現在では、芝生の上でサッカーが展開される。だが、かつての日本では芝生とサッカーは、それほど密接な関係ではなかった。その…

 現在では、芝生の上でサッカーが展開される。だが、かつての日本では芝生とサッカーは、それほど密接な関係ではなかった。その「証拠」を、蹴球放浪家・後藤健生がつづる。

■陸上トラックのあるべき姿

 次にご紹介するのは「本来芝生がないはずのところに芝生があった」という話です。「芝生がないはずのところ」とは、陸上競技場のトラックの部分のことです。

 最近の陸上競技場のトラックはポリウレタンや合成ゴムで造られていていますが、トラックの色は最近は青も増えてきましたが、やはり主流は「赤褐色」、「煉瓦色」です。

 それは、全天候型になる前に使われていたアンツーカの名残です。アンツーカというのは煉瓦を粉にしたようなもので、鮮やかなアンツーカのトラックとフィールド部分の緑の芝生の対比はとても美しいものでした。

 アンツーカが使われる前には灰を敷き詰めたり、普通の土のままだったりしたわけですが、いずれにしてもトラックには芝生はないはずです。

■映画館で得心

 ところが、です。

 1981年に、僕はワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)を観戦にオーストラリアに行ったのです。開幕戦は開催国オーストラリア対前回優勝のアルゼンチン。会場はシドニー・クリケットグラウンド(SCG)の予定でした。ところが、SCGの照明塔が危険な状態であることが判明したので、急遽、隣にあるシドニー・スポーツグラウンド(SSG)に変更になりました。

 SSGのスタンドに座ってグラウンドを見て、僕はビックリしました。

 陸上競技場であるはずのSSGは、グラウンド一面が芝生だったのです。つまり、陸上競技のトラック部分にも芝生が張られていたのです。たしかに、走路となる部分にはラインが引かれていますから。しかし、そこには芝生が張られているのです……。

 昔は、芝生のトラックというものがあったということを、当時の僕は知りませんでした。

 1981年に公開された映画に「炎のランナー」という英国映画がありました(ヒュー・ハドソン監督)。1924年のパリ・オリンピックを目指すランナーたちの物語です。

 日本で公開されたのは翌1982年。僕も早速見に行きました。そうしたら、主人公たちが走っている大学のグラウンドのトラックには芝生が張ってあったのです。「ああ、昔はそういうトラックがあったんだ」と僕はそこで初めて納得したのです。

■ルールの変遷

 今では、陸上競技場のトラックは400メートルと決まっていますが、1920年代くらいまでは300メートルのトラックもあれば、500メートルのものもありました。

 その後、オリンピックなどを開く競技場ではトラックは400メートルと決められ、そして、そのフィールド部分の芝生をフットボールに使うという方法が一般化したのも1920年代から1930年代くらいのことでした。そして、その頃までは芝生のトラックというのもあったのです。

 SSGは、その頃の名残を残した古い伝統を持つ陸上競技場だったというわけです。

 なお、照明塔の問題は解決したようで、ワールドユースの準決勝と決勝は無事にSCGで開催され、決勝では西ドイツ(当時)がカタールを破って優勝しました。

 カタールがこうした大規模な国際大会で決勝に残ったのも初めてのことでしたが、決勝戦と当日は激しい雨に見舞われたのでカタールにとっては気の毒でした。もちろん、西が丘サッカー場とは違って、SCGの芝生は奇麗だったのですが、それでもグラウンドのあちこちには水が浮いていました。

いま一番読まれている記事を読む