9月9日放送の「卓球ジャパン!」は、日本卓球界の生ける伝説、小西海偉スペシャル。ご本人をゲストに迎え、その熱すぎる卓球人生を振り返った。

小西は、日本卓球史上初のインターハイ男子シングルス3連覇、全日本選手権2連覇、2009年世界卓球では低迷が続いていた日本男子として実に24年ぶりの男子シングルスのメダル獲得といった、数々の偉業を成し遂げた名選手。

そしてなんと、42歳の今なお現役でプレーを続けている現役レジェンドなのだ。

小西は卓球帝国・中国の出身。中国名・宋海偉として河北省に生まれ、6歳で卓球を始めた。

7歳になる前にはナショナルチーム入りを目指して寮生活を始める。さぞかしものすごい練習量だったのだろうと思いきや、当時の一日の時間割は4時間ほど。

MC平野早矢香から、中国と日本との違いを問われた小西の答えは意外なものだった。

「逆に日本の方が強いんじゃないですかね」(小西)

小学生やジュニアの段階では、中国より日本の方が強いというのだ。日本では試合が多くて試合勘が磨かれる一方、中国では練習が多くて基本を徹底的に叩き込まれるため、大人になってからどんどん強くなるというのが小西の考えだ。

小西に大きな転機が訪れたのは15歳のとき。選手をスカウトしに来た故・吉田安夫(当時、青森山田高校卓球部総監督)の目にとまったのだ。

「一番元気だったから」と小西は語る。

中国代表を目指していた小西は迷ったが、チームの監督の勧めもあって最終的に来日を決意する。

「日本に来て大成功でした」(小西)

翌年、青森山田高校に入学した小西は、直後のインターハイで男子シングルスに優勝し、そのまま史上初の3連覇を成し遂げる。

しかし、小西の目標はあくまでも世界。ところが日本国籍がないと、世界選手権どころか全日本選手権にさえ出られない。

「高校で一番強いのに、なんで自分が出られないのかといつも考えてました」(小西)

同じ青森山田高校の同学年の選手がすでに2人も世界選手権に出ていたのだから、小西の思いは当然だった。

こうして小西は23歳のとき待望の日本国籍を取得する。名前は恩師から苗字をもらい吉田海偉とした(その後、結婚を機に小西姓となる)。小西にとって、吉田安夫は自身の卓球を花開かせたまさに恩人だった。その指導を小西はこう振り返る。

「鬼ですよ。キツすぎて何度も中国に帰りたいと思いました」(小西)

その経験があったからこそ、その後の活躍があったのだろう。

小西は全日本選手権で5度決勝に進んでいるが、後半の3回は同じ選手に敗れている。その相手こそ、吉田を倒して初優勝し、後に前人未到のV10を成し遂げる水谷隼だった。レジェンドからレジェンドへのバトンだ。

その水谷がVTRで吉田にエールを送った。

「勝ちへの執念が凄く、一緒に団体戦を戦ってきたんですが一番頼れる選手でした。(今後の活躍で期待することは)日本代表を倒してほしいですね。卓球の厳しさを教えてほしいと思います」(水谷)

これを聞いた小西は「ヤバイ、手汗がヤバい」と思わず武者震い。

「本当に日本代表の選手を倒したいですよ。オレはまだ年とってないよって見せたいんですよ。オレはまだできるよ、ナメてちゃいけないよって」(小西)

熱い。熱すぎる。実際、小西はつい昨年のヨーロッパリーグで、東京五輪銅メダリストのオフチャロフ(ドイツ)を破っている。心配しなくてもこれほど危険な42歳をナメる若手などいない。

「まだまだ行けますよ。これからです。50までやりたいと思ってます」(小西)

現役卓球レジェンドは、まだまだどこまでも熱い。

「卓球ジャパン!」BSテレ東で毎週土曜夜10時30分放送