ワールドカップ・カタール大会出場の立役者であり、“三笘の1ミリ”が世界的に話題となった三笘薫。世界を沸かせ続ける彼の代…
ワールドカップ・カタール大会出場の立役者であり、“三笘の1ミリ”が世界的に話題となった三笘薫。世界を沸かせ続ける彼の代名詞“ドリブル”の原点は、ジュニア時代にあったという。そんな彼の少年時代に迫るべく、川崎フロンターレ・ジュニアの監督を務めた高崎康嗣元監督(※正式表記は高ははしごだか、崎のつくり上部は立)へのインタビューを敢行。三笘薫、久保建英、板倉滉、田中碧……のちの日本代表を多数育てた名監督は、当時を振り返り何を語るのか――。
■トップ選手ほど利き足を重視
――フロンターレでは、利き足を重視した練習をされたそうですが、それはなぜですか?
当時のペップ監督率いるバルセロナを見たところ、選手はみんな逆足を使っていなかったんですよ。左右の足を器用に使う印象があるアンドレス・イニエスタ選手も、300回以上のタッチの中で、逆足は数えるほどしか使っていない。よくよく観察してみると、シャビ選手も同じで、世界中のトッププレーヤーは主に利き足だけを使っているんです。
当時の日本は、幼少の頃から両足を使えるように指導していたので、その時に初めて、世界と日本のギャップに気づいたんです。考えてみると、利き足を重視するのはごく自然なことですよね?
また、脳科学的に、利き足の訓練をすると、自然と逆足も鍛えられることが分かりました。利き足が上手な選手は、自然と逆足も使えるようになります。それに、伝えてみて分かったんですが、やはり得意な足だけに逆足と比べて、利き足の上達速度は比じゃありません。成長面でも効率がいいんです。
――利き足でうまく運ぶために、“指の使い方”が大切だとか。
そうですね。利き足のアウトでボールを触る時、指を使うように伝えていました。親指の第1関節や小指の第2関節など、最初に“点”でボールを触るというのを徹底させて、それから、選手の感覚に任せる。そう伝えたらどんどん上手くなって、本人たちも「めったに相手にボールを取られなくなった」って自覚していましたね。どうしても上手くならない子は、逆足を鍛えてみるのも手です。中には、自分が思っていたほうと反対側が利き足だったということがありますからね(笑)。
■ドリブルのポイントは「足」「ボール」「地面」の3つの点
――利き足ドリブルの“点で触る”という感覚をもう少し分かりやすくお願いします。
例えば、薫の場合は、中指と薬指の前にボールを置く感覚があって、そして、いざ触る時に小指の使いやすい点に当てるというイメージを持っていたと思います。つまり、面ではなく、指の点でボールを扱う。そう意識することで、神経の100%を集中することができて、細かいボールタッチができるようになります。
ポイントは足、ボール、地面と3つの点を意識させること。実は、地面の点を意識するのが重要で、ボールと軸足の位置に対して、この点にボールが来ればなんでもできるというポイントを探す。そこまで意識して、はじめてボールを扱えるようになるんです。
それを身につけるために、ボールを止める瞬間はどの点で止めるべきか、ボールを運ぶときは、どこの点から触るべきか。もっと言うと、ボールを運ぶ時に無回転にしてみよう、じゃあ次は回転をかけてボールを運んでみようという感じで、常に意識させていました。後に薫もそれをすごく理解していて、大学リーグ戦後に僕が「さっきのタッチだけど……」なんて指摘すると、薫はすかさず、「あの場面の、あのタッチですね」って感じで、ミスに対してすぐに通じあえましたよ。
――3点を意識する。三笘選手の著書にも、自身のドリブルについて詳細に書かれていて“ドリブラー必読の書”となっていますが、ドリブルの原点はそこにもあるのかもしれませんね。具体的に、どのような練習をされていましたか?
1対1でボールを止めて蹴る、コーンドリブルをするといった基本的な練習です。ただし、常に、どの点で触るのか、同じ場所でちゃんとボールを触れているかを意識させました。毎日、ボールに数千回触る中で常に意識させます。世界で通用するために、薫たち以下の世代にはかなりシビアに要求していました。
たかさき・やすし
1970年4月10日、石川県生まれ。大学卒業後、サッカー指導者の道に進むと、母校の茨城県立土浦第一高校、筑波大学、東京大学のコーチを歴任。その後、2002年にJリーグ・川崎フロンターレの下部組織のコーチに就任し、2006年には川崎フロンターレU-12の立ち上げにかかわり、2011年まで監督を務めた。現在はジュニアユースクラブ・フガーリオ川崎のアドバイザー、川崎市立橘高校コーチ、尚美学園大学コーチとして、ユース年代の育成に携わっている。