現在では、芝生の上でサッカーが展開される。だが、かつての日本では芝生とサッカーは、それほど密接な関係ではなかった。その…

 現在では、芝生の上でサッカーが展開される。だが、かつての日本では芝生とサッカーは、それほど密接な関係ではなかった。その「証拠」を、蹴球放浪家・後藤健生がつづる。

■かつての「唯一のサッカー場」

 高円宮杯全日本U-15選手権で鹿島アントラーズジュニアユースが優勝を飾りました。クラブのレジェンド小笠原満男さんのご子息、小笠原央選手が本山雅志さんのようなキレキレのドリブルを見せたのをはじめ、テクニックのある選手たちが繰り広げる攻撃的サッカーは魅力的でした。

 準決勝のサガン鳥栖U-15戦は7対0の快勝。決勝戦は大宮アルディージャU15が縦へのドリブルで対抗して2対2のまま延長戦に突入しましたが、最後は平島大悟が強烈なシュートを決めて鹿島がタイトルをつかみました。

 準決勝と決勝戦の舞台は東京の味の素フィールド西が丘でした。最近の西が丘は本当に素晴らしい芝生に覆われていて、彼らがテクニックを発揮するのに絶好の舞台だったようです。

 しかし、昔は西が丘の芝生はひどい状態のことが多かったのです。

 陸軍施設の跡地に西が丘サッカー場が完成したのは1972年のことでした。

 東京唯一のサッカー専用スタジアム。ピッチの四隅に照明塔が設置されたコーナーライティングも新鮮でしたし、収容力は1万人程度でしたが、将来は拡張の計画もあるというのでサッカー・ファンの期待が集まりました。

 しかし、「唯一のサッカー場」だったため多くの試合が行われ、その結果、芝生は禿げ上がってしまったのです。

■ひどい芝生

 昔は、日本の芝生(夏芝)は冬になると枯れて白くなってしまうものでした。トヨタカップで来日したヨーロッパや南米の選手たちは、国立競技場の真っ白な芝生を見て、「これが芝生か?」と訝ったということです。

 しかし、いくら真っ白でも芝生があればまだ良い方です。夏場に張り替えた西が丘サッカー場の芝生は、日本サッカーリーグ(JSL)や関東大学リーグの試合で酷使され、秋が深まってくるとすっかり禿げてしまい、12月に全日本大学選手権(インカレ)が行われる頃になると、芝生らしきものは姿を消して土のグラウンドになってしまいます。木枯らしが吹くと土煙が舞い上がる……。そんな状態でした。

 西が丘では、ワールドカップ予選が行われたこともあります。日本サッカーの低迷期には、ワールドカップ予選でも収容1万人のスタジアムで十分だったのです。1989年の6月にはイタリア・ワールドカップ1次予選のインドネシア戦が行われましたが、雨に見舞われて芝生の禿げた西が丘のピッチは泥沼状態。インドネシア代表から、だいぶ文句を言われたということです。

 とにかく、日本のサッカー場の芝生の状態はひどいものでした。

■東海地方の怪異

 そんな時代に、東海地方のある都市に市営のサッカー場が造られました。そして、完成したサッカー場を見てびっくり。新しいサッカー場のピッチには芝生が植えられていたのですが、なぜかペナルティーエリア内だけ芝生がなかったのです。

 市役所のサッカー場建設担当者はサッカーのことをほとんど知らなかったので、各地のサッカー場を見学に行ったんだそうです。そうしたら、どこに行っても、ゴール前の芝生が禿げていたのです。それを見た担当者は「ああ、サッカー場のゴール前には(野球場の内野のように)芝生は要らないんだ」と思って、それでペナルティーエリア内には芝生を張らなかったんだそうです。

 この話は、その街で熱心にサッカーを教えていた学校の先生から聞いた話なので、たぶん本当のことだろうと思います。

 以上は「本来芝生があるべきところに芝生がなかった」という話題です。

いま一番読まれている記事を読む