鍋谷友理枝選手インタビュー 9月24日、武蔵野の森総合スポーツプラザ メインアリーナで行なわれた「ハイキュー!!フェスタ2023 ―大壮行会―」において、完全新作映画『劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦』が2024年2月16日に公開され…

鍋谷友理枝選手インタビュー

 9月24日、武蔵野の森総合スポーツプラザ メインアリーナで行なわれた「ハイキュー!!フェスタ2023 ―大壮行会―」において、完全新作映画『劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦』が2024年2月16日に公開されることが発表された。

『ハイキュー!!』は多くの現役バレーボール選手からも熱烈に支持されており、今回のハイキュー!!フェスタに足を運んだ鍋谷友理枝選手(トヨタ車体クインシーズ)もそのひとりだ。鍋谷選手は、登場するキャラクターたちに自身のバレーボールに対する情熱や、理想の選手像を感じることができたという。そういった作品の魅力や学んだこと、自身の新シーズンについても語ってもらった。



「ハイキュー!!フェスタ2023 ―大壮行会―」を現地で見た、トヨタ車体クインシーズの鍋谷選手

***

――鍋谷選手が『ハイキュー!!』を読むことになったきっかけは?

鍋谷 『週刊少年ジャンプ』でバレーボールの漫画が始まったと聞き、調べたのがきっかけです。社会人になってから『ハイキュー!!』を読み始めたんですが、当時は悩んでいる時期でもありました。そんな時に、『ハイキュー!!』で描かれる高校生たちが一生懸命にバレーに取り組む姿勢を読んで、「自分にもこんな時期があったな」と心を打たれたんです。

――鍋谷選手は2012年、東九州龍谷高校からデンソーエアリービーズに入団。その時期に悩んでいたこととは?

鍋谷 デンソーに入って、試合に出る機会が少なくなったんです。高校生の時は「試合に出て活躍することがすべてだ」と思っていましたから、そこで悩んでしまって。でも、『ハイキュー!!』を読んで、試合に出ない人たちにも大切な役割があることに気づきました。コート内のプレーヤーだけがすべてではないと。

 できれば、高校の頃に読みたかったですね。そうしたら、当時の練習や試合での頑張り方とか、さまざまな悩みが吹っ飛んでいただろうなと思います。

――『ハイキュー!!』の中で好きなキャラクターは?

鍋谷 烏野高校3年の菅原孝支さんですね。

――その理由は?

鍋谷 烏野は1年の影山飛雄くんがメインのセッターですが、菅原さんがセカンドセッターでいるからこそチームに安定感がある。縁の下の力持ちじゃないですけど、3年生として1年生たちを引っ張る姿を見て、「こういう選手が1番かっこいいな」と思いました。

 あとは、ツッキー(月島蛍)も好きです。彼は試合中にメガネをしていますが、私もゴーグルをつけてプレーしているので親近感があって(笑)。プレースタイルは冷静で、賑やかな烏野の中で冷静にバレーをしている。「相手がどういうバレーをしてくるのか」「相手のスパイカーがどういうタイプなのか」をしっかり見極めてプレーしていますね。主役ではないんですけど、ツッキーの陰ながらのプレーが烏野の力になっていると思います。

――『ハイキュー!!』での好きなシーンを教えてください。

鍋谷 それも菅原さん関連ですが、「"俺"VS青葉城西だったら絶対敵わないけど、"俺の仲間"は、ちゃんと強いよ」というシーンです。インターハイ予選3回戦の青葉城西高校との一戦で、相手の絶対的な司令塔・及川徹さん(3年)のセッティングに対抗しようと影山くんが動揺したところで、菅原さんが交代でコートに立った場面です。

 菅原さん自身、影山くんには技術や身体能力で劣ると理解していますが、それを補うために、チームメイトそれぞれの強みを最大限に活かす道を選びました。コミュニケーション能力を駆使し、言葉によってチームメイトの可能性を引き出す。その姿勢にシビれました。



鍋谷選手が好きなシーンに挙げた、青葉城西戦で烏野の菅原がコートに立ったシーン(c)古舘春一/集英社

 この試合では、1年の山口忠くんや他の選手たちも素晴らしい活躍を見せましたが、私にとって最も印象に残ったのは菅原さんの存在感でした。"劣勢の場面でも頼れる人物"に私もなりたいですね。

――先ほど、『ハイキュー!!』からは練習や試合での頑張り方を学べると話されていましたが、具体的には?

鍋谷 個人的に、山口くんのピンチサーバーとしてのシーンから多くを学びました。私自身もピンチサーバーで試合に入ることがけっこうあるのですが、山口くんが練習で試行錯誤しながらさまざまなサーブを打つ様子、それが試合でどう影響するのかを学べましたね。彼は失敗することもありますが、そこからも学んで再び挑戦する姿勢に、自分自身を重ねました。

 試合になると成功を追い求め、自身のサーブでブレイクを取りたいと欲が出てしまうことがありますが、そこで失敗しても「次はこうしよう」と考えることができるようになりました。山口くんの緊張する姿、挑戦する心構えには共感することが多かったです。

 他にも、この作品を読んでから「もう少し落ちついて物事を見よう」「この視点から考えてみよう」と意識するようにもなりましたね。『ハイキュー!!』は一種の教科書というか、高校生はもちろん、Vリーガーなどにとっても参考になることがたくさんあると感じています。

――鍋谷選手は「ハイキュー!!フェスタ2023 ―大壮行会―」もご覧になりましたが、印象に残ったことは?

鍋谷 ファンのみなさんの熱意に本当に驚かされました。個人的に印象的だったのは、スペシャルライブでのアーティストさん(SPYAIR、BURNOUT SYNDROMES、CHiCO)のパフォーマンスと、それに合わせた『ハイキュー!!』のテレビアニメ映像が完璧にマッチしていて、とてもテンションが上がりましたね。声優さんたちの朗読劇も、生の演技を聞けて感動しましたし、本当に楽しかったです。

――来年2月16日に公開される劇場版では、春高3回戦目、烏野高校vs音駒高校の「ゴミ捨て場の決戦」が軸になります。原作で印象に残っているシーンはありますか?

鍋谷 音駒の孤爪研磨くん(2年/セッター)が「たーのしー」とつぶやくシーンですね。 

 春の高校バレー3回戦、烏野vs音駒の3セット目中盤。壮絶なラリーの末に日向(翔陽)くんが得点した時に、コートに倒れた研磨くんが「楽しい」とつぶやく瞬間です。激しい攻防の中で、普段は冷静な研磨くんが感情を露わにし、日向くんが力強いガッツポーズを見せるシーンは非常に印象的でした。

 研磨くんが興奮し、試合が進行するごとに「楽しい!」と感じていく様子は、かなり心が熱くなります。バレーへの愛が伝わってくるこのシーンが、劇場版でどのように描かれるのか、今から楽しみです。

――続いては、鍋谷さんの新シーズンについてお聞きします。10月から始まるVリーグに向けて心境はいかがでしょうか。

鍋谷 新たなチーム(トヨタ車体クインシーズ)での出発となりますが、これで3チーム目になります。年齢を重ねるごとにチーム内での役割も変化していますが、スタートでプレーできるかどうかは別として、ベテランとしてチームをどのように支えられるかが重要になります。

 烏野でいえば主将の澤村大地さん(3年)や菅原さんのような、経験豊富で落ちつきのある先輩たちが後輩に与えていた安心感や信頼感を、私も後輩たちに与えられたらと思っています。

――新チームのトヨタ車体クインシーズは、どんなチームカラーですか?

鍋谷 非常に若く、エネルギーに満ちています。昨季まで敵チームとして対戦した時も、活気と粘り強さに驚かされました。レシーブをなかなか落とさないですし、練習の様子を見ていても精神力の強さを感じます。

――ちなみに、『ハイキュー!!』のチームでいえば、どのチームに似ていると感じますか?

鍋谷 そうですね......粘り強さに関しては音駒に近いと思います。普段の明るさやチームの雰囲気は烏野に似ていますが、音駒の組織的なディフェンスも共通点があるように感じますね。

――鍋谷選手は、バレーボール選手としての未来像をどう描かれていますか?

鍋谷 選手生命はあまり長くないことは自覚しています。ただ、私がチームにいてよかった、と思ってもらえる選手でありたい。プレーだけでなく、コート外でも安心感や影響力を持っていたいですね。バレーの技術やプレー以外でも、ひとりの人間としていい影響を与えられる選手になりたいです。

――経験を重ね、バレーボールの奥深さを楽しんでいるのですね。

鍋谷 私は今シーズンで、Vリーガーとして12年目を迎えます。若い頃は思い切りバレーに打ち込んでいましたが、多くのプレーの機会を得る中で、うまくいく時もいかない時もあり、バレーの難しさを身をもって感じてきました。

 ただ、その難しさの中に楽しさも存在します。新しいチームに移籍し、異なるプレースタイルに適応するのは簡単ではないですが、そのプロセスが新たな楽しみとなっています。うまく機能する方法を学び、バレーの新たな魅力を感じながら、選手として味わえる時間を大切に過ごしています。その結果として、チームの力になれるよう頑張りたいです。

【プロフィール】

鍋谷友理枝(なべや・ゆりえ)

1993年生まれ、東京都大田区出身。両親の影響でバレーボールを始める。東九州龍谷高校時代には春高バレーでMVPを獲得。卒業後、デンソーエアリービーズに入部。2021年にPFUブルーキャッツに移籍。2022-23シーズンはVリーグ栄誉賞を受賞し、今シーズンからはトヨタ車体クインシーズでプレーする。日本代表としては2012年にメンバーに選出され、2016年リオ五輪出場を果たした。