下肢障がいの選手たちによる「パラ・パワーリフティング」。ベンチプレス台を使用し、鍛え抜かれた上半身の力のみでバーベルを持ち上げ、その重さを競う。バーベルを持ち上げるのはわずか3秒程度。肉体のみならず、一瞬にかける強靭な精神力も求められ…

 下肢障がいの選手たちによる「パラ・パワーリフティング」。ベンチプレス台を使用し、鍛え抜かれた上半身の力のみでバーベルを持ち上げ、その重さを競う。バーベルを持ち上げるのはわずか3秒程度。肉体のみならず、一瞬にかける強靭な精神力も求められる。1キロでも重いものを持ち上げるというシンプルさのなかに、心技体を極限まで磨く選手のドラマが凝縮されている。世界を見れば、健常者の記録を上回る階級もあり、パラリンピックでは人気競技のひとつになっている。



車いす陸上の選手だった西崎哲男。一度引退したが東京パラ開催決定を機に、パワーリフティングを始めた

 現在、国内でも競技者が増えつつあり、7月16日に北九州市で開かれた「ジャパンカップ」には、昨年のリオパラリンピックに出場した49kg級の三浦浩(東京ビッグサイト)、54kg級の西崎哲男(乃村工藝社)らトップ選手を含む44名がエントリー。昨年と比較すると10名増えて、そのうち7名が初出場だった。

 40代からでも正しいトレーニングを積めば、肉体も数字も変化を実感できること、健常者よりも強くなれる可能性を秘めていること、身体のメンテナンス次第で長く競技を続けられることなど、この競技の魅力は尽きない。現在は、3年後の東京パラリンピックを目指し、「新たに始めた若手選手や、他競技から転向する選手も多い」と関係者は話す。

 男子65kg級の篠田雅士(パワーハウス)と88kg級の南出悠有(みなみで・ゆう/個人)は、今年5月に東京・上野公園で行なわれた体験会に参加し、競技を始めた。競技の普及と人材育成に力を入れる日本パラ・パワーリフティング連盟では、全国で開かれるパラスポーツの体験会で積極的に広報活動をしており、彼らの存在はその成果といえる。

 転向組の選手には、冬季競技出身の選手もいる。男子97kg級の馬島誠(個人)は、元アイススレッジホッケー日本代表でバンクーバーパラリンピックの銀メダリスト。また、女子50kg級のマクドナルド恵理(日本財団パラリンピックサポートセンター)は女子アイススレッジホッケーのプレーヤーでもあり、男子59kg級の戸田雄也(個人)は車いすカーリングの選手でもある。3年後の大舞台を狙う彼らは今大会、それぞれのクラスで優勝し、存在感を見せている。

 また、こんな例もある。男子54kg級の尾上義喜(個人)は今大会が初出場。昨年、偶然会場の近くを通りかかり、「無料だったから」とこの大会を見学していたところ、スタッフに声をかけられた。「来年、出てみない?」。その時は想像もしていなかったが、連絡先を交換したことで、練習場に足を運ぶことに。「最初は渋々やっていたけれど、練習するうちに知り合いが増え、世界が広がっていった。仲間ができた喜びは大きく、競技を続けていきたいと思うようになった」と笑顔を見せる。

 アテネ・ロンドンパラリンピック日本代表で、昨年7月に肘の手術から復帰し、今大会数年ぶりに日本記録を更新した80kg級の宇城元(うじろ・はじめ/順天堂大)は、「新しい選手が増えるのはうれしいこと。究極のメンタルスポーツなので、自分の経験から何か助言をしてあげられれば」と話す。

 選手の裾野が広がりつつあるのと同時に、そのレベルも全体的に上昇傾向にある。その理由のひとつに挙げられるのが、パラ・パワーリフティング界の世界的指導者、イギリスのジョン・エイモス氏の直接指導だ。エイモス氏は元選手で、引退後は母国イギリスで初の金メダリストを育てた名コーチとして知られる。連盟の尽力もあり、今年4月から年に4回の予定で国内の強化合宿への招聘が実現。エイモス氏は、選手やコーチに技術指導とトレーニング指導を行なっている。

 これまでは選手の多くが、自宅や個人ジムで練習してきた。その結果、競技には不要な筋肉がついたり、「より重く」を追求するあまりケガをしたりする選手が多かった。身体の構造を熟知するエイモス氏は「パラ・パワーリフティングは片脚切断や機能障がいなど、障がいによってフォームや呼吸法が異なるものだ。選手本人もコーチもそれを理解しなければならない」と説き、選手18名について一人ひとりのトレーニングメニューを作成している。

 戸田は4月からエイモス氏の指導を受け、飛躍的に記録を伸ばしている選手のひとりだ。今大会11人がエントリーした男子59kg級で、自己ベストを10kg上回る120kgを挙げて優勝した。

「これまでは自分を追い込むハードな練習をしていたけれど、ジョンのメニューはターゲットにピークを合わせていく長期プラン。最近は身体の痛みもないし、安定感が増してきた。今はこのメニューをこなせば成長できる、と迷いがなくなった」と全幅の信頼を寄せる。

 馬島もこれまで毎日ジムで練習をしてきたが、エイモス氏のアドバイスを受け、今大会に向けてトレーニングは週3回にとどめていたという。

「練習量が減れば不安になるが、逆に気持ちの部分で鍛えられる。45歳だけど、まだ伸びしろがあると感じるし、あきらめず頑張りたい」と力強く話す。

 もう1点、選手の成長を支えているのが、練習環境の変化だ。昨年夏、京都府城陽市の「サン・アビリティーズ城陽」がパラ・パワーリフティングのナショナルトレーニングセンター(NTC)に指定された。国から年間1000万円の予算がつき、IPC(国際パラリンピック委員会)公認のベンチ台が5台ある。主審と副審の位置を想定し、4方向からフォームを確認できる動作解析の映像機器も導入している。

 堺市からNTCへ練習に通う男子107kg級の中辻克仁(個人)に聞くと、こうした最先端機器の活用とエイモス氏のメニューで、フォームの精度が上がりつつあるという。中辻は昨年のこの大会で192kgの日本記録をマークしたものの、その後は1年伸び悩んでいた。

 だが今大会、第2試技で193kgを挙げて記録を更新すると、第3試技でも197kgに成功。特別試技では惜しくも失敗したものの、日本人初となる200kgに挑戦し、会場を大いに沸かせた。「9月の世界選手権に向けて200kgの感触を掴みたかったので、いい結果になったと思う。一番怖いのはケガ。エイモスコーチの指導を受けてまだ3カ月ですが、少しずつ彼の言う通りの身体になってきた」と、手ごたえを感じている様子だった。

 日本パラ・パワーリフティング連盟の吉田進理事長は、大会結果とここまでの取り組みを振り返り、女子選手のさらなる増加を課題にあげる。「競技人口が増えているとはいえ、今大会も女子は7名しかエントリーしていません。30人くらいまで伸びればと考えています」。

 その一方で、「新しい選手たちがものすごい勢いで伸びています。また、ベテラン勢もひと皮むけようとしている。お互いに刺激を受け、またエイモスのノウハウを信じて、いい結果が出始めています」と話す。

 日本勢はパラリンピックでメダルを獲得したことがなく、世界との差はまだ大きい。まず東京パラリンピックに出場するには、世界ランキングを10位以内に上げる必要がある。「つまり、3年間かけた”予選”が始まるということ。ここを勝ち抜くのは容易ではありませんが、しっかり強化を図っていきたい」と吉田理事長は今後への意気込みを語ってくれた。