アメリカやカナダ、ヨーロッパの一部の国で熱狂的な人気を集めるスポーツの一つが、アイスホッケーである。しかし、日本においてはアイスホッケーはそれほどメジャーなスポーツとは言えないだろう。 ところが、最近になってスポーツ王国・愛知県から今…
アメリカやカナダ、ヨーロッパの一部の国で熱狂的な人気を集めるスポーツの一つが、アイスホッケーである。しかし、日本においてはアイスホッケーはそれほどメジャーなスポーツとは言えないだろう。
ところが、最近になってスポーツ王国・愛知県から今までとは異なる形で、プロを目指すアイスホッケーチームが生まれた。それがサンエスオルクスである。
今回は、同チームのゼネラルマネージャー(GM)である 橘川弘樹氏、そして選手の岡峯悠 氏にサンエスオルクスについて話を聞いた。
サンエスオルクスの掲げる「デュアルキャリア」とは
まず、最初にサンエスオルクスの創立の歴史から伺えますか。
橘川弘樹氏(以下、敬称略)「サンエスオルクスは、2023年度に社会人のクラブチームであるオルクスが、サンエスグループに代表運営権をする形で誕生したチームです。ちなみにサンエスグループは、東海地域を中心に人材業を展開している企業です。
現在、日本でアイスホッケーのプロチームは4チームあり、それに加えて北海道を中心に全国に存在する実業団チームがあり、そしてクラブチームがあるという形になっています。その中でも現在のサンエスオルクスは、愛知県にある社会人(実業団)のチームとなります。」
橘川さんは現在GMでいらっしゃいますが、サンエスオルクスで選手としての経験があり、岡峯さんは現役の選手だそうですね。それぞれどのようにサンエスオルクスに加入したのか、お聞かせいただけますか。
橘川「私は6年前に愛知県に転職組として来ました。当時は富士クラブに所属していましたが、その頃のチームメイトであった牧義明 という人物との出会いが縁となり、サンエスオルクスの前身だったオルクスに選手として加入しました。牧は当時、オルクスの代表だったんです。
そのころ私は愛知に来たばかりで、運動不足ですごく太っており、何か運動をしようと思っていました。私自身が北海道苫小牧市出身で子供のころからアイスホッケーをプレーした経験もあったので、オルクス(当時)に加入することに決めました。
そうはいっても、アイスホッケーは日本ではマイナースポーツで、オルクスとしての活動も月に1度くらいしかできない状況でした。そのため、所属企業であるサンエスに『オルクスのスポンサーになってもらえないだろうか』と相談に行ったんです。そうしたところ、積極的にチーム経営に関わっていただくことになり、その結果今に至るという形です。 現在、私は選手を引退し、GM一本で、サンエスオルクスにかかわっています。」
岡峯悠氏(以下、敬称略)「私は関西の出身なのですが、大学でアイスホッケーをプレーしていました。その際に現GMの橘川から、サンエスオルクスに加入しないか、というお話をいただきました。
私は小さいころからプロのアイスホッケー選手になることが目標でしたし、そのプロのアイスホッケーのチームを愛知県に作る、ということに魅力を感じたという点が一つです。また、同時に、社会人としての仕事という点でも、アイスホッケー選手を引退した後の生活も見据ながら、現役アイスホッケー選手として、プレーすることができるという点が大きな安心材料だな、と思いました。」
サンエスオルクスの特徴の一つが、デュアルキャリアというものだと伺いました。詳しく話していただけますか。
橘川「 デュアルキャリアとは、一口に説明すると、アイスホッケー選手のキャリアと仕事をする社会人としてのキャリアを同時に作ろう、というプロジェクトになります。
現状では、日本国内でアイスホッケーのプロチームは4チームしかありません。そのため、プロのアイスホッケー選手は日本全国で100人弱くらいしか存在しません。プロチームのほかにも、社会人がアイスホッケーをやろうと思うと、北海道に多くある実業団チームに入るか、クラブチームに入るかという選択肢になってしまうんですね。 また、日本ではアイスホッケーがマイナースポーツということもあり、ゲームの時の入場料の売り上げだけでプロのチームを維持するのは、なかなか厳しいのが現状です。現在のところ、アイスホッケーというスポーツは、非常に持続可能性が低いスポーツとなってしまっています。
また、スポーツ選手は引退後の生活について不安を持っており、彼らのセカンドキャリアの問題は常に存在します。
こうした現状から、サンエスオルクスでは、選手はアイスホッケーを続けながら、同時に企業で働くというデュアルキャリアのモデルを、チームの根幹に置くことにしました。アイスホッケーを続けながら、企業で働くことで選手は社会人としてのキャリアを形成することができます。その社会人としてのキャリアは選手を引退した後の生活に役立つことでしょう。
また、企業側からみても、このデュアルキャリアはメリットがあります。例えば愛知、名古屋に若い方が就業し、様々な分野で人材不足が解消されるでしょう。そして、選手はスポンサー企業に就業することで、アイスホッケーをしながら企業でも働くことができるので、彼らの生活が安定します。そうすると、次に選手は愛知県内でモノやサービスを購入する側にもなれます。
このようなスポーツチームのモデルを作ることは、『愛知、名古屋に若い人が集まる街』という意味で、経済的にも愛知県に貢献する方法になると思います。
現在サンエスオルクスでは、100人のアイスホッケー選手を愛知県内にある100社の企業に就職させる形で、選手の数を増やしたいと思っています。このプロジェクトを通じて、名古屋の街にアイスホッケー選手が集まり、社会人の人材を愛知県内に戻していくことで、スポーツが地域と企業と人材をつなぐ役割を担うことができると思います。
それは、同時に、愛知県をフィギアスケートの街からフィギュアスケートだけではない『アイスの街』に変えていく活動でもあります。愛知県はフィギアスケートが盛んな都市ですが、アイスホッケーの文化はほとんどありません。
日本のアイスホッケーチームは、1チーム当たり約25人前後の選手で構成されています。もし、サンエスオルクスが100人の選手を抱えることができれば、日本でも最大規模のチームとなります。その選手たちが地元愛知県で働きながらプレーすることで、アイスホッケーを愛知県でも広く認知されるようにしたい。そして、愛知県がフィギアスケートの街としてだけではなく、アイスの街として文化が創造できるような存在でありたい、と考えて、サンエスオルクスの活動を進めています。」
アイスホッケーを広める難しさとは
橘川さんは、北海道出身と伺いました。北海道と比較して、愛知県でアイスホッケーを広めるのに、難しい点はどのようなことでしょうか。
橘川「そうですね、北海道と比較すると、まず練習を行うリンク確保の状況に違いを感じました。北海道では、冬になると小学校や中学校で校庭にスケートリンクを作ったりするので、スケートリンクは身近な存在ですし、比較的気軽にアイスリンクにアクセスすることができました。
もちろん愛知県にも、とても環境のよいスケートリンクがたくさんあります。ただ、どうしても、北海道と比較するとアイススケートができる施設の数が限られてしまうのが現状です。また、その限られた数のスケートリンクのほとんどは、まず、一般のお客さんのための営業時間を確保し、そのあとにフィギアスケートのレッスン時間となり、それが終わってからやっとアイスホッケーのトレーニングができる時間帯になります。そのためアイスホッケーは夜10時から練習が開始になり、練習が終わるのは日付が変わるころ、ということになってしまいます。そうしたスケジュールですと、やはりアイスホッケーをやってみたいとは思っても、実際に練習に来るのは、どうしても難しい環境となってしまいますよね。
かつて、日本でアイスホッケーの盛んな場所、といえば北海道でした。でも、今はその北海道の経済状況が厳しいせいか、アイスホッケーチームの数も減っています。また子供の数自体も減っていることもあり、北海道でアイスホッケーをプレーする人の数も少なくなっているのが現状です。
その一方で、北海道以外の場所、例えば関東や関西で、アイスホッケーをプレーする人の数は増えているんです。ですから、愛知でプロのアイスホッケーチームができて、サンエスオルクスを愛する方が増えれば、きっと愛知のアイスホッケー人口も増えると思います。そうした形で、サンエスオルクスが夢をつなげるチームになれれば良いな、と考えています。」
岡峯さんは、現役のサンエスオルクスの選手でいらっしゃいます。今、橘川さんの話にあったように、遅い時間からの練習ということになると、やはり社会人としての生活の面でも大変なことも多いのではないかと想像しますが。
岡峯「練習時間の開始が遅いのは、実はアイスホッケー部によくあることで、大学時代も夜遅くに練習がスタートする生活を送っていました。でも、社会人になると、朝は早く起きることが必要になるので、その意味でちょっとしんどいなと思うこともありますね。また、私は今豊田市に住んでいるのですが、練習場所が名古屋市内なので、仕事を終えてから練習に行くのが、ちょっと大変に感じたりすることもあります。それでもやはりアイスホッケーをしたいという気持ちが強いので頑張れます。」
今回、サンエスオルクスは、多くの方に支援をお願いすることになりました。その背景について、伺えますか。
橘川「今回の活動を含めて、サンエスオルクスの考えるデュアルキャリアというモデルがうまく作用すれば、日本のほかの街でもアイスホッケーのトップチームを作れる可能性が高くなると思います。サンエスオルクスにはその旗振り役になって欲しいですし、同時に日本のアイスホッケー全体を押し上げるような役割も担って欲しいと思っています。
サンエスオルクスが強いチームになって欲しいという思いは、もちろんあります。でも、それ以上にサンエスオルクスのプロジェクトを通じて、日本でアイスホッケーがメジャーなスポーツになることが、私の希望です。また、今回のプロジェクトは、サンエスオルクスだけでなくアイスホッケー全体に良い結果をもたらすものにしたいです。このチームの選手のみんなにも、アイスホッケー全体を押し上げる役割を自分たちは持っているんだ、ということを常に知っていて欲しい。
サンエスオルクスのファンだけではなく、日本のアイスホッケーファンの皆さんからご支援をいただけたら、とてもうれしいです。」
最後の質問です、10年後のサンエスオルクスは、どのようなチームになっていて欲しいですか。
橘川「10年後には、サンエスオルクスが、日本のアイスホッケー界で一番愛されて、一番選手の数が多くて、そして一番強いチームになって欲しいと思います。できれば、サンエスオルクスがとにかく一番強くて、ほかのチームが何をやっても勝つことができないチームになっていて欲しいですね。
同時に、そのころには日本でアイスホッケー文化が確立されているように、サンエスオルクスは動いていきたいと考えています。そして、愛知県名古屋市から、スポーツが地域を変えることができるという一つのモデルケースを発信できるチームになっていたいと考えています。
もちろん、サンエスオルクスはNO.1を目指し続けます。でも、同時にアイスホッケーファンとともに、このスポーツを押し上げるという思いでこれから先は立ち上がっていかないと、観客の方も減っていくでしょう。もしかするとアイスホッケー自体が日本でプレーされなくなるかもしれません。そんな危機感を持ちながら、チームが強くあることと、アイスホッケー文化の確立を目指していきたいと思います。」
岡峯「橘川の方から話がありましたように、日本のアイスホッケー界で一番強いチームになって欲しいですし、いろいろな人からサンエスオルクスでプレーしたいと思っていただけるようなチームになっていければ良いですね。また、地元愛知県で応援していただかないと、日本一になることは不可能だと思うので、地元から愛されるチームになるのが、10年後の理想の形なのかなと思います。」
サンエスオルクスは、デュアルキャリアというモデルを推進することで、地元とスポーツチームをつなぎながら、アイスホッケーを日本でメジャーなスポーツに押し上げようとしている。
アイスホッケーの火を、日本の様々な場所にともすため、サンエスオルクスの戦いは始まったばかりである。
(インタビュー・文 對馬由佳理) (写真提供 サンエスオルクス)