ワールドカップ・カタール大会出場の立役者であり、“三笘の1ミリ”が世界的に話題となった三笘薫。世界を沸かせ続ける彼の代…

 ワールドカップ・カタール大会出場の立役者であり、“三笘の1ミリ”が世界的に話題となった三笘薫。世界を沸かせ続ける彼の代名詞“ドリブル”の原点は、ジュニア時代にあったという。そんな彼の少年時代に迫るべく、川崎フロンターレ・ジュニアの監督を務めた高崎康嗣元監督(※正式表記は高ははしごだか、崎のつくり上部は立)へのインタビューを敢行。三笘薫、久保建英板倉滉田中碧……のちの日本代表を多数育てた名監督は、当時を振り返り何を語るのか――。

■攻撃と守備は表裏一体の技術

――三笘選手には「パスをするな、すべてドリブルで抜いてゴールを取ってみろ」という要求もされていたそうですね。

 当時から、薫はパスをさせたらピカイチで、たとえ3人に囲まれても、ワンタッチではがせる選手でした。170センチの中学生が相手でも簡単にさばいちゃうし、スルーパスで局面を変える力もあった。僕はその才能を知っていたうえで、ドリブルで抜ける力もあると思っていたので、とてももったいなく感じたんです。他の選手は別ですが、薫だけでいえば、身体能力も高いのにパスだけにしていたら、世界でも活躍できる選手にはなれないと考え、「ドリブル突破をしろ」という指示を出したんです。薫が、試合で良いパスを出すと周りは褒めるんですけど、僕だけは「ちがう! ドリブルで抜けたはず」「ドリブルで抜いて、もっと仲間が楽できるパスを出せ」と、さらに高い要求を彼には出していました。

――三笘選手は、幼少期から守備も上手かったとか。

 世界と戦う選手に必須なのが、球際の強さです。当時の練習では、「相手にぶつかれ」「相手に衝撃を与えるくらいの気持ちで」といった守備の指導をしていました。すると、練習の中で、攻撃側はそんな相手をギリギリでかわす技術が要求されてくる。そういった相乗効果によって、攻守が上手くなるんです。守備が上手い選手は攻撃もできるし、攻撃で相手をかわせる選手は実は守備も上手い。その点、薫や(田中)碧、他にもプロになった選手たちは守備が上手でしたね。

■恩師だからこそ分かる“三笘の1ミリ”の舞台裏

――そんなお二人が、ワールドカップ・カタール大会のスペイン代表戦で世界中を熱狂の渦に巻き込みました。いわゆる“三笘の1ミリ”のシーンですが、どのような心境でご覧になっていましたか?

 薫、碧の連係を見た率直な感想は、「いつものプレーだな」でした。碧があの位置にいるのも、薫があのボールを追いかけたのも、ジュニア時代から常に見ていたプレーなので、あまり驚きはしなかったんです。ボールに対する執念と、一瞬のチャンスを逃さないという気持ちをずっと彼らには要求していたので、それが世界的な大舞台で実を結んだことは素直に嬉しいですけどね。本当にフロンターレで育った彼ららしいプレーでした。

――田中選手がゴール前に来ることまで予想できましたか?

 ゴール直後は誰か分かりませんでしたが、僕の中では「きっと、碧だな」と思っていましたよ。碧のチャンスへの嗅覚は、薫以上ですから。おそらく、薫も同じことを思っていたはずです。

――教え子たちの活躍を見て、嬉しさもひとしおだったのでは?

 もちろんです(笑)。ただ、あれが到達点ではなくて、彼らはもっと上に行けると思っています。僕自身、彼らのプレーの改善点がどんどん頭に浮かんできちゃいますし、さらなる飛躍を遂げてほしいという気持ちのほうが強いかもしれません。

――今シーズン、三笘選手はプレミアリーグでの日本人最多得点を更新されました。活躍する姿を見て、いかがですか?

 シーズン初めは、薫がいつから試合に出られて、どのくらいの期間で環境に慣れるか心配でした。でも、その環境に慣れてしまえば、必ず結果を出してくれるという確信もあった。とある選手が移籍したことで、薫にチャンスが巡ってきましたが、それを逃さなかったのはさすがですね。僕の想像よりもずっと早く結果を残してくれました。

――最後に、来シーズンに向けて三笘選手へのメッセージをお願いします。

来シーズンの薫は、もっともっとできるはず。ぜひ、2桁ゴールやチャンピオンズリーグ出場を達成してほしいですね。

たかさき・やすし
1970年4月10日、石川県生まれ。大学卒業後、サッカー指導者の道に進むと、母校の茨城県立土浦第一高校、筑波大学、東京大学のコーチを歴任。その後、2002年にJリーグ・川崎フロンターレの下部組織のコーチに就任し、2006年には川崎フロンターレU-12の立ち上げにかかわり、2011年まで監督を務めた。現在はジュニアユースクラブ・フガーリオ川崎のアドバイザー、川崎市立橘高校コーチ、尚美学園大学コーチとして、ユース年代の育成に携わっている。

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