「6区の伝説」といえる成績を残した谷口 photo by 日刊スポーツ/アフロ【肉体的負担の大きい"山下り"の過酷さ】 箱根駅伝の6区、"山下り"もまた、たびたび名手が誕生する区間だ。20.8kmの現コースでは、芦ノ湖(標高710m前後)か…
「6区の伝説」といえる成績を残した谷口
photo by 日刊スポーツ/アフロ
【肉体的負担の大きい"山下り"の過酷さ】
箱根駅伝の6区、"山下り"もまた、たびたび名手が誕生する区間だ。20.8kmの現コースでは、芦ノ湖(標高710m前後)から国道1号の最高点(標高874m)まで4.5kmを上り切ると、そこからは急激な下りが続く。平地では体感できないスピードを出すことができるだけに、いかにブレーキをかけずに、ロスが小さいようにコース取りをしながら走ることがポイントだ。
また、ラスト3kmは傾斜が緩やかになるが、そこまでに体力を使い切っていると、緩やかな下りでも、上っているかのような錯覚に陥ることもあるという。足裏へのダメージも大きく、シューズ内でマメがつぶれ足裏の皮膚がめくれ上がることもある(その対策として、合宿所に砂利を持ち込み、砂利の上で毎日足踏みして、足裏の皮膚を厚くしようと試みるチームもあった)。つまりは、選手への負担が大きいゆえ、思わぬトラブルに見舞われることが多い区間なのだ。
近年は、どのチームもしっかりと対策して臨んでおり、他の区間に比べると差が開きにくい区間でもある。その一方で、ひとつでもミスやトラブルがあると、思わぬ大差がつくこともあるので侮れない。
【山下りの伝説・谷口浩美】
6区の伝説といえば、日本体育大の谷口浩美だろう。
谷口は大学卒業後に旭化成に進み、1991年世界選手権東京大会で男子マラソンの金メダルを獲得、オリンピックにも1992年バルセロナ、1996年アトランタと2大会連続出場した名ランナーで、箱根でも圧倒的なパフォーマンスを見せた。
大学2年時から3年連続で山を駆け下りた谷口は、走った3回(1981年・第57回〜1983年・第59回)すべてで区間賞を獲得。さらには、3、4年時は2年連続で区間新記録を樹立した。区間2位の選手には、それぞれの年に2分25秒、3分20秒もの大差をつけている。比較的差がつきにくい6区で、区間2位とのこの差は驚異的だ。
大学4年時に打ち立てた57分47秒の区間記録はさらに驚くべきタイムだ。今より距離が短かったとはいえ、58分どころか1時間を切ることもできない選手がほとんどだった時代のことなのだ。記録を見るだけでも、谷口がいかに抜きんでた存在だったかが分かる。
惜しむらくは、その3年後の1986年(第62回)大会に中継所の位置が約100m長くなり、走った年を含めたった3年間しか区間記録として残らなかったことだ。そのため、日本テレビによる箱根駅伝中継が始まった1987年には幻の記録となっていた。もし谷口の時代に完全中継されていたら、お茶の間に大きな衝撃を与えていたに違いない。
【忽然と登場した中澤晃の衝撃】
谷口が走った当時の6区は20.5kmとなっているが、度々再計測があるため正確ではない。おそらく現在よりも約100m短かっただけではないか。となると、現距離に換算すれば、わずかに57分台には届かないことになるが、それでも谷口に匹敵する走りを見せる選手はなかなか現れなかった。谷口が卒業した後にも、仲村明(順天堂大)、川嶋伸次(日体大)、島嵜貴之(大東文化大)、広瀬諭史(山梨学院大)と、何人も山下りの名手が誕生しているが、コースが延伸したとはいえ、57分台はおろか、58分台もまた夢の記録。1997年には専修大の小栗一秀が59分07秒の区間記録を打ち立てたが、58分台にはあと一歩届かなかった。
その翌年の1998年、忽然と現れた山下りのスペシャリストが神奈川大の3年生、中澤晃だ。59分の壁を突破し58分44秒の区間新記録を打ち立てた。
中澤は2位・駒澤大に13秒差のトップで復路のスタートを切った。駒大の6区・河合芳隆は1万mの持ちタイムでは中澤より約20秒速かったが、一気に突き放して2年連続の総合優勝に大きく前進した(河合も区間4位と悪い走りではなかった)。3年生の頃の中澤は1万mの公認タイムが29分40秒に過ぎない選手(当時6区を走った選手では5番目)だっただけに、余計に衝撃は大きかった。
中澤は4年生になって1万mで28分台(28分58秒)をマークしている。今となっては信じられないかもしれないが、当時28分台を持っていれば学生トップクラスだ。この走力を持って迎えた最後の箱根駅伝でも、中澤は平地区間には回らずに6区に挑んだ。
1999年も神奈川大は優勝候補の一角だったが、往路で出遅れ、中澤は6位でスタートを切った。上位4校とは大差がついていたため、順位はひとつ上げただけだったものの、快調にペースを刻んだ中澤は58分06秒と、自身の区間記録を38秒も更新した。57分台に届かなかったとはいえ、最後の箱根で残したインパクトは大きかった。
2年連続で衝撃を与えた中澤
photo by KYODO NEWS
その翌年の2000年、5区と6区のコースは旧街道の杉並木から箱根神社の大鳥居をくぐるルートに変更となった。距離自体は変わらなかったものの、コース変更に伴い、中澤の記録も翌年には幻のものとなった。谷口の記録もそうだったが、すぐに参考記録扱いになったのは寂しく思う。仮にコース変更がなかったら、おそらくは2017年に秋山清仁(日体大)が58分01で走るまで18年間残っていたのではないか。
翌年にコース変更があった上に、中澤は一般企業に就職し競技を続けなかったため、中澤が取り沙汰されること自体が少ないが、特筆すべき山下りのスペシャリストのひとりだった。
その後には小野田勇次(青山学院大)や館澤亨次(東海大)が57分台をマークし、現在は58分台が当たり前の時代になってきた。
5区、6区は度々細かいコース変更があるため、他の区間に比べるとなかなか長く区間記録が残らないが、谷口や中澤のように図抜けたスペシャリストがいたことは後世に伝えていきたい。