7月30日に幕を閉じた世界水泳ブダペスト大会で、日本競泳陣は銀メダル4個、銅メダル3個を獲得した。平井伯昌監督は今大会の結果について、「金メダルが0個というのは残念な結果ですが、4位に入ったのが5種目、決勝に2名が進んだ種目が6種目あ…

 7月30日に幕を閉じた世界水泳ブダペスト大会で、日本競泳陣は銀メダル4個、銅メダル3個を獲得した。平井伯昌監督は今大会の結果について、「金メダルが0個というのは残念な結果ですが、4位に入ったのが5種目、決勝に2名が進んだ種目が6種目あったということは評価できます」と振り返った。



世界水泳でメダルを獲得した選手たちと平井監督(右上)

 4位を獲得した5種目のうち、混合400mフリーリレーは五輪種目ではないが、男子100m背泳ぎの入江陵介と男子100m平泳ぎの小関也朱篤、女子400m個人メドレーの大橋悠依、男子メドレーリレーは、メダル獲得まで視野に入れていた種目。その目標は達成できなかったものの、「今回の悔しさが次に活きる」と平井監督は評価する。

 また、決勝に2名進出した種目は男子200m平泳ぎとバタフライ、男女の200m・400m個人メドレーだが、注目すべきは個人メドレーにエントリーした選手が全員決勝まで進み、合計3個のメダルを獲得したということだろう。

 スイミングスクールに通いはじめた子供たちが、まずは4泳法(クロール、平泳ぎ、バタフライ、背泳ぎ)を泳げるようになることを目標にするように、個人メドレーは競泳の基礎能力の高さが要求される種目。昨年のリオデジャネイロ五輪で萩野公介と瀬戸大也が”ダブル表彰台”を実現させるなど、今でこそ日本の得意種目と見られることもあるが、日本人選手の活躍が目立つようになったのは、ここ数年のことだ。

 個人メドレーが五輪で実施されるようになったのは、1964年東京大会の男女400mが最初で、1968年のメキシコシティ大会からは200mも行なわれている(1976年と1980年は実施せず)。その歴史の中で日本がメダルを獲ったのは、2000年シドニー大会の女子400mに出場した田島寧子(銀メダル)が初めて。男子は2012年ロンドン大会の400mで、ようやく萩野が銅メダルを獲得した。

 一方、1973年から始まった世界水泳では、2011年に男子400mで堀畑裕也が銅メダルを、2013年の男子200mで萩野が銀メダルを獲得。女子は1998年の400mで田島が銅メダルを獲得したものの、それ以降はメダリストが出ていない。200mに関しては、2015年に渡部香生子が銀メダルを獲るまで、世界の高い壁に阻まれ続けてきた。

 日本の選手たちは個人メドレー以外の単種目では多くのメダルを手にしてきたが、世界的には複数種目で強さを発揮できる選手が高く評価されている。その代表例が、2008年北京五輪で8冠を達成し、1972年のミュンヘン五輪で7個の金メダルを獲得したマーク・スピッツ(アメリカ)の記録を塗り替えた、アメリカのマイケル・フェルプスだ。

 フェルプスはバタフライと個人メドレーを専門種目とし、五輪では23個、世界水泳で26個もの金メダルを獲得。200m個人メドレーに関してはリオデジャネイロ五輪まで4連覇を果たしており、”水の怪物”と称されている。彼は専門外の自由形でも複数のメダルを獲得しているように、4泳法の単種目でも世界のトップレベルの泳ぎができなければ、個人メドレーで頂点に立つことは難しい。そんな種目で日本勢が力を伸ばしてきたことは、選手の総合力が上がってきたという証明だ。

 近年は、個人メドレーを含めた複数種目で結果を残す日本人選手も多くなっている。その先駆けとなったのは、やはり萩野と瀬戸だ。萩野は2013年に行なわれた世界水泳の400m自由形で銀メダルを獲得し、2014年のアジア大会では、100m・200m背泳ぎでも3位に入っている。瀬戸も個人メドレーと200mバタフライを並行して行ない、今大会はバタフライの方で銅メダルに輝いた。

 女子選手も、2015年大会の200m個人メドレーで銀メダルを獲得した渡部は、本職の平泳ぎで多くのメダルを獲得してきた。また、もともと200m平泳ぎが専門の今井月(るな)は、今大会の200m個人メドレーで5位に入り、同種目で日本新記録を更新して銀メダルを獲得した大橋悠依も、かつては背泳ぎを専門としていて、日本選手権では200mに出場している。

 個人メドレーに挑戦する選手たちが単種目で活躍することは、それぞれの種目を専門にしている選手たちに刺激を与える。個人メドレーに出場した選手全員が結果を残した今大会は、東京五輪に向け、日本水泳界の層をより厚くするために大きな成果を上げたといえよう。