になっていたので、自分が走らなきゃっていう気持ちはすごく強かったです」
練習で、相澤は常に先頭に立って走り、チームを引っ張っていた。ポイント練習では他の選手には絶対に負けられないという気持ちで、緊張感をもって臨んでいたという。
――練習の時点から他選手に負けられないと意識していたと聞いています。
「そうですね。4年生の時は、本当にその気持ちが強くて、きついところを引っ張ったり、夏合宿ではいつも先頭で走っていました。そこに何か意味があるのかと思われるんですが、僕はすごく大事だと思っています。エースでキャプテンとしてチームを引っ張るという意志表示でもありますし、前で走ることで自分の競技力向上にもつながります」
――日常の積み重ねによって、エースとしての信頼度が増していくということでしょうか。
「僕は、その信頼が大事だと思っています。信頼されないエースなら意味ないと思うんですよ。僕は、大学3年までは、信頼されるようなタイプじゃなかったですし、僕自身も他人に興味がなかった。でも、普段の練習やレースで常に前で走ることで、『相澤さんならやってくれる』『相澤さんが走るから自分もがんばろう』って少しで思ってくれたらいいかなと。それって信頼がないとできないことなので、僕はエースとして100%の信頼度を得られるように意識して走っていました」
エースになってからの相澤は、レースで強さを示した。4年の夏のユニバーシアードではハーフマラソンで優勝。出雲駅伝では3区区間新、全日本大学駅伝は3区区間新の走りでチームを11位からトップに押し出す圧巻の走りを見せた。
――エースの走りとは、どういうものだと思いますか。
「レースによりますけど、最初から深く考えず、負けている状態であれば前を追って抜いていく。勝っている状態であればさらに突き放す。単純ですが、それがエースの走りだと思います。相手に相澤には勝てないと思わせることを意識して走っていました。うしろから抜く時は、追いつかせないようにスッと抜いて、相手の心を折る。そのぐらいの気持ちがないと駅伝では勝てないですから」
――エースに必要な要素とは、どういうものだと思いますか。
「ひとつは、負けず嫌いです。チームを背負って走る以上、負けてもいいとか、区間賞じゃなくてもいいと思っている選手はエースにはなれない。あとは、常に上を目指す気持ちですね。僕は、チームのエースというより大学長距離界のエースを意識していました。監督にも『大学長距離界のエースになれ』と言われていましたし、大学でエースになれないと日本選手権では全然通用しない。いつも上を意識していたからこそ強くなれたと思います」
――走力以外に必要なことはありますか。
「発言力ですね。僕は、そこまで挑戦的というか、強い言葉を発するタイプではないですけど、自分の言葉で伝える力は上に立つ人間には必要なことです。人間力というか、カリスマ性もあった方がいいですね。僕が知る限りエースと言われている人は、やっぱり何かしら飛び抜けているんですよ。例えば大迫(傑・Nike)さんは、間違いなく大の負けず嫌いですし、競技に対して常に自分中心で考えているじゃないですか。そういう姿勢が結果を生み、カリスマ性を生むのかなと思っています。僕も陸上についてはわがままになるって決めています」
エースに限らずだが、強力なライバルがいるとレースは盛り上がる。相澤の世代は、東京国際大、東海大、國學院大、青学大に強い同期がいた。
――エースとして成長するためにライバルの存在は必要ですか。
「大事ですね。大学時代は、伊藤(達彦・東京国際大―ホンダ)君がいいライバルでした。箱根駅伝の2区以外にも同じレースを走ることが多かったんですが、伊藤君に負けたくなかったから、あれだけ体が動いたし、ラストも絞り出せた。ライバルの存在が自分を成長させてくれたと思います」
■Profile
相澤晃(あいざわ・あきら)/1997年7月18日生まれ。福島県須賀川市出身。学校法人石川高等学校ー東洋大学ー旭化成。大学1年時に第48回全日本大学駅伝で学生駅伝デビューして以来、数々の記録を打ち立てる。4年時には学生三大駅伝(出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝)すべてで区間新記録、旭化成入社後の第104回日本選手権10000mでは27分18秒75の日本新記録を樹立した。東京オリンピック10000m代表として出場。」