2024年パリ五輪のマラソン日本代表の座を狙う、女子選手たちへのインタビュー。パリ五輪出場のためには、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ・10月15日開催)で勝ち抜かなければならない。選手たちは、そのためにどのような対策をしているの…

2024年パリ五輪のマラソン日本代表の座を狙う、女子選手たちへのインタビュー。パリ五輪出場のためには、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ・10月15日開催)で勝ち抜かなければならない。選手たちは、そのためにどのような対策をしているのか、またMGCやパリ五輪にかける思いについて聞いていく。

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パリ五輪を目指す、女子マラソン選手たち
~Road to PARIS~
最終回・細田あい(エディオン)後編

前編を読む>>マラソンでパリ五輪を狙う細田あいのターニングポイント 悩みから抜け出し感動した瞬間



MGC出場選手発表会見に出席した細田あい

 2度目のマラソンとなった2020年の名古屋ウイメンズで、細田あいは2時間26分34秒を出して、PBを更新した。だが、これからという時に新型コロナウィルスが国内に蔓延し、レースは軒並みキャンセルになり、実業団の活動も停止状態に陥った。東京五輪も1年の延期が決まり、陸上のカレンダーが大きく狂っていった。

 ネガティブなことが続く中、細田の心も次第に沈んでいった。

「当時、肉離れをしてしまったんですけど、治ってはまたぶり返してというのが続いて、レースに出られないですし、ケガも治らない。自分の心と体のバランスが崩れてしんどくなってしまったんです。自分の限界を感じたわけじゃないんですけど、色んな事を考えるのが嫌になって、もうやめようと思ったんです」

 部屋で落ち込む時間が長くつづき、チームスタッフともうまく会話ができなくなった。東京五輪にも出られず、ケガばかりしている自分にも嫌気がさした。チーム練習が再開されても競技に集中できなくなっていた。

「もう限界で、高校の恩師や大学の先生にやめようと思っていますと話をしに行きました。進学する時や実業団に行く時に送り出してもらったので、やめる時はきちんと自分の気持ちを伝えようと思ったんです」

 先生たちは細田の気持ちに理解を示しながらも、「これから脂がのってくる年齢になるし、まだまだ走れる。ケガで走れなくなったわけじゃないから可能性はある。お前の走りをもっと見たい」と、激励してくれた。両親からも「自分の人生なので好きにしたらいい。でも、走っている姿をもっと見たいね」と言われた。

「先生や両親に『自分の走りをまだ見たい』と言われたのは、すごくうれしかったです。陸上を嫌いにはなったけど、ケガで走れなくなったわけじゃなく、気持ちが走れなくなっただけなので、本当にこれでやめて後悔はないのか、よく考えました。これだけ私を応援してくれる人がいることは本当にありがたかったですし、その人たちにまだ頑張って走っているよという姿を見せたいなと思ったら、もう1回やってみようと思えたんです。すごく苦しかった時期を過ごしたんですけど、苦しんだことでいろんな気付きがありました。自分にとって陸上人生最大のターニングポイントになりました」

【実業団を移籍し再スタート】

 2021年1月、細田はダイハツからエディオンに移籍した。

 日体大時代にダイハツに勧誘してくれた沢栁厚志コーチがちょうどエディオンの監督に就任したのが大きなキッカケになった。

「環境を変えることで、新しい気持ちでやれると思いました。同時に新しい場所で競技を続けると決めたので、覚悟を持って挑み、結果を出さないといけないという気持ちになりました」

 2021年6月の日本選手権5000mでは、廣中璃梨佳(日本郵政)や新谷仁美(積水化学)、田中希実(当時・豊田織機/現・New Balance)ら強力なランナーと競り合って5位に入賞し、走力が戻ってきていることを実感できた。

「この頃は、自分でもびっくりするぐらい走れました。4月に行なわれた日体大記録会に高校の先生と大学の先生がいらっしゃって、新しいユニフォームをお披露目しました。そして3000mで、9分08秒09で当時の自己新記録を出しました。スピード練習をガンガンしていたわけじゃないですけど、走り込みができていましたし、気持ちが切り替わったのもあって、いい走り出しができました。それが日本選手権にもつながっていったので、もうノリノリな感じで走れていましたね」

 ケガが治り、練習メニューもしっかりと消化できるようになった。基礎を固められたことで、走りが安定してきた。

 2022年、名古屋ウイメンズでは2時間24分26で総合4位に入り、MGCの出場権を獲得。さらに勢いはつづき、10月のロンドンマラソンでは2時間21分42秒の自己ベスト、日本歴代8位のタイムを出した。 

 このレースで得たものは、細田にとって大きな財産になった。

「本番まで一度もケガすることなく練習を積めたのが大きかったですね。過去3回は、レース前の練習で故障して何日も離脱し、レース中にケガもしたんです。でも、この時は一度もケガすることなく、練習が積めてトラックの流れをそのままつなげることができた。そこでタイムが出たので、ケガせずに走れたら結果がついてくるという当たり前のことにあらためて気付きました」

 さらに、自分の新たな一面に気付くこともあった。海外のレースは、日本のように時間がきっちり守られる感じではなく、集合時間になってものんびりしている。コースに移動する出発の時間が遅れたり、到着時間がアップの時間を過ぎていたり、「えぇ?」と思うこともあったが焦らず、臨機応変に対応できた。

 ケガなく走れたことは良かったがレースに目を転じると、トップとの差は8分近くあった。記録は日本歴代8位でも成績は総合9位で、世界との差をまざまざと見せつけられた。

「こんなに差があるんだなっていうのが分かったし、オリンピックではこういう人たちと戦うので、まだまだ力が足りないなと思いましたね」

【高橋尚子のアドバイスどおりコースの下見に】

 その後は、MGCに向けて海外で高地トレーニングを行ない、その流れで今年3月の東京マラソンに出場。細田は、2時間22分08秒のセカンドベストで、日本人2位、総合7位と結果を残した。それから「スピード強化に加え、距離も踏んで両方をマラソンに活かしていく」というプランを描いていたが、体調を崩したり、故障もあって、トラックシーズンは「グズグズの状態」だったという。レースの出場も監督からは「無理に出る必要はない」と言われていたが、「レースの間隔があいてしまうと緊張の度合いが上がってしまい、不安が大きくなるのでレースに出たい」と監督に直訴。7月ホクレン深川大会の3000mに出場し、夏合宿に入った。

「ここまで順調とは言えないですね。自分の思うような流れが出来ていない」

 細田はそう語るが、その表情に悲壮感は見られない。

 MGCに勝てば、パリ五輪への切符を手にすることになる。細田にとってパリ五輪は、どういう位置付けなのだろうか。

「東京五輪も狙っていなかったわけではなかったんです。でも、前回はMGCに出場できなかったですし、ファイナルチャレンジのレースに出たけど勝負にならなかった。五輪の選考にまったく絡めなかったですが、今回はパリ五輪に手が届くというか、そのチャンスがあるので、自分の力を発揮して勝ち取りたいです。年齢的にはパリの次のロス五輪の方がさらに脂がのっていると言われますけど、その時、どうなっているかなんて誰も分からないじゃないですか。今、パリを狙える位置にいるなら、そこに手を伸ばさないわけにはいかないです」

 その前に、MGCという大一番を乗り越えていかなければならないが、レースコースはすでに下見をして頭の中に入っている。

「MGCのレースコースの会見の時、高橋尚子さんとお話しする機会があって、自分はコースはレースギリギリで確認すればいいかなって思ったんです。でも、高橋さんから『レースコースを見て、それをイメージして練習に取り組んだ方がいい』というアドバイスをいただいて、夏合宿前に見に行きました。35キロから40キロまで地味に上りがつづきますし、間違いなくこの辺でレースが動いてくるだろうなって思いました。ただ、自分が気になったのは40キロを超えたところの下りです。足が動かなくなってきたところで下りなので、勝手に進んでしまうため、足へのダメージが大きいなと思いました。キツイですけど、ここが最後の勝負所かなと思います」

 ラストは下って、ゴールの国立競技場に飛び込んでいくことになる。

「ここ(国立)に1番か2番で入ってくるのが理想です。大きなレースになると何とかなるでしょと思う自分と、本当に自分の能力を出せるのか不安に駆られる自分がいるんですけど...一度、本気で陸上をやめようと思った時に、支えてくれた人達に喜んでもらいたい。当日は、みなさんが応援に来てくれるみたいなので、まだ頑張っていますよという姿を見せられたらいいかなって思っています」

PROFILE
細田あい(ほそだ・あい)
1995年11月27日生まれ。長野東高校から日本体育大学へと進学し、本格的に駅伝に取り組みはじめる。1年時から全日本大学女子駅伝に出場するなどし、「日体大のエース」と呼ばれるまでに。卒業後、ダイハツ→エディオンと進み、2022年開催の「名古屋ウイメンズ2022」で2時間24分26秒を記録し、MGCへの出場権を獲得。同年10月に開催された「2022ロンドンマラソン」において日本歴代8位となる2時間21分42秒を記録した。