「今まで国公立大学という環境にいたこともあって、周りのレベルはそれほど高くありませんでした。今回は全国レベルの選手たちに圧倒されましたね」 横浜国立大3年の外野手、藤澤涼介は3日間の合宿をこのように総括した。 12月1日から愛媛県松山市の坊…

「今まで国公立大学という環境にいたこともあって、周りのレベルはそれほど高くありませんでした。今回は全国レベルの選手たちに圧倒されましたね」

 横浜国立大3年の外野手、藤澤涼介は3日間の合宿をこのように総括した。

 12月1日から愛媛県松山市の坊っちゃんスタジアムで行なわれた大学日本代表候補強化合宿。藤澤は44名の大学日本代表候補メンバーに入り、初めて合宿に招集されていた。



大学日本代表候補合宿に初めて参加した横浜国立大の藤澤涼介 photo by Kikuchi Takahiro

【高校時代は野球部唯一の特進コース】

 謙虚な言葉とは裏腹に、藤澤が見せたパフォーマンスは鮮烈だった。

 合宿初日はフリー打撃で快打を連発。2日目の紅白戦は1番・レフトで起用され、2試合で6打数2安打1四球1盗塁をマーク。3日目の50メートル走計測(光電管を使用)では全体2位となる5秒97を叩き出した。

 身長187センチ、体重85キロの巨躯は、打撃に走塁にと存在感を放ち続けた。藤澤に「手応えもあったのでは?」と聞くと、「思ったよりは持ち味を出せたのかなと思います」と答えた。

 つづけて「国立大学の選手でもここまでやれるんだ、という思いはありましたか?」と尋ねると、藤澤は苦笑しながら首をかしげた。

「そこはあんまりなかったです。自分にはそういう感情的なところがあまりないので......」

 感情ではなく、論理的思考を積み上げる理系畑である。

 栃木県の強豪・佐野日大高では野球部でひとりだけ特別進学コースに所属。毎日1時間遅れで練習に参加するなか、一塁手のレギュラーとして活躍した。

 高校3年春に新型コロナウイルスが猛威をふるい、寮から自宅に戻された。強豪校の高校球児であれば、その多くは鬱屈とした思いを抱きながら自主練習に励んでいたに違いない。だが、藤澤はこの時期に毎日10時間に及ぶ猛勉強をしていた。藤澤は「まあ、普通は勉強しないですよね」と苦笑交じりに振り返る。

 高校最後の甲子園がなくなり、栃木県の独自大会を戦ったあとは、大学受験に備えて1日10時間勉強を再開した。藤澤は「スポーツ推薦の選手がいない学生主体のチームでのびのびやりたかった」と言う。

 横浜国立大理工学部に現役合格したあと、藤澤は念願の環境でステップアップを重ねる。とくに打撃面で大きく進化した。

「打撃理論の知識がある先輩に教えてもらったり、自分で考えたりしながらフォームをつくっていきました」

 BLAST(ブラスト)という計測機器を使い、打撃技術向上に生かした。藤澤がとくに重視しているのは「オンプレーン効率」という指標である。

「ボールの軌道のラインに対して、スイングがどれだけ乗っているかを示す指標です。自分は平均93パーセントくらいで、悪い時は85パーセントくらいに落ちるので自分の状態を測るバロメーターにしています」

 ボールの軌道に対して100パーセント近くスイング軌道を合わせられれば、ボールをとらえる確率は必然的に上がっていく。藤澤は「正確性に関しては自分の一番の持ち味だと思います」と語る。

【これがジャパンのクリーンアップか...】

 藤澤は横浜国立大の中心選手になり、2年春のリーグ戦では3本塁打を放ちフレッシュマン賞を受賞。3年生になると「野球をより頑張ろう」と塾講師のアルバイトをやめ、野球に取り組んだ。3年秋のシーズンでは打率.311、2本塁打、13打点と活躍。チームも勝ち点3を獲得し、一時は優勝争いを演じる大健闘だった。

 だが、今秋は藤澤にとって苦い記憶が刻まれたシーズンでもあった。終盤に迎えた桐蔭横浜大との大一番、藤澤は桐蔭横浜大のエース左腕・古謝樹(楽天ドラフト1位)の前に3打席3三振を喫した。チームも0対12(7回コールド)で大敗している。

「ここまで通用しないのか......と実力不足を感じました。もはや落ち込めないくらい、手も足も出ませんでした。古謝さんのストレートを意識していたところ、徹底的に変化球で攻められて全然打てませんでした」

 そして、藤澤はぽつりとこう続けた。

「また対戦したいです。するなら、プロに行かないといけないですけど」

 すでに企業チームの練習に参加するなど、藤澤は進路を考え始めている。そして今回の強化合宿は、藤澤にとって進路を考えるうえで大きな試金石になるはずだった。

 前述のとおり、藤澤は合宿でアピールに成功している。だが、それ以上に周りのレベルに衝撃を受けた。とくに藤澤が「圧倒された」と語るのが、渡部聖弥(大阪商業大3年)と西川史礁(青山学院大3年)のふたりである。

「レベルが違うと思いました。『これがジャパンのクリーンアップか......』と。意味がわからないくらい飛ばすし、意味がわからないくらい肩が強いし。彼らに対抗したいですけど、今のままじゃライバルとさえ思えません」

 渡部も西川も藤澤と同じ右投右打の外野手であり、早くも来年のドラフト上位候補と目されている。自分自身を「感情的なところがない」と自己分析する藤澤だけに、渡部と西川の力量を嫌というほど実感したに違いない。

 それでも、藤澤は意を決したようにこう続けるのだった。

「この冬は今回経験したものを基準にして、頑張りたいです」

 なお、藤澤は大学受験時に青山学院大も一般受験し、合格している。もし藤澤が青山学院大に進んでいたら、西川や佐々木泰とともに強打線を形成していたのか、それとも神宮球場のスタンドでメガホンを叩いていたのか......。そんな話を振ると、藤澤は「そんな世界線もあったのかもしれませんね」と笑った。

 だが、やはり横浜国立大に進学して学生主体の野球部で育まれたからこそ、今の藤澤があるのは間違いないだろう。野球部寮で生活し、高いレベルで揉まれるエリートもいれば、藤澤のようにひとり暮らしで自活してレベルアップに励む学生もいる。それが大学野球の多様性であり、面白さでもある。

 2024年の春を迎える頃、藤澤涼介がどんな姿を見せてくれるのか。その動向を注視しているのは筆者だけではないはすだ。