サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マ…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は「大事なのは帽子ではなく、その中身」―。

■国際試合初の記録

 サッカーの国際試合で初めて「ハットトリック」を達成したと言われているのがスコットランドのジョン・マクドゥーガルである。1878年3月2日、スコットランドのグラスゴーにある旧ハムデン・パーク・スタジアムに1万5000人の観衆を集めて行われたイングランドとの定期戦。マクドゥーガルは前半7分に先制点を挙げ、41分に自身2点目(チーム4点目)、そして後半立ち上がりに3点目を記録した。試合はスコットランドの7-2の勝利だった。

 ワールドカップでは過去54回ハットトリックが記録されている。最新は昨年の大会の決勝戦でアルゼンチンを相手にフランスのキリアン・エムバペが記録したものだったが、2点はPKによるものだった。決勝戦でのハットトリックは1966年大会のジェフ・ハースト(イングランド)に次ぎ2人目。ともに延長戦まで戦ってのハットトリックだった。

 ワールドカップで2回のハットトリックを完成した選手は4人。ハンガリーのコチシュ・シャンドール(1954年大会)、フランスのジュスト・フォンテーヌ(1958年大会)、西ドイツのゲルト・ミュラー(1970年大会)、そしてアルゼンチンのガブリエル・バティストゥータ(1994年大会と1998年大会)である。3回達成した選手はまだいない。

■意外なW杯第1号

 さて、ワールドカップのハットトリック第1号は誰かというのは、かなり高度なクイズになるのではないか。それよりも、どこの国の選手かという問題にしたらいいだろうか―。正解は、バート・パテナウデ、なんとアメリカ代表選手なのである。

 1930年の第1回ウルグアイ大会。第4組の初戦でアメリカはベルギーを3-0で下し、パテナウデは3点目を記録。続くパラグアイ戦(7月17日、パルケ・セントラル・スタジアム)では前半10分、15分、そして5分にゴールを記録してアメリカを3-0の勝利に導いた。

 この2日後にアルゼンチンのギジェルモ・スタビレがメキシコを相手に3得点を挙げ、ワールドカップで初ハットトリックかと騒がれた。当時は記録が混乱しており、パテナウデのパラグアイ戦の2点目は相手のオウンゴールであるという説と、同じアメリカのFWトム・フロリーの得点という説もあったからだ。FIFAが正式にこれをパテナウデの得点とし、彼を「最初のハットトリック」と認定したのは、2006年11月のことだった。

■アメリカ最強チームのFW

 アメリカは準決勝でアルゼンチンに1-6で敗れたものの、この大会のセンセーションとなった。当時のアメリカはサッカーブームにあり、すでにプロリーグがあって欧州から数多くの選手が渡ってきて、アメリカ国籍を獲得して出場していた。ロングパスを基本とするパワフルなサッカーと、それぞれの選手の実力を見れば、準決勝進出は驚きではなかった。

 ただ、パテナウデの活躍は、そのアメリカ代表にも意外だった。彼はフランス系の両親をもち、東部のマサチューセッツ州で生まれてアメリカでプロになった選手だったが、このワールドカップ以前に代表に選ばれたことはなく、この大会を終えた後にアメリカ代表が立ち寄ったブラジルとの親善試合(3-4の敗戦)で2点を取った後、再び代表に選ばれることはなかったからである。パテナウデのアメリカ代表での記録は、出場4試合、6得点だった。

 当時のアメリカのプロリーグの最強チームはマサチューセッツ州のフォール・リバーFCだった。アメリカ代表のボブ・ミラー監督は、そのFWコンビであるパテナウデとビリー・ゴンサルベスでアメリカの攻撃を強化しようとしたのだ。なにしろこのクラブに在籍した4年間で、パテナウデは114試合に出場して112点、ゴンサルベスは116試合に出場して69得点。こんなFWが並んでいたら、フォール・リバーが無敵だったのは無理もない。

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