●ケガの休養を経て生まれた余裕 7月8日、関空アイスアリーナ。樋口新葉(22歳、ノエビア)はいつも何かと格闘している気配があったが、全日本強化合宿ではその猛々しさは消えていた。その代わりに、乗り越えた者だけが手に入れられる余裕があった。解き…

●ケガの休養を経て生まれた余裕

 7月8日、関空アイスアリーナ。樋口新葉(22歳、ノエビア)はいつも何かと格闘している気配があったが、全日本強化合宿ではその猛々しさは消えていた。その代わりに、乗り越えた者だけが手に入れられる余裕があった。解き放たれたというのか。



全日本強化合宿に参加した樋口新葉

「オリンピックシーズンまでは、とにかく勝ちたい、高い点数を出したいって競技的な目標が大きくて。でも今は自分の気持ちと向き合いながら、楽しく練習ができています。それは、これまでのシーズンは一度もなかったことで」

 樋口は淡々とした口調で言ったが、「復活以上の再起」だ。

 2021−2022シーズン、樋口は北京五輪までの道のりをたくましく戦い抜いた。

 全日本選手権で2位に輝き、念願の五輪出場を叶えると、北京では団体で、堂々のメダル獲得。シングルでも5位に入賞した。

 ショートプログラム(SP)では、五輪史上5人目となるトリプルアクセル成功者になった。フリーの『ライオンキング』では夕日を浴びる獅子のごとく、会心の演技後に「やったー!」と咆哮(ほうこう)を上げ、コーチと抱き合うと弾けるように泣き出した。

 その感情量の多さで栄光を勝ちとったとも言えるだろう。

 一方、すべてをかけた戦いは、代償も大きかった。右ひ骨疲労骨折で戦線離脱を余儀なくされることに。心身をリセットさせるため、昨2022−2023シーズンは休養することになった。

●初めて感じた「面白さ」

 静かな日常を過ごし、今シーズンからリンクに戻ってきたわけだが、1年間のブランクを埋めるのは簡単ではない。

「(今年)4月1日からジャンプを跳び始めて、3カ月になりますけど、最初はダブルどころか、シングルも全然うまく跳べませんでした。ステップも、バランスがとれなくて」

 樋口は、再生の日々をそう振り返る。

「5月のゴールデンウィークのアイスショーに向け、だんだんジャンプが戻ってきました。もちろん、一番いい状態をお客さんに見てもらうべきなんですが、現状を見てもらって変化を感じてもらって楽しんでもらえればって。

 そういう調整をしながら、ショー明けくらいからトリプルも跳べるようになってきたんです。トリプルアクセルも、また跳べるようになったらって思います」

 滑り初めは不安もあったが、それ以上にスケートと向き合うことで新鮮な愉悦を覚えたという。

「(復帰後は)このまま続けて、シーズンに入って集中して結果を残せるのか。不安はあったんです。でも、楽しみたいっていう気持ちが出てきて。できることが増えるにつれ、それが強くなってきました。

 体力を戻すところは、きついなというのはあったんですが、そこは五輪の時の厳しさを思い出すと、面白いなとも思えたりして、また結果につながったらいいなって思います」

 樋口は五輪メダリストになったことで、ひとつの境地にたどり着いたのかもしれない。自信というと使い古された表現だが、本当の意味で自らを信じられるようになったのではないか。覇気をみなぎらせるよりも、泰然(たいぜん)とした空気をまとうようになった。

「小さい頃から、スケートをがむしゃらにやってきました。楽しさよりも、一生懸命にやってきて。このジャンプを跳びたい、とか。でも、一個一個、こういうこともできるようになるという面白さに気づくようになって。それは今までは感じたことがなかったことです」



ともに北京五輪を戦った坂本花織とともに笑顔を見せた

●復帰までの思いをプログラムに込めて

 新シーズン、SPはまだ決まってない。フリーは『Fix You〜Paradise』で、シェイ=リーン・ボーンの振り付けになるという。

「昨シーズンを休んでから復帰するので、その思いを滑りで表現できたらなって思っています。最初はマイナスな気持ち(曲調)から入るんですが、滑りながら最後のステップは楽しい気持ちで。その時に思っていることを試合で出したいですね」

 明治大学を卒業し、社会人になって心境の変化もあった。大学生活も充実していたが、今はスケーティングに集中できる環境を得ていた。スケートと向き合う時間は自然と多くなった。

「悔いの残らない1年にしたいです」

 樋口は言う。今回の合宿ではザカリー・ダナヒューコーチから熱心な指導を受けていた。

「滑らせるために、上半身を曲げるのではなく膝とか下半身を曲げ、力強く押し出す、という教えを先生から受けています」と語るように、スケーティング技術の習得を楽しんでいた。今まで意識しなかった点も、突き詰められるようになったという。

 持ち前のパワフルさは変わっていない。肉体的爆発力は、日本人女子でも屈指だろう。反骨精神も健在。合宿では、なかなか成功しなかった3回転ループを4度にも及ぶ挑戦で成功させ、スタンドから拍手を受けていた。

 試合勘の空白さえ埋められたら、異次元の領域に突入するのではないか。グランプリシーズは第3戦のフランス杯、第5戦のNHK杯に出場予定だ。

「楽しくスケートができているので、復帰してよかったなって思っています!」

 樋口新葉が氷上に戻ってきた。