世界こんなところに日本人サッカー選手(7)ザンビア(後編) 2019年2月にアフリカのザンビアに渡った中町公祐(37)は…

世界こんなところに日本人サッカー選手(7)ザンビア(後編)

 2019年2月にアフリカのザンビアに渡った中町公祐(37)は、この約4年半の間に、ザンビア1部リーグ(ザンビアン・プレミアリーグ)のゼスコ・ユナイテッドをはじめ、ムトンド・スターズ(同3部)、シティ・オブ・ルサカ(同2部)、ヌクワジ(同1部、練習参加のみで選手登録はしていない)と、4クラブを渡り歩いてきた。

 2018年まで7シーズンプレーした横浜F・マリノスからの契約延長のオファーを断りながらザンビアに渡った背景には、現地で国際支援活動を行ないたいという希望があった。つまり、サッカー選手としての夢や目標を叶えるための選択ではなかったということだ。

 とはいえ、中町にも選手としての自信やプライドはあった。だが、現地でそんな感情が打ち砕かれたことは一度や二度ではなかったようだ。

 中町がザンビアで最初に所属したゼスコ・ユナイテッドは、ゼスコ・リミテッドという国内唯一の電力会社が運営母体となり、2010年代には6度のリーグ優勝を誇る強豪だった。ただ、そんなクラブでも「練習のスケジュールはころころ変わるし、試合当日まで対戦相手を知らないなんてことはざらだった」とカルチャーショックは少なくなかった。

「アフリカのことを悪く言いたくない。ただ現実に起こっていることなので」と言いながら、中町はこう続けた。

「契約についても日本や欧州のようにしっかりしていないのが現状。契約はあっても、それがないようなものというか......。僕はゼスコと2年契約をしていたのに、ケガをキッカケに契約を1年残したところで『もうお金を払えないから契約を解消してくれないか?』って、半ば一方的に解雇されました。そうなると、もう『契約って何?』って話じゃないですか(笑)。プロチームにも、懇意の監督がいればすっと入ってきてしまうような選手もいれば、クラブ関係者やスタッフに何かを依頼すると袖の下を要求されることもあったり。日本では考えられないですが、実際、アフリカではそうしたことが頻発しているんです」

【MOMの賞金が1250円】

 警察が母体となったクラブ、ムトンド・スターズ時代にはこんなことがあった。



ザンビアでプレーしながら、NPO法人の代表としてさまざまな支援活動を行なっている中町公祐

「土曜日の試合を終えて翌週の練習に参加したら、オーナーのひと言で6、7人がクビになっていました。アフリカは縦社会の傾向が強く、上の人には絶対(服従)みたいな部分が多くあります。しかも、そんなクラブでも来季は1部に上がってくる。ちなみに僕がムトンド・スターズに所属していた頃、僕は2部だと思ってプレーしていたのに、後々3部だったと知りました。そんなこと、普通はないですよね(笑)」

 文化や考え方の違いに悩まされたことも数知れない。ゼスコ・ユナイテッド時代に、給料の遅延があり、チームメートの多くは練習をボイコットする動きを見せた。ただ、日本人としては、いくら給料の遅延があったとはいえ、練習をボイコットして迷惑をかけることには戸惑いがあった。それで練習に参加したところ、チームメートから"集中砲火"にあったという。

「『オマエは真剣じゃない』『もっと文句を言え!』って怒られましたから。まあ、アフリカでは主張しない限り、遅延された給料なんて払われるわけないってことなんだと思います」

 中町がゼスコ・ユナイテッドへの移籍を決めた際、サラリーが10分の1ほどに下がったことも話題になった。だが、現実的にその金額のみで中町が現地で活動するには無理がある。移籍の発表は突然だったが、中町は事前にスポンサーを集めるなど、入念に準備していたと振り返る。

「行き当たりばっかりでザンビアに行ったわけではないし、ただ移籍するだけのようになってしまう衝動的なことはしたくなかった。

 ザンビアでもプロ選手は、カテゴリーによって金額の大小はあってもサッカーをすることでみんな生計を立てています。けど、決して裕福な暮らしをしているわけではありません。いつだったか、2試合連続でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれたのに、もらった賞金は約1250円でしたから(笑)。

 シティ・オブ・ルサカに所属していた時は、『外国人選手なのでワークパーミッド(労働許可証)を取得するためにいくら』『何々するためにいくら必要』などと言われて計何十万円も請求され、結局、最後3000ワクチャ(日本円で約2万円)しかもらえなかった。それなのに月曜から水曜まで、午前午後3時間ずつの二部練があったり、冷静になると、もっと違うことができるんじゃないかと思ったこともありますけどね」

【アフリカ人選手の身体能力の高さを実感】

 ちなみに、ザンビアにも外国人選手はいるが、その多くはアフリカの他の国から来た選たち。サッカーのプロリーグがあれば世界中どこにでもいるのがブラジル人選手だが、中町は一度も見ていないという。

 ザンビアでプレーしたことで、アフリカ人選手の身体能力の高さもあらためて実感した。

 驚いたのは、ナイター設備がないため、練習は暑さの厳しい日中にやることが多いのに、1部だったゼスコ・ユナイテッドを除けば、練習の際に基本、水が用意されていなかったことだ。にもかかわらず、ローカルの選手は普通に動いていた。

「さすがに試合のときは用意されていますが、練習時はたまにビニール袋に入った水が出てきたらラッキー、みたいな。そうした費用はクラブも準備しているはずですが、おそらくチームマネージャーが自分の懐に入れてしまったりしているのだと思います。チームで用意されていないなら個人で準備すればいい? もし個人で用意していけば、チームメートが『オレにも頂戴』と集まってきてそれこそ大変。だから、飲まずにやるしかないんです」

 水が撒かれず、スパイクを履くことさえ躊躇(ためら)う固い地面のグラウンドに、サッカーゴールもなく、H型のラグビーのゴールポストだけが置かれた練習場もあった。だが、そんな環境で何事もなかったようにトレーニングに臨むローカルの選手にも驚かされた。

「こっちがやっとの思いで固定式のスパイクを履いているのに、向こうの選手は(固定式に比べポイントの数が少なく、より足腰への負担の大きい)取替式のスパイクを履いて、なかには中敷きを抜いている選手もいました。
 
 ある時、週の初めに朝5時半から3時間走る練習があって、僕は事前にランニングシューズやプロテインバーを用意して臨んでいました。ただ、彼らは何の準備もせずコンクリートの上でもスパイクでカッカッカッカッカッ!って軽快に走るわけです。もっとすごいのは、クロックスを履いているのに普通に速い選手がいましたからね」

【「1ミリも後悔していない」】

 苦悩は何もピッチだけではない。アフリカのなかでは比較的治安が安定しているザンビアだが、それはアフリカの他国と比較しての話である。

 車を停めていた時に、窓ガラスを割られて中にあった荷物を盗まれたことは一度ではない。

「数カ月前に、部屋で大きな音がしたと思ったら銃弾が撃ち込まれていました。

 そのほか、外食をしたあとに行くミュージッククラブで酔っぱらいに絡まれたり。外国人があまり立ち入らないローカルなエリアに入っていく自分が悪いのかもしれませんが、相手にしたら不愉快なんでしょうね。僕は決して武闘派ではないですが、向こうは弱肉強食の世界で、なよなよしていれば舐められてしまう。何か言われたら黙っているわけにもいかず、言い返して殴られたり、頭突きを喰らったこともありますよ(笑)」

 明るい口調で話すことで、深刻な状況ではないようにも感じるが、聞けば聞くほど現地の過酷さは伝わってくる。ただ、大きな収入を捨て、あえて厳しい環境に身を置く決断をしたのは彼自身である。だからこそ、中町は「ストレスは溜まる」が、ザンビアに行ったことは「1ミリも後悔していない」とはっきりと言う。

 サッカー選手としての旅は、いつ終わりが来ても不思議ではない。ただ、彼が本気で挑む社会貢献活動は、まだ始まったばかりなのかもしれない。

プロフィール
中町公祐(なかまち・こうすけ)
1985年9月1日生まれ。埼玉県出身。群馬県立高崎高校卒業後、2004年に湘南ベルマーレ入団。4年間で66試合に出場するも戦力外に。2008年、在学していた慶應義塾大学ソッカー部に入部し、1部昇格に貢献。大学卒業後の2010年にアビスパ福岡に入団しJリーガーに返り咲くと、2012年に横浜F・マリノスに移籍し、2018年まで主力として活躍。2019年にザンビアのゼスコ・ユナイテッドに移籍すると、その後はムトンド・スターズ、シティ・オブ・ルサカでもプレー。NPO法人「Pass on」の代表理事を務めるほか、現役選手初のJFA国際委員としてピッチ外でも活躍する。