「まだちょっと説明がつかないというか、自分のなかでうまく原因がわからない......。例年に比べると冬期練習の入りが遅れ、1km4分をきるレースペースの練習の頻度や距離、ボリュームが足りなかったのは事実です」 こうレース直後に振り返ったのは…

「まだちょっと説明がつかないというか、自分のなかでうまく原因がわからない......。例年に比べると冬期練習の入りが遅れ、1km4分をきるレースペースの練習の頻度や距離、ボリュームが足りなかったのは事実です」

 こうレース直後に振り返ったのは、今回の世界陸上で3連覇が期待されながらも24位という結果になった競歩20kmの山西利和(愛知製鋼)だ。レースから数日後、あらためてこの結果に至った要因の分析とともにパリ五輪に向けてこれからやるべきことを語ってもらった。

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この敗戦もパリ五輪に向けては、よかったと前向きに捉えた山西利和

 レース直前には雷雨によりスタートが2時間の遅れるアクシデントがあったが、「それは関係ない」と言い、今回の結果につながったひとつ目の要因として、昨年の秋以降からの積み上げが足りなかったことを挙げた。

「10月末の全日本35km競歩高畠大会に出たので、9月と10月はそちらの練習に当てましたが、強化というよりそれまでの貯金を食い潰しながらやっていたという感覚でした。しかし、大会後に一からやり直そうというところで足踏みをしてしまったんですよね。11月は自分の挙式やアスリート委員の会議で国外への移動があったり、12月に練習を始めたら脚に少し痛みが出たり。11月から12月半ば過ぎまでは軽い練習でした。それが(練習の積み上げができず)痛かったですね。そのあとから、今年の4月くらいまでに冬期練習分を積めればいいと思っていましたが、間に合わなかったです」

 ふたつ目の要因としては、「新しいことにチャレンジしたこと」だ。本来、世界選手権は隔年開催。いつもどおりのスケジュールなら、1年間、試す期間があって、次に備えられる。だが2020年東京五輪とその翌年の世界選手権が新型コロナウイルスの蔓延により、1年ずつズレたために2021年に東京五輪、2022年に世界陸上オレゴン大会となった。本来空くはずだった2023年には世界陸上ブダペスト大会が入り、2024年にはパリ五輪、2025年に世界陸上東京大会が控える異常な状況になっている。これでは切り替える時間が取れない。

「2021年東京五輪から5年続けて世界大会が続くなかで、毎年夏の国際大会の20kmのためだけに5年間を過ごし続けるというのもなんだか味気ないなと......。イメージとして、僕がやっているのは螺旋階段を上り続ける作業だけど、ずっとすべてを同じサイクルで回り続けるというのも個人的には『まぁ、うーん』と思いますし。

 2016年リオデジャネイロ五輪と次の世界選手権で連続メダルを獲得した荒井広宙さん(富士通)からは、『そこにちょっと飽きが来てしまった』とも聞いていたので、それなら自分もカンフル剤的に何か違うことをしてみようと思ったんです。(高畠大会に出たことなどチャレンジに)明確な意図があるほどのチョイスではなかったけど、『何か得られたらいいな』くらいで、ちょっと摘まみ食いというか一歩外れてみようかと。そういうのがこのブダペストに関してだけを言うなら、よくないほうに作用してしまったと思います」

 ただ、これも前向きに捉えている。

「長いキャリアを見た時には、35kmを1回やっておくとか、私生活の変化やイベントを踏んでおくことは僕の人生や、競技生活全体を見た時に必ずしもマイナスではないだろうし、そのチョイスをすべきではなかったとは思わないです」

 そして3つ目は、本来、各国の競歩強国が打倒・山西に照準を絞ってきたということだ。山西は各国とのメダル争いついてこう分析している。

「直前のコンディショニングというか、どういう場所で合宿をやっているかです。2019年の世界陸上ドーハ大会では20kmと50kmで日本が金メダル獲りましたが、東京五輪の男女の20kmはイタリアが獲り、今回は男女の2種目ともにスペインが獲りました。

 そうなると、ある程度は季節と、ドーハと関東の気候、札幌とイタリアの気候、ブダペストとヨーロッパ圏内の気候。その相性がどれくらいマッチしているかという相関はあると思います。(今回に関して言えば)ヨーロッパは移動も簡単でいろいろな練習場所を探せるし、陽射しが強くても朝夕は涼しくて空気もカラッとしている。そういう環境は日本にないから、厳密に考えればそういうところもあるだろうなと思います」

 今年の日本はどこも暑く、質を上げた練習を増やすのは難しく、山西は70%ほどの準備しかできなかったという。だが、ヨーロッパ勢は山西を破るために、よりよい環境を求め、100%の準備をしてきていた。

 さらに山西は2019年ドーハ大会の優勝を当時、「たまたま序盤でうまく(前に)出られた結果で、本当の力ではない」と冷静に分析していたが、翌年に東京五輪が控えていた状況のなかで"世界王者"という肩書きも背負うことになった。

「最初は関係ないと思っていましたけど、背負っていましたね。だから東京五輪ではドーハと同じことをしようとしたんです。他の選手からの自分の見られ方は変わっているし、周囲から求められるものも変わっているのに同じことをしようとしちゃって。そのギャップに自分が対処できなかったというか、焦ってしまったんです。それを受けて『あぁ、同じことをしてちゃダメだな』と思ったし、『ちゃんと背負った上で勝てるようにしなければいけないな』と考えて。それが去年のオレゴン大会でうまくいったので、背負ったり、いろんなものと折り合いをつけながら、それでもなお勝ちにいこうとする姿勢が必要かなと思っていました」

 これらを含めても、今回の敗戦は捉えようによっては、来年のパリ五輪へ向けてよかったのかもしれない。結果的にこの1年「世界王者」という肩書きを背負うことなく、新しいことに挑戦した結果を咀嚼し直して過ごすことができるからだ。

「やっぱり求められていることから目をそらすとか、それを外して自分のスタンスを貫き続け、同じところに居続けようとするのはよくないと思います。最初に言ったように、何かを試して外してもいい。ただ、外して自分が元のいたところに戻ってしまうのは、結局成長ではないと感じています。

 今は、『去年ひっつけたもの(新しくやったこと)を今年はどうしようかな。来年どうしようかな』という感じで。今年はよくなかったので、気負うことなく来年はわりと気楽にいけるんじゃないかと思っています」

 もし今年が1年間何もない中間年で、主要大会がアジア大会だけだったら、今回のような教訓は得られなかっただろうとも言う。

「今はやるべきことがたくさんあるので楽しみですね。『この1年はよかった』という状態から何か違うことをしようと考えるのと、『これとこれが足りない』というのを突きつけられたうえで『じゃあ何を変えていこうかな』というのでは、取り組む感じは全然違う。目的の方向が明確なだけに、踏み出す一歩の力強さは違いますね。石橋を叩かなくてもいいから」

 これまでは常にメダルラインでの戦いをしてきた山西。そのなかで必要になってくる作業は「重箱の隅を突き、神に祈るように手順を踏んでいくみたい」だと言う。だが今回は、重箱の隅を突いただけでは追いつかないような実力の差を見せつけられた。

「だからこそ今回は、学生時代や世界陸上ロンドン大会を逃した時に感じた、シンプルに『実力をつけなければいけない』というところに帰ってこられたので、スッキリしている」

 こう言って笑顔を見せる山西はこの敗戦で、パリ五輪金メダル獲得への思いをさらに強くしている。