名馬トウカイテイオーの同期に、ナイスネイチャという馬がいる。 現役時代、トウカイテイオーは12戦9勝。うちGI4勝と、輝かしい実績を誇る。 一方、ナイスネイチャは41戦7勝。重賞は4勝しているものの、GI勝ちはひとつもない。 相撲で言…

 名馬トウカイテイオーの同期に、ナイスネイチャという馬がいる。

 現役時代、トウカイテイオーは12戦9勝。うちGI4勝と、輝かしい実績を誇る。

 一方、ナイスネイチャは41戦7勝。重賞は4勝しているものの、GI勝ちはひとつもない。

 相撲で言えば、大横綱と前頭くらいの”格”の違いがあり、その成績においては比べようもない。

 だが、”存在感”という点においては、ナイスネイチャも負けてはいない。

 例えば、「トウカイテイオーのようなヤツ」という比喩(ひゆ)はあまり聞かないし、そう言われてもあまりピンとこない。しかし、「ナイスネイチャのような……」と言えば、当時の競馬ファンであれば、「ああ、そういうヤツか」といった想像を巡らすことができるのではないか。

 ひと言で言って、「もどかしいヤツ」ということだ。

 競馬では、典型的なジリ脚。毎回、いい感じで追い込んでくるが、そこからジリジリとしか伸びない。強い相手とやっても、弱い相手とやっても、それは変わらないのだ。

 ナイスネイチャの持つ、いまだ破られていない”珍記録”がある。GI有馬記念(中山・芝2500m)の3年連続3着である。このことから「ブロンズコレクター」の異名をとる。

 メジロマックイーンがダイユウサクに負けた、有馬記念史上に残る番狂わせが起きたときも、3着だったのはナイスネイチャだ。


有馬記念3年連続(1991年~1993年)3着という

「珍記録」を持つナイスネイチャ

 力がないわけではない。だが、なぜか”ここ”という勝負どころでは、見ている側がじれったくなるような、ジリ脚しか使えない。

 それでも、ナイスネイチャはいつも一生懸命走っていた。自らの力を常に出し切っていた。

 ゆえに、多くのファンが共感を覚えた。

「ナイスネイチャのようなヤツ」という例えも、相手をバカにしたり、見下したりするときではなく、多少の不満や物足りなさはあっても、「憎めないヤツなんだよ」と、むしろ、ある種の愛情が込められた意味合いで使われていた。

 そんなナイスネイチャにも、「未来の大器」と注目された短い夏があった。

 1991年のことだ。

 もともと脚元に弱いところがあったナイスネイチャは、この年、4歳(当時。現3歳)のクラシックを目前にして骨膜炎を発症。およそ5カ月半の休養を余儀なくされた。

 その結果、春のクラシックは棒に振ったが、この休養によって、馬としては見違えるほどよくなっていた。

 復帰初戦は2着だったが、その後は500万下、900万下(現1000万下)を連勝し、次に駒を進めたのがGIII小倉記念(小倉・芝2000m)だった。

 今週末、小倉競馬場では第53回小倉記念(8月6日)が開催されるが、26年前の同じ舞台にナイスネイチャも挑んでいた。

 この時期、4歳馬と古馬が混じっての一戦、それも重賞となれば、4歳馬がまだ成長途上な分、どちらかと言えば古馬のほうに分がある。

 まして、ナイスネイチャは初の重賞挑戦。さらにこのレースには、ヌエボトウショウやイクノディクタスなど、牝馬ながらも重賞勝ちがあって、GIでも好走するような骨っぽいメンバーがそろっていた。

 しかし、そうした状況にあっても、ナイスネイチャは圧倒的な1番人気に支持された。そして、その人気に見事応えた。

 レースでは道中、4番手あたりを追走。4コーナー付近で、他の有力馬が一気に仕掛けると、それを待っていたかのように、外からかぶせ気味にスパートした。

 そこからが、またすごかった。

 古馬の一線級を相手に、1頭だけ「格が違うよ」と言わんばかりの末脚を炸裂させた。あっさり先頭に立って、そのまま後続を突き放していったのだ。

 終わってみれば、2着のヌエボトウショウに2馬身差をつける完勝。当時を知るファンがこう証言する。

「このときのナイスネイチャのパフォーマンスは、生涯最高と言っていい。強かった。本当に強かった。この先、どこまで強くなるんだろうって思いましたよ」

 ナイスネイチャはその後、当時菊花賞トライアルだったGII京都新聞杯(京都・芝2200m)をも制して4連勝を飾った。その勢いを買われて、GI菊花賞(京都・芝3000m)では2番人気に推されたが、4着に敗れた。続くGII鳴尾記念(阪神・芝2500m)で再び古馬との勝負に快勝すると、前述のダイユウサクが勝った有馬記念に挑んだ。

 以降、上位争いには加わるも、さっぱり勝てなくなった。

「強い」ナイスネイチャが、次第に「ナイスネイチャのような……」といった例えが生まれるような、愛すべきキャラクターの”善戦マン”に変わっていくのである。

 それでも、その後に一度だけ、ナイスネイチャが輝きを取り戻したことがある。

 当時は芝の2000m戦で、GIIだった1994年の高松宮杯(中京。現在GIの高松宮記念の前身)である。

 同レースには、前年のダービー馬であるウイニングチケット、直前のGI宝塚記念で2着となったアイルトンシンボリ、のちにGIジャパンカップを制するマーベラスクラウン、さらに上り馬のスターバレリーナと、豪華メンバーがそろっていた。ナイスネイチャは、そのそうそうたるメンバーを豪快に差し切って、鳴尾記念以来、実に2年半ぶりの勝利を飾ったのだ。

 当時を知る関係者が語る。

「ナイスネイチャが勝った瞬間、まるでGIを勝ったかのような大きな拍手と大歓声が沸き起こった」

 4歳時に鳴尾記念を勝ったあと、ナイスネイチャは30戦もこなしたが、勝ったのはこの1戦のみ。それでも、ファンに愛され続けた。

 ナイスネイチャが最高の輝きを放った短い夏――小倉記念が近づくと、今でもその情景がよみがえってくる。