「なぜ、こんなにすべてを失ってしまったんだ? まったくわからないよ」 ハンガリーGP決勝のチェッカードフラッグを受けるなり、角田裕毅は無線でエンジニアに訴えた。「なぜ、うしろにいたドライバーがみんな前にいるんだ? 戦略すべてが間違っている」…

「なぜ、こんなにすべてを失ってしまったんだ? まったくわからないよ」

 ハンガリーGP決勝のチェッカードフラッグを受けるなり、角田裕毅は無線でエンジニアに訴えた。

「なぜ、うしろにいたドライバーがみんな前にいるんだ? 戦略すべてが間違っている」

 スタートで11位まで浮上した角田は、最初のピットストップで順位を2つ下げ、2回目のピットストップでさらに3つ下げた。最後にローガン・サージェント(ウイリアムズ)がスピンで離脱して、角田は15位でレースを終えた。



ファンの声援に応える角田裕毅

【ピットストップで大幅なロス】

「OK、それまでだ。あとで話し合おう」

 レースエンジニアのマッティア・スピニも、自分たちの戦略が悪手であったことはわかっていたのだろう。角田にそれ以上チーム批判をさせないよう、そう制した。これはチーム内で話し合うべきことであり、公衆の面前で批判することはチームにとっても、角田自身にとってもプラスにならないからだ。

 17番グリッドからのスタートで失うものがない角田は、ギャンブル的にソフトタイヤを選んだ。それが功を奏してスタートダッシュを決め、混乱に乗じて11位に上がった。一方でチームメイトのダニエル・リカルドは後続に追突されて玉突き事故に巻き込まれ、最下位18位までポジションを落としてしまった。

 角田は中団グループ上位の集団でタイヤをうまく保たせてペースを維持し、チャンスを狙っていた。

 8周目にアレクサンダー・アルボン(ウイリアムズ)がアンダーカットを狙ってピットインしたのに対し、角田、ランス・ストロール(アストンマーティン)、バルテリ・ボッタス(アルファロメオ)はこれを阻止するためにピットイン。角田のタイヤはまだ残っていたが、デグラデーション(タイヤの性能低下)が激しいハンガロリンクではここで反応しなければ行かれてしまうのだから、このリアクションは正解だった。

 しかし、ピットストップに7.3秒を要してしまい、同時ピットインのボッタスに抜かれ、アルボンにもアンダーカットを許して、ふたつポジションを落とすことになった。



角田裕毅のチームメイトになった34歳のリカルド

【リカルドが選んだ最高の戦略】

 ピットでのミスは、角田が停止線より30cmほど行きすぎてしまったことも影響しているため、チームクルーだけを責めることはできない。それにこの時点では、まだボッタスとアルボンの後方で中団トップを争う位置にとどまっており、レース序盤と同じく第2スティントも引き続き中団グループ上位集団のトレインの中で走ることができていた。

 つまり、この後の展開次第では、まだまだ挽回のチャンスはあったのだ。

 一方のリカルドは、1回目のピットストップは不発に終わり、この段階ではまだ最下位にとどまっていた。それを見ても、やはり重要なのは「この先だった」ことがわかる。

 29周目、リカルドはたったの10周でハードタイヤを捨て、2回目のピットストップに動いた。残り40周をミディアムで走るという、ライバルたちの意表を突いたギャンブル的戦略だ。

 リカルドがこう動いたのには、理由があった。

「1回目は比較的早めにピットインすることにして、それでまたトラフィックの中に戻ることになってしまった。その時は何をやるにしてもクリーンエアで走れるようにしてほしいと思ったよ。それがとても重要だった。

 そうでなければ、もっとガッカリのレースになっていたかもしれない。ここは抜きにくいサーキットだし、僕らは少し最高速が遅かったしね。だから今週末は、最高の戦略を実行することが重要だったんだ」

 アルファタウリのマシンは、予選よりも決勝のほうが速い傾向がある。しかし抜けないハンガロリンクでは、前に引っかかってしまえばその実力をフルに発揮することはできない。

 だからリカルドは、ライバルたちとピットストップのタイミングをずらし、前に誰もいない状況で本来のペースで走ることを最優先に戦略を構築するべきだ、というコンセプトを明確に据えていた。これが大きかった。

 リカルドはトレインの先頭を走るアルボンより2周、ストロールやサージェントより5周、ニコ・ヒュルケンベルグ(ハース)や周冠宇(ジョウ・グアンユー/アルファロメオ)より9周も早くピットイン。前に誰もいない状態で本来の速さを引き出すことによって、5台をアンダーカットすることに成功した。

【角田の傷口はどんどん広がった】

 ただ問題は、残り40周をミディアムタイヤで走りきれるかどうか。だが、リカルドは初めて決勝を走るマシンにもかかわらず完璧なタイヤマネージメントで好ペースを維持し、最後はアルボンとボッタスの中団グループ最上位争いに追いつくところまでいった。

 スタートでリカルドのうしろにいたストロールが10位でフィニッシュしているのを見れば、リカルドは1周目のインシデントがなければ十分に入賞を争うチャンスがあったことになる。

「ということは、このペースを見れば、スタートで彼の前にとどまってそのポジションのまま走れていれば、今日は実際にポイント争いができたということになるだろうね」(リカルド)

 それに対して中団グループ上位の13位にいた角田は、前のアルボンがいなくなったことでクリーンエアになったものの、あまりペースを上げることができなかった。逆に37周目あたりからはペースが低下し、苦しい展開になった。

 それにもかかわらず、チームは44周目まで角田をステイアウトさせ、ポジションをさらに3つ落とし、傷口はどんどん広がってしまった。

 もちろん、ライバルたちの直後にピットインしてカバーしなかった時点でアンダーカットを許すのは確定していた。あとできることは、なるべく引っ張って第3スティントのタイヤ差を大きくすること。

 実際、前のサージェントより10周、ヒュルケンベルグより6周フレッシュなタイヤで追いかける状況を作り出すことはできたが、抜けないハンガロリンクでは、ここで失ったポジションを取り戻すことはできなかった。

 オーバーテイクが可能なサーキットならば、有効な戦略だったろう。だが、ここはハンガロリンク。そしてアルファタウリは、20台のなかで最も「最高速が遅いマシン」だった。

 レース後、マシンから降りた角田は怒りに満ちていた。

「(1回目のピットストップ後も)まだ挽回する余地はあったと思うんですけど、その後もすべてがうまくいかなかった。(2回目に)入るタイミングは謎でしたし、何がやりたかったのか、ちょっとわからなかったですね。ペースはよかったんですが、すべてをまとめ上げることができませんでした。その点については、これからチームとしっかり見直したいと思います」

【安全牌では入賞のチャンスはない】

 実際のところ、角田もリカルドと同じ戦略を採っていれば、リカルドの前でフィニッシュでき、アルボンの前11位でフィニッシュできた可能性が高かった。

 もちろん、残り40周をミディアムで走りきれるかどうかというギャンブルは最下位のリカルドに採らせ、中団グループ上位を争う角田には安全牌の戦略を......というセオリーはわかる。しかしその安全牌では、うまくいっても入賞のチャンスはない。

 今のアルファタウリに必要なのは、13位からひとつでも上のポジションでフィニッシュすることではなく「ポイント」だ。10位以内に入るために13位を捨てる覚悟のギャンブルをためらうべき立場ではない。

「そうですね、(あと1周あればヒュルケンベルグを)抜けたと思います。でも、ポイントを争っているわけではないので、抜けたとしても最下位と変わらないですね」

 角田は吐き捨てるように言いきった。

「可能なかぎりクリーンエアで走り、自分たち本来のペースを生かすこと」というコンセプトを明確に打ち出し、チームの戦略策定を自分の意思に沿うようリードしたこと。なおかつ、レース中もレースの全体像を把握して「抑えるべきところでは抑え、プッシュすべきところではプッシュする」レースに対する解像度の高さ。

 これらは、レッドブルなどトップチームで長年戦ってきたリカルドだからこそだ。1周目のインシデントでも冷静さを失わずそこから挽回してみせたのも、レースの質の高さを物語っている。

 予選はQ1でわずか0.013秒差、決勝もペースや戦略ミスを除いた可能性で言えば、角田とリカルドの差はわずかしかない。少なくとも、見た目のポジションという「結果」ほど大きくはなかった。

 リカルドから学べることは、見た目の差以上に大きい。復帰初戦のレース週末からスムーズにマシンに適応し、予選でマシン性能をフルに引き出してQ2に駒を進め、決勝でも置かれた状況のなかで最大限の結果を掴む──。8カ月ぶりのレースとは思えない、リカルドのレース週末全体に対するアプローチはすばらしかった。

【角田に足りていない点とは?】

 角田とリカルドの差は、速さとは違う部分にあった。

「今週はすべてがフラストレーションでした。正直に言って、ポジティブな要素はひとつもありませんでした」

 角田は吐き捨てるようにそう言ったが、それは事実ではない。金曜のポジティブな感触から、土日にここまで転落したのはなぜか?

 リカルドというベテランと組むことで、今の角田に足りていない部分も明確になった。リカルドという鏡を使い、自分自身をきちんと見詰め直すことができれば、角田はこれからさらに大きく成長できる。

 ハンガリーGPは、その角田の"現在地"が明らかになったレースだった。