富栄ドラムインタビュー 後編(前編:『VIVANT』撮影秘話「僕自身はスマホの文字入力が遅い」>>) 大ヒットドラマ『VIVANT』(TBS系)のドラム役でブレイクを果たした富栄ドラム。かつて伊勢ヶ濱部屋に所属した力士で、ケガの影響で関取に…

富栄ドラム

インタビュー 後編

(前編:『VIVANT』撮影秘話「僕自身はスマホの文字入力が遅い」>>)

 大ヒットドラマ『VIVANT』(TBS系)のドラム役でブレイクを果たした富栄ドラム。かつて伊勢ヶ濱部屋に所属した力士で、ケガの影響で関取には届かなかったものの、日馬富士や照ノ富士といった横綱の付け人を務めた。2021年に引退し、セカンドキャリアでチャンスを掴んだ富栄ドラムに、力士時代の思い出や自身のキャリアを振り返ってもらった。



『VIVANT』でブレイクした、元力士の富栄ドラム Ptoto by 長田慶

【林原めぐみが声を務める『名探偵コナン』の灰原哀のファンだった】

――富栄ドラムさんは2007年に伊勢ケ濱部屋の門をたたきますが、まずは「相撲を始めよう」と思った理由を聞かせてください。

ドラム 子供の頃は「プロレスラーになりたい」と思っていて、まずは柔道を始めたんですが、喘息持ちだったので「長い時間戦うことは難しいな」と思うようになったんです。そうして将来について悩んでいる時に、伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)から「相撲をやればプロレスラーの夢にも近づける」と声をかけていただきました。

 小さい頃から目立つことは好きだったので、「ちょんまげを結って注目されたいな」とも思いましたし、当時は家がそんなに裕福ではなかったので、「相撲部屋に入れば、好きなものを好きなだけ食べられるのでは?」とも考えました。最初はそういった動機でしたが、やってみることにしたんです。

――子どもの頃に憧れていたプロレスラーはいらっしゃいますか?

ドラム 当時はアメリカのWWEが好きで、ストーン・コールド・スティーブ・オースチン選手や、現在は俳優として活躍されているザ・ロック選手(ドゥエイン・ジョンソン)を応援していました。僕もケガをしていなかったら、「今からでもプロレスラーになりたいな」と思うくらい今でもプロレスが好きです。WWEで展開されるさまざまなやり取りやストーリー展開は芝居に共通するものがありますし、そういった意味では芸能界の仕事に通じる要素もあるのかなと思います。

――他に見ていたスポーツやテレビ番組はありますか?

ドラム 相撲部屋に入ってからは見る機会も減りましたが、プロ野球中継や、バラエティ番組の『笑う犬の冒険』とか、『名探偵コナン』も見ていました。コナンでは灰原哀が好きでしたね。

――灰原哀の声は、ドラムがコミュニケーションをとる時に使う翻訳アプリの声を務めた、林原めぐみさんが担当されていますね。

ドラム そうなんです。灰原哀の声が好きで、一時は恋をしている時期もあったくらいです(笑)。まさか、ドラマで自分の役の声をやっていただけることになるとは思わなかったので、とにかく嬉しくて。ドラマをきっかけに林原さんとお会いした時に、僕とふたりでドラム役をやっていると声をかけてくださったり......いろいろと気にかけてくれたことが本当に心強かったです。

【日馬富士らの付け人時代に学んだ「気遣い」】

――『VIVANT』で大ブレイクした富栄ドラムさんは、力士時代に元横綱・日馬富士さんの付け人を務めていました。どのような経緯で担当されることになったのでしょうか?

ドラム 僕が部屋に入って2年半くらい経って、3段目に上がる前だったかと思います。当時の日馬富士関は、まだ「安馬」という四股名で、関脇から大関に昇進する頃でしたね。

 1年目は伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)の付け人をさせていただいていて、2年目は3段目などの先輩の買い出しを手伝ったりしていたんですけど、ふと「世話役をやるならば、トップの人に付いた方が勉強になるかな?」と思って。親方の同意をいただき、日馬富士関の付け人を引退の直前までやらせてもらいました。

――日馬富士さんからはどのようなことを学びましたか?

ドラム 日馬富士関は優しくて、とてもファン思いの方でした。ファンに写真撮影を頼まれた時にも、きめ細かい配慮をしながらサービスをされていましたし、その気遣いの様子を見ているだけでも僕はとても勉強になりました。

――付け人をやる上で大切にしていたことは?

ドラム 「何する時も全力でやること」「物を取りに行く時は全力で走る」など、気遣いを意識していました。日馬富士関の付け人を務めていると、だんだん横綱と阿吽の呼吸で意思疎通ができるようになってきて、横綱の目を見るだけで「何をしたいのか」が感じ取れるようになったんです。そうして「お前は付け人の中で気が利く」「相撲の才能がある」と褒めていただいたことは、今も誇りにしています。

――『VIVANT』で演じたドラムも野崎守(阿部寛)のサポート役を務められていましたが、付け人の経験は役に立ちましたか?

ドラム 今回のドラムは「付け人の役」のような部分もありますから、相撲部屋にいた頃の経験が役に立ちました。例えば、横を歩く時に阿部さんに場所を譲ったり、ちょうどいい間隔で後ろを付いていったり、気遣いをする演技などに生かせたかなと思います。

【貴景勝との対戦で思わぬ驚き】

――どの世界でもそうかもしれませんが、相撲界にもさまざまな特殊なルールがあるそうですね?

ドラム そうですね。角界全体では、着物以外での外出が禁止されていたり、3段目に昇進すると雪駄を履けたり、幕下になると「外套」というコートと博多帯を付けられたり......といったルールがありました。それ以外にも「幕下以上は自室にテレビを置いていい」とか、部屋ごとにもさまざまな規則が設けられています。

――自身も幕下に上がり、服装が変わった時の気持ちを覚えていますか?

ドラム 僕が幕下に上がった時に日馬富士関が刺繍付きの博多帯をくださって、日馬富士関のお母さんからも手作りのカシミアのコートをいただきました。格好が変わっただけなのに、かなり気持ちが引き締まったことを覚えています。

――逆に、相撲部屋に入ってから最もつらかった思い出を聞かせてください。

ドラム 僕は「小学校から相撲をやってきた人たちとの差を、少しでも縮めないといけない」という一心で、普通より少し早い中学校3年生の3学期に相撲部屋に入ったんですが......1年目の厳しい稽古が今でも忘れられません。

 足が上がらなくなるくらい四股を踏む稽古もそうですが、厳しい上下関係もあって、社会のことを知らない子どもがたくさんの大人に囲まれて過ごす環境は、当時の僕には本当にしんどかった。朝から晩まで練習などに追われる日々は"相撲道の修行の一環"でもあるんですけど、やっぱりつらかったですね。

――2008年3月場所(大阪)が初土俵でした。

ドラム 初土俵だけは、本名の「冨田」で土俵に上がったんですが、この時は前相撲で、全国3位だった同級生の力士を1秒で押し出して勝ちました。それもあって、「全国3位なら、将来は大関くらいの実力かな? それに勝ったなら、1年で十両に上がって、5年で横綱になれないかな?」とか、当時の僕は相撲を軽く考えていて「世間知らずだったな」と思います(苦笑)。

――印象に残っている取り組みはありますか?

ドラム 現在、大関として活躍している貴景勝関との取り組み(2015年3月)ですね。貴景勝関が「世界ジュニア相撲選手権大会優勝」の肩書きを引っ提げて角界に入ってきた時に、貴景勝関の連勝記録を止めたのが僕なんですよ。今では、それがちょっとした自慢なんです。

 当時の貴景勝関は、「佐藤」という四股名で相撲を取っていたんです。試合前に佐藤の取り組みをYouTubeで見て、「勝てそうだな......」と思ったんですが、いざ土俵に上がってみると、動画とは別人の佐藤関が出てきたんですよ(笑)。

――ご覧になられていた動画は、同じ四股名の別人のものだった?

ドラム そうなんです(苦笑)。実際に貴景勝関の姿を見た時には「前の場所で序二段の優勝インタビューを受けていた人だ」と驚きましたけど、緊張せずに取り組みに入れたせいか、なんとか勝つことができて。今振り返ると、力まなかったことが勝因だったのかなと思います。

【2023年のブレイクに「必死に努力すれば報われるんだ」】

――現役時代、取り組み前の土俵ではどんなことを考えていましたか?

ドラム 僕は身体が小さいですし、普通のやり方ではなかなか勝てない。取り組みが始まった瞬間に「火事場の馬鹿力」を出せるように、気持ちや精神を落ち着かせていました。

 相手の出方によって柔軟な対応が求められる点では、芝居の掛け合いと相撲の試合は似ているところがあると思います。『VIVANT』の撮影中も現役時代を思い出しながら、とっさのことにも対応できるよう、他の役者さんたちのちょっとした仕草でも見逃さないようにしていました。

――ケガによって2021年に引退することになるわけですが、その時の心境を聞かせてください。

ドラム ケガがなければ、今でも相撲を続けていたかもしれませんね。それ以外に、コロナ禍や身内に不幸があったことなどさまざまな要素がありましたが、「次のやりたいことに向けてスタートを切ったほうが、僕の人生にとって有意義なのでは?」という思いが強くなりました。当時の僕は20代の後半に差し掛かっていたのに、まだ車の免許すら持っていなかった。各界以外の世界を何も知らない自分に気づいて、危機感を抱くようになったんです。

――その後はYouTuberなどを経て、俳優としての大抜擢につながるわけですが、なぜ芸能界入りを決めたのでしょうか?

ドラム 僕は相撲をしている時にも「大関や横綱を目指すより、人気のある幕内力士になって、相撲を通じてみんなを笑顔にする」ことを目標にしていたんです。ケガの影響で引退を決めた時に、「相撲以外のやり方でも、その夢は叶えられるのではないか?」と思うようになって。YouTubeを始めた頃は不安だらけでしたし、「そんなに人生は簡単にいかないだろう」と思っていましたが、必死に悩み抜きながら頑張ってきました。

――富栄ドラムさんの存在を広めた『VIVANT』は、世界配信や総集編の放送も決定しています。まだ作品を見ていない、見直す視聴者に向けて、お気に入りのシーンはありますか?

ドラム 僕がお餅を食べているシーン(第4話)とか、中華料理屋で野崎と一緒に乃木(堺雅人)のスマートフォンに書かれている銀行口座の額面を覗き見る場面を見てほしいです。あとは、日本とモンゴルのすばらしい景色の映像もたくさん出てくるので、ストーリーと合わせて迫力のある映像も楽しんでもらえたら嬉しいです。

――富栄ドラムさんにとって、2023年はどんな年でしたか? 2024年の抱負も併せて聞かせてください

ドラム 2023年はめちゃくちゃ大変な日々を過ごしましたが、自分の努力を上回るくらい、多くの成果が得られた1年だったように思います。力士としては苦労も多く、いくら頑張っても芽が出ずに心が挫けてしまいそうな経験もしてきましたけど、「必死に努力すれば報われるんだ」と心の底から思えた1年でした。2024年以降も引き続き、目の前の仕事を全力で頑張っていきたいです。

【プロフィール】
富栄ドラム (とみさかえ・ドラム)

 1992年4月11日 兵庫県生まれ。中学校を卒業後に伊勢ヶ濱部屋に入門。「冨田」として2008年春場所で初土俵を踏んだあと、四股名を「富栄」に変更する。最高位は東幕下6枚目(2018年11月)。ケガの影響などにより2021年春場所に現役を引退した。その後はYouTubeなどでのタレント活動を経て、俳優として『サンクチュアリ -聖域-』(Netflix)や『VIVANT』(TBS系)といった話題作に出演するなど、活躍の場を広げている。