2021年末の阿部勇樹(現・浦和ユースコーチ)、2022年末の槙野智章(品川CC)と、2017年AFCチャンピオンズリ…

 2021年末の阿部勇樹(現・浦和ユースコーチ)、2022年末の槙野智章(品川CC)と、2017年AFCチャンピオンズリーグACL)を制した浦和レッズのメンバーが1人、また1人とユニフォームを脱いでいる。

 そして今季は柏木陽介(岐阜)が引退を発表。点取り屋として異彩を放った李忠成アルビレックス新潟シンガポール=アルビS)も20年に及ぶプロキャリアに区切りをつけることを明らかにした。

 現役ラストマッチとなったのは、11月26日のシンガポール・リーグカップのタンピネス戦。この試合に勝てば、12月の準決勝・決勝を戦うはずだったが、惜しくも1-1で引き分け、グループ突破は叶わなかった。

「でも自分は十分やり切ったから後悔はない。スッキリした気持ちでやめられます」と本人も爽やかな笑顔をのぞかせた。

 2004年にトップ昇格したFC東京を皮切りに、柏レイソルサンフレッチェ広島サウサンプトン、浦和レッズ、横浜F・マリノス、京都サンガ、そしてアルビSとJリーグ6クラブと海外2クラブを渡り歩いた李忠成。最も長く在籍したのが、2014~2018年まで5年間を過ごした浦和だ。広島時代の恩師・ミハイロ・ペトロヴィッチ監督(現札幌)に引っ張られる形で同クラブに赴いた彼は、2015年第1ステージ優勝に始まり、2016年第2ステージ・YBCルヴァンカップ制覇に貢献。指揮官が堀孝史監督に代わった2017年ACL優勝も経験。2018年にはオズワルド・オリヴェイラ監督の下、天皇杯も取っている。

■「批判もあったかもしれませんけど」と振り返る、海外では通常の手法

「浦和時代を振り返ると『悔しい』という思いが真っ先に脳裏に浮かびます。というのも、J1タイトルを取れなかったから。2016年は年間最多勝ち点を挙げたのに、チャンピオンシップで鹿島アントラーズに負けてしまった。あのタイトルがあれば、僕らの完成形に辿り着けたはず。僕は今でも悔しさを忘れたことはないですね」と負けず嫌いの男は感情を高ぶらせる。

 それでも、ミハイロビッチ監督が作ったチームは魅力的で強かった。

「当時の浦和はミシャ監督が日本サッカー界の最適解を見出したチームだと思うんです。(イビチャ・)オシムさんが『日本化』を口にしてから、ミシャ監督は広島、浦和とそれを追求し続けていた。そのために広島の教え子だった槙野や陽介、石原直樹(湘南アンバサダー)、(西川)周作といったメンバーを移植し、そこに必要なピースを加えていくやり方を取った。それが成功したクラブだと思うんです。

 そういうアプローチは海外では当たり前だし、ごく普通に行われていますけど、日本にはない手法だった。批判もあったかもしれませんけど、フィロソフィーを植え付ける意味で一番有効だと僕は思います。それを容認したクラブもサポーターも素晴らしかった。僕は誇りに思います」

 強い浦和の一助に慣れたことを彼は今でも有難く感じているという。

(取材・文/元川悦子)

(後編へ続く)

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