ワールドカップ・カタール大会で次々と強豪国を破り、日本中を熱狂させたサッカー日本代表。実は、中心メンバーとして活躍した…

 ワールドカップ・カタール大会で次々と強豪国を破り、日本中を熱狂させたサッカー日本代表。実は、中心メンバーとして活躍した三笘薫田中碧板倉滉権田修一はともに、神奈川県川崎市に根差す町クラブ『さぎぬまSC』の出身だという。

 そんな日本代表輩出の秘密を探るべく、さぎぬまSC代表・澤田秀治氏にインタビューを敢行。4人の幼少期のエピソードとともに、その知られざる裏側に迫る!

■田中碧少年の涙の理由

――日本代表4選手のさぎぬまSC時代のエピソードについて伺いたいと思います。三笘選手は、前述の著書の中で「サッカーにおける協調性の大切さも学んだ」とも語っていますが、何か印象に残っていることはありますか?

 三笘選手が小学2年生の時、チームが川崎市の春季大会の準決勝まで勝ち上がったんです。その時、チームメイトにFWでドリブルが上手い子がいたんですが、三笘選手はその子の後ろで間合いをはかってついて行くんですよね。何かと思えば、そのFWの子が相手にボールを奪われたら、すかさず取り返してゴールを狙うんです。そして、相手からボールを奪い返せないようなら、すかさず自陣に戻って守備につくといった動きをしていました。

 だいたい小学2年生といえば、猪突猛進でボールを持っている場所へ集まったり、ボールを持ったら相手陣地へ一直線なのに、間合いを図ったうえで攻守の切り替えも考えているなんて驚きました。「今までの子とは違うな」って思いましたね。技術面が上手な子はたくさん見てきましたが、彼はそのうえ試合勘もある子でした。

―― 一方、そんな三笘選手のパスを受け、先のワールドカップ・スペイン代表戦で決勝ゴールを挙げた田中碧選手はいかがですか?

 入部の体験会に来た田中選手が、練習で泣いていたことがありました。落ち着く場所に移動して理由を聞いてみると、彼は「こんな練習つまらない」って言ったんです。たいていは、自分の思い通りにプレーができなかった時や母親と離れるのが不安で泣く子どもが多いので、僕はあっけにとられましたね(笑)。

「これからシュート練習があるから、もう少し一緒にやろうよ」と慰めてグラウンドに戻すと、彼は練習でドーンと強烈なシュートを打ったんですよ。それで、この子はすごいなって感心したのを覚えています。よくよく話を聞くと、彼はヴェルディのスクールに通っていたみたいで、その後、たまたま家の近所にあったさぎぬまSCに入ったという経緯が分かりました。

■父と二人三脚で励んでいた権田

――当時から目立っていたんですね。

 はい。田中選手の世代の監督から聞いた話では、彼が小学2年生の時、チームが招待された大会があって、その大会のとある試合でゲーム開始直後に、彼が「監督! こいつら強い!」って対戦相手のことを指して叫んだことがあったそうです。実は、その対戦相手は強豪チームで、監督も少し時間が経ってから相手の寄せの早さに気づいて、はじめて強豪だと確信したそうなんですが、田中はそれを一瞬で見抜いてしまった。そして、すかさずドリブル突破からゴールを決めて、「みんな守れ!」とチームを鼓舞し、結局、その試合に勝利できたそうです。当時から、攻守に活躍するすごい選手でした。

――GKの権田選手は、プロになってからもクラブに顔を出されることもあったそうですね。

 FC東京時代に来てくれました。その時は、子どもたちの質問会を開いた後に、一緒にミニゲームをしてくれましたね。子どもたちも大変喜んでいましたし、本当にありがたかったです。

 彼は、小学2年生から徐々にキーパーをするようになり、完全にポジションを固定したのは3年生からだったと思います。扇の要で一番後ろからゲームが見られるから、常に声を出して、選手を鼓舞していました。また、印象深いのは、お父様が練習に来ていつも熱心に基本練習をされていたこと。みんながシュート練習をしている横で、親子でひたすらボールを転がしてキャッチするといった練習を繰り返していたのをよく見かけました。

――親子二人三脚で成長されてきたんですね。

 そうですね。お父様がもともとバスケットボールのコーチだったようで、指導面では長けていましたから。サッカーの本をたくさん読んで、どうやって基本を身につけさせようか常に考えられていたのを覚えています。権田選手の世代の監督も、あれだけのゴールキーパーになれたのは、間違いなくお父様のコーチングがあったからだと話していました。

――板倉選手についてはいかがですか?

 板倉選手は1年間しか在籍していなかったので、正直なところプレーの記憶はあまりありません。ただ、小学2年生時の合宿の試合で、2点を決めたら高学年の子に褒められて嬉しかったって、文集で書いていたのを覚えています。また来年も点を決めたいって、意欲を見せていましたよ。

さわだ・ひでじ
1958年5月17日、大阪府生まれ。長男のさぎぬまSC加入により、サッカーに携わるようになる。以降、チームの監督を務めるなどし、2004年には代表に就任。のちに日本代表となる、三笘薫、田中碧、板倉滉、権田修一らを輩出した。現在は、川崎市サッカー協会4種役員や宮前区少年少女サッカー連盟委員長も務める。

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