夏の甲子園真っ只中だった8月中旬。甲子園球場からわずか5キロほどの距離にある報徳学園のグラウンドでは、高校野球を引退したばかりの3年生が早朝から汗を流していた。そのなかには、すっきりした表情でバットを振るドラフト候補の堀柊那(しゅうな)の…

 夏の甲子園真っ只中だった8月中旬。甲子園球場からわずか5キロほどの距離にある報徳学園のグラウンドでは、高校野球を引退したばかりの3年生が早朝から汗を流していた。そのなかには、すっきりした表情でバットを振るドラフト候補の堀柊那(しゅうな)の姿もあった。

「夏はやりきったと思いが強かったです。でも時間が経つたびに、あの時こうしていたら......というのはありましたね」



強肩強打の捕手、報徳学園の堀柊那 photo by Ohtomo Yoshiyuki

【センバツ準優勝の原動力に】

 昨年秋の近畿大会で、堀は準決勝までの3試合で13打数10安打と打ちまくり、強肩を生かした守備力の高さも披露。その時点で「世代ナンバーワン捕手」と評された。

 今春のセンバツでも5試合で20打数8安打とチームの準優勝に貢献。だが、長打は二塁打1本のみ。堀を初めてみたスカウトのなかには、「もっとすごいのかと思っていた」と、インパクトに欠けた部分を指摘する者もいた。

 じつは、センバツの時の堀は右ヒジの状態があまりよくなく、思いきり腕を振って送球するのが難しかった。それでも準決勝の大阪桐蔭戦で見せた地を這うような二塁送球で盗塁を刺したのは見事だった。

 センバツ後もヒジの状態を見ながらの日々だった。通常の練習と並行して治療にも時間を割き、6月の練習試合ではマスクを被らず指名打者として出場。やがてヒジの状態もよくなり、夏の兵庫大会が始まる頃にはほぼ回復した。

 バッティングのほうも兵庫大会初戦(2回戦)の加古川西戦はノーヒットだったが、「状態は悪くない。次は打てるはず」と確信を得た表情を見せていた。その言葉どおり、3回戦の滝川戦では2安打4打点、4回戦の三田松聖戦ではホームランを放った。

 そして優勝候補同士の戦いとなった5回戦の神戸国際大付戦。先制された直後の初回に、一死二塁の好機でプロ注目の最速148キロ右腕・津嘉山憲志郎(2年)のインコースのストレートを振りきり、左中間へ同点となるタイムリー二塁打を放った。

「秋にインコースを攻められて打てなかったので、そこは打てないという情報があったからじゃないですかね。あの打席はなんとかとらえることができました」

 それまで自身の状態に不安を感じることが多かった堀だが、神戸国際大付戦は「ほぼベストの状態」だったと語る。だが試合には敗れ、堀の高校野球生活は終わった。

「秋には打てなかったホームランも打てましたし、夏は試合をするたびに状態も上がってきたんです。やりきったという思いはありますが、負けたことは悔いが残ります」

【いつか日の丸を背負いたい】

 高校野球が終わっても練習を続けるなか、夏の甲子園は時間があればテレビ観戦した。同じ捕手として、昨年夏からずっと気になっていた尾形樹人(仙台育英)の躍動する姿に目を奪われた。

「ホームランも含め、めちゃ打っていましたよね。夏も甲子園でプレーできるのはうらやましかったです。仙台育英が強いと思っていましたが、(決勝戦は)初回で流れが決まる怖さを感じました。自分たちが負けた試合も初回のエラーで流れが悪くなったので、初回の入り方は大事だなと、あらためて思いました」

 一次候補になっていたU−18の日本代表には選出されず、国際舞台に立つ機会はなくなったが、木製バットを使った打撃練習に本格的に向き合い手応えを感じている。

「インコースの真っすぐに怖さがあってまだ振りきれない時もありましたが、バッティングは少しずつよくなってきました。今は金属の時よりもうまく打てていると思います」

 捕手としての練習も再開し、夏休みからウエイトトレーニングを始めるなど体づくりに余念がない。食事量も増え、体重は82キロまでアップした。

 ドラフトを直前に控え、あらためて掘りにとっての高校野球を振り返ってもらった。

「キャッチャーとしてのレベルは上げられたかもしれませんが、バッティングは出しきれなかったというのがあります。長打力とか、もっとやれたんじゃないかと......。とくに、大舞台でベストパフォーマンスができなかったことは心残りです。これからの高校生活を無駄にしないよう、自主練でもできる時はしっかりやって、後悔のない毎日を送っていきたいです」

 今は秋の大会が続く後輩たちのボールを受けることが多く、生きた球を見ながら鍛錬を積み重ねている。プロという最高峰の世界で、最高のパフォーマンスを披露できる日を、そして「いつか日の丸を背負ってプレーしたい」という夢も、この手で必ず実現してみせる。