元ソフトボール日本代表・長崎望未インタビュー 前編10月21日から開催される『第1回WBSC 女子U15ソフトボールワールドカップ2023』。初開催となるU15女子ワールドカップの開催地は、東京。2011年に新人ながらソフトボール日本リーグ…

元ソフトボール日本代表・長崎望未インタビュー 前編

10月21日から開催される『第1回WBSC 女子U15ソフトボールワールドカップ2023』。
初開催となるU15女子ワールドカップの開催地は、東京。2011年に新人ながらソフトボール日本リーグ(現・ニトリJDリーグ)で本塁打王や新人賞を含む四冠を獲得し、長らく日本代表でも主力として活躍した長崎望未さんが、今大会のオフィシャル・サポーターを務める。インタビュー前編ではおもに、現役時代の話について聞いた。



元ソフトボール女子日本代表・長崎望未さん

【五輪に出られなかった後悔は無い】

――『第1回WBSC 女子U15ソフトボールワールドカップ2023』のお話の前に、2028年のロサンゼルス五輪で、ソフトボールの2大会ぶりの正式競技採用が決定しましたね。

「日本にとって、本当に喜ばしいことだと思います。確実にメダルが狙える競技ですし、ソフトボールにも注目が集まりますからね。
選手たちにとってモチベーションになるだけではなく、五輪に出場することで人生が変わる選手もいると思います。ソフトボーラーにとっては一番大きな舞台ですし、日本代表選手たちには思いっきりプレーして欲しいです」

――日本代表の主軸選手として国際試合の経験も豊富な長崎さんですが、東京五輪が開催される前年の2020年に現役を引退され、五輪には出場されていないんですよね。

「東京五輪に向けての5カ年強化プロジェクトには参加していたのですが、2018年前後から肩を痛めてしまって、最終的には指を動かすだけでも激痛が走るようになってしまったんです。
いろいろな治療も試したのですが、なかなか痛みが改善されず、選手としての限界を感じ、2020年いっぱいでの引退を決意しました」

――是が非でも五輪、というわけではなく、満足のいくプレーができなくなったから現役を退いた、と。

「2008年の北京五輪を最後に、ソフトボールは4大会に渡って五輪競技に採用されていませんでしたので、私自身、五輪を目指して競技をやっていたというわけではありませんでした。
夢だった実業団の選手になれて、そこでの活躍を評価され日本代表にも選んでいただき、国際大会での優勝などいろいろな経験をさせてもらいました。達成感もありましたので、五輪に出られなかった後悔、というのはありませんでしたね」

【ミッシェル・スミスに憧れて】

――なるほど。では、東京五輪で13年ぶりに金メダルを獲得した仲間たちの姿を、どのようなお気持ちでご覧になっていましたか。

「一緒に苦しいトレーニングを乗り越えてきたメンバーたちが活躍をしてくれて、みんなの苦労をよく知っている分、感情移入してしまって、涙をポロポロさせながら見ていました。本当に感動しました」

――自分のことのようにうれしかったんですね。ところで長崎さんは、小学校3年生のときにソフトボールを始められたとか。

「ひとつ下の弟が先にソフトボールをはじめて、その影響です。初めてバット持って素振りをしたら『タフィ・ローズ(元近鉄バファローズ他)みたいだ』と言われて。最初からパワー系だったんですよ(笑)。男子チームに所属していたのですが、男の子たちに負けじと泥まみれになりながらプレーをして、すごく楽しかったことを覚えています。
小学校6年生のときに初めて実業団のソフトボールの試合を観て、『こんな職業があるんだ』って驚いたんですよ。出場選手の中にミッシェル・スミスさんというアメリカ人選手がいらっしゃって、すごくカッコ良かったんです」

――ソフトボール界のレジェンドですね。

「投げては三振をバンバン取るし、打てば満塁ホームラン。名前を呼んだら笑顔で手を振ってくれたりと、ファンサービスも素晴らしくて。これは私のヒーローだなって。ミッシェルさんみたいな選手に憧れて、将来は絶対にソフトボールの選手になろうって思いました」

――そうだったんですね。

「中学校へ進むと、実業団に入るためにはどこの高校に進学するのが近道なのかを自分で調べました。学校のパソコン室にこもって(笑)。強豪校に行けば実業団への道が拓けると思っていたんです。私は愛媛県出身なのですが、地元の高校からは実業団に行った選手がほとんどいなかったので、兵庫や愛知などの強豪校の練習会にも参加させてもらって、結果、京都西山高校に進学することになりました」

【正直『もう賞は返しますから』って気持ちになるくらいに追い詰められて】

――高校卒業後の2011年、トヨタ自動車女子ソフトボール部に入部され、初年度から主力として日本リーグ(現・ニトリJDリーグ)の優勝に貢献。ご自身も本塁打王、打点王、ベストナイン、新人賞の四冠に輝いています。女子ソフトボール界に"天才"が現れたと話題になりました。

「振り返ってみると、新人ですぐに試合に出られるとは思っていなくて、トントン拍子で結果が出てしまったっという感じです。調子がいいというよりも、調子が悪かった時期があまりなくて、淡々とシーズンを過ごしていた印象でした」

――それは意外ですね。

「シーズンが終わるとすぐにU19の世界大会があって、日本リーグの表彰式に参加できなかったんです。帰ってきたら寮の部屋にトロフィーや賞状が置いてあって、あまり実感がわかなかったというか(笑)」

――とはいえ、素晴らしいスタートですよね。

「元々新人賞は獲りたいと思っていたので、とてもうれしかったのですが、当時まだ18歳です。結果は出したけど、未熟な部分もたくさんあったので、周りの目が気になったというか...」

――当然、注目度は高まりますよね。

「足りない部分があるのに、あの選手は...みたいな、よく思われていない噂みたいなものを耳にすることもあり、精神的にきついなって。正直『もう賞は返しますから』って気持ちになるくらいに追い詰められてしまって...」

――自己評価と世間の評価。そこに妬みや嫉み。10代の選手としてはつらいですよね。

「自分はただ地道に頑張りたかったのに、という思いがあり、2年目はちょっと自暴自棄になってしまって......。うれしかったけれど、その分、違うものがついてくるんだって子どもながらに実感しました。ですが、プレーをしていくうちに何とか立ち直ることができて、最後はソフトボールに救ってもらいました」

――それがあったからこそ10年間の現役生活も乗り越えることができた。

「そうですね。一回落ちた分、自分のことを冷静に見られるようになりました。自分のためだけにソフトボールをプレーしているんじゃない。これまで関わってくれた方々のことを考えれば、今立ち止まっている場合じゃないぞって。それ以降は、毎シーズンを大切に、結果に貪欲になることができたので、トータルで考えれば、あのとき経験したことは決してマイナスではなかったなと思います。でも、当時は本当につらかったです(笑)」

>>インタビュー後編を読む

【profile】 
長崎望未 ながさき・のぞみ
1992年6月19日生まれ。愛媛県出身。小学校3年生でソフトボールをはじめ、京都西山高等学校在学中にはインターハイで優勝。高校卒業後の2011年にトヨタ自動車女子ソフトボール部に入部。1年目のシーズンには本塁打王や新人賞など四冠を獲得し、チームのリーグ優勝に大きく貢献した。2014年からは日本代表としても活躍。2020年シーズンをもって現役を引退。引退後はソフトボールの普及活動のほか、テレビ出演、アパレル、YouTubeなど多方面で活動している。