これまでは世界との差が明確で、準決勝に進出しても敗退していた日本の男子110mハードル。泉谷駿介(住友電工)は、今年6月に日本記録(13秒04)をマークし、今季の世界トップリスト5位という記録を引っ提げて世界陸上に臨んだ。175cmと世界…

 これまでは世界との差が明確で、準決勝に進出しても敗退していた日本の男子110mハードル。泉谷駿介(住友電工)は、今年6月に日本記録(13秒04)をマークし、今季の世界トップリスト5位という記録を引っ提げて世界陸上に臨んだ。



175cmと世界では小柄ながらもそこを生かす走りで戦う泉谷駿介

【走りを世界標準に変更】

 高校時代は八種競技に取り組み、高校3年では三段跳びで高校ランキング1位になっていた泉谷。順天堂大学入学後も三段跳びや走り幅跳びの記録を伸ばしていたが、ケガも多く、大学4年で13秒06の日本新を出した110mハードルに比重を置くことを決めた。

 2021年東京五輪では準決勝に進出し、2022年世界選手権オレゴン大会でも準決勝に進んだが、世界トップ選手の体格やパワーに圧倒されていた。その時は「違う種目を考えたほうがいいかもしれない」と弱気な言葉を口にしていたほどだ。

 だが、今季は世界を目指す日本人選手の多くが武器にしている、爆発力を生かした前半型のレース展開から、ハードル間の刻みをより速くしてスピードアップをしていく後半型にスタイルを変えた。山崎一彦専任コーチ(順天堂大)が「世界のトップ選手はそういうスタイル」と言うように、"世界標準"への変更だった。

 高い運動能力で、その走りを短期間で身につけた成果が、シーズン2戦目のセイコーゴールデングランプリの13秒07と、3戦目の日本選手権決勝の13秒04の日本記録につながった。

 とくに日本選手権決勝の13秒04は向かい風0.9mの条件で、今回の世界選手権で準決勝に進出した高山峻野(ゼンリン)に先行される展開だった。

「前半は高山さんに(前に)出られたのでちょっと焦りましたが、最近の持ち味である中盤以降で乗っていくという自分の走りができたのが大きい」と泉谷はレースを振り返った。

 そして、「完璧というわけではなかったのにこのタイムは......」と自信の記録に驚いていたが「ここまで急に来てしまったのであまり実感が湧かない」と言いながらも、ゴールデングランプリに続く0秒台には、「国内で0台を2本走れたのは自信につながる。世界陸上の決勝も見えてきた」と、自身への期待感も高めていた。

 そんな泉谷が自信をさらに確かなものにしたのは、今年6月下旬に初めて参加したヨーロッパでの転戦だった。チェコのワールドコンチネンタルツアーの4位から始まり、ダイアモンドリーグ・ローザンヌ大会ではアメリカのトップ選手がいなかったとはいえ、世界最高峰ツアーで初勝利をあげた。

 さらに、7月23日のダイヤモンドリーグ・ロンドン大会では、アメリカやイギリスのトップ選手のほか、東京五輪優勝のハンスル・パーチメント(ジャマイカ)も出ているなか、13秒06で2位。日本選手権決勝のあと、「海外の転戦でも今回くらいのタイムを出していかないとダメだと思う」と話していた目標をさっそくクリアしていた。

【自信を積み上げて迎えた世界陸上】

 今回の世界陸上は自信を持って臨んだとはいえ、これまでとは違って自身も周囲も決勝進出を期待するレースで、予選から緊張感が違った。それでも「緊張したけど、ダイヤモンドリーグで学んだこともあるので」と話すように、余裕のある走りで2位になり、全体8位で準決勝進出。「トップ選手と走っても焦らなくなった。今日も横の選手が見えても焦らなかったけど、ちょっと技術が噛み合わないところがあって2位になった」と冷静に分析していた。

 準決勝は、6レーンを走る泉谷は5レーンのダニエル・ロバート(アメリカ/自己記録13秒00)を追いかける展開。

「準決勝はちょっとハードリングが浮いてフワッとした感じになってしまったけど、その分インターバルの走りでしっかり稼ぐことができました。横の選手に最初は(前に)出られるのはわかっていたので、そこは落ち着いて対応できました」

 そこから徐々に差を詰めていくと、最後のハードルを越えてからスッと前に出るこれまでの日本選手にはない強さを見せ、ノルマとしていた同種目日本人初となる決勝進出を達成。「お見事!」という内容のレースだった。

 決勝は、準決勝を終えてから1時間半後という厳しいスケジュール。それでも「緊張感もなく楽しい感じでいつもどおりにスタートラインに立てたし、楽しい気持ちでいっぱいでした」という泉谷。1台目のハードルをしっかり超えたが、2台目と6台目、9台目は尻がハードルに乗ってしまうなど、ハードルに触れる走りになってしまった。

「スターティングブロックを蹴った瞬間に両足のふくらはぎが攣ってしまったのと、腰のナンバーゼッケンが手に貼りつくなど、いろいろ気になることがあって焦りまくってしまいました。そのなかでも腸腰筋を使う感じでふくらはぎと足首を固めてタッチするような体の使い方に切り替えられたので、あの状態のなかではいい走りができたと思います」

 優勝は隣の5レーンでシーズンベストの12秒96を出したグラント・ホロウェイ(アメリカ/2019年、2022年世界選手権優勝)だったが、「ちょっとは意識していましたが、後半は落ちるだろうなと思っていて......。でも足が攣ってしまったので、彼を見ている暇はなかったですね」と笑う。

初めての決勝はアクシデントでガタガタの走りになってしまったが、それでも13秒19でまとめて5位入賞。悔しさはありつつも笑顔でこう振り返る。

「準決勝の調子がよかったので、そこから少し修正してゼロ台を出したらメダルもあるかなと思ったけれど、自分の走りをするので精一杯でした」

 2位のパーチメントが13秒07で3位のロバートは13秒09だっただけに、メダルの可能性は十分ある結果だった。

【パリ五輪までの1年で積み上げるべきこと】

 海外の試合を転戦し、いろいろな条件や調子でレースをしたことで、「その時々の状況に対応できる引き出しの数が増えた」と話す泉谷。今回実感したのは、2日間で3本のレースをしっかり走りきれる体力や筋肉を作らなくてはいけないということだった。

「メダルも近いようで遠くて。トップ選手は本番に強いなとあらためて感じました。1年後のパリ五輪もこのまま自分の力を出しきれば、もしかしたらメダルもあるんじゃないかなとも思っているけど、それをあまり意識しないでしっかりアベレージを上げていくことが大事だと思います。欲を言えば12秒台も欲しいけど、そこは来年......。ホロウェイ選手のように予選、準決、決勝としっかりアベレージタイムを上げていくような選手になりたいと思います。そのために、まずはしっかり体作りをして練習を積んでいくだけだと思います」

 両ふくらはぎが攣った状態ながらも、緊張する世界陸上の決勝を13秒19で走れたのは、泉谷の底力を証明するものだった。準決勝後、「完璧ではなかった」とさらなる修正を口にしたように、本人も決勝で13秒0台は出せると意識していた。

 今大会、ホロウェイに勝つのは難しかったが、銀メダルは可能性があった。事実、2位は13秒07で、泉谷が本来の力を発揮すれば届いた記録だ。山崎コーチも「銀あたりは見えていた」と評価する。

 今回の世界陸上では、これまで経験したことのない短時間の間に準決勝、決勝を走った。だからこそ、泉谷は今の自分に何が足りないかが明確になった。この経験がパリ五輪のメダルにつながることは間違いない。目標にする12秒台を出してパリ五輪に臨めれば、トップ選手に脅威を与える存在になり、金メダルの可能性も広がってくる。