2023年のアマ野球シーズンが始まり、春の甲子園球場に連日通っていた。一時的に甲子園取材を抜けて滝川二(兵庫)の野球場で坂井陽翔(はると)の投球を見た時、「ここまでの右投手は甲子園にもいなかった」とうなってしまった。 坂井は近畿圏で早くも…

 2023年のアマ野球シーズンが始まり、春の甲子園球場に連日通っていた。一時的に甲子園取材を抜けて滝川二(兵庫)の野球場で坂井陽翔(はると)の投球を見た時、「ここまでの右投手は甲子園にもいなかった」とうなってしまった。

 坂井は近畿圏で早くも「ドラフト上位候補」と噂が立つ、逸材右腕である。



最速149キロを誇る滝川二のドラフト候補・坂井陽翔

【中学時代のポジションはライト】

 身長186センチ、体重83キロの大きな体がマウンドに立つだけで、18.44メートルの距離が近く感じる。高いリリースポイントから放たれるストレートは、2年秋の兵庫大会で最速149キロを計測。カットボール、スライダー、カーブ、フォーク、チェンジアップといった多彩な変化球を苦もなく操り、スケールと実戦性を併せ持った大器である。

 高朋(福井)との練習試合が終わったあと、坂井と挨拶を交わした。「すごくポテンシャルを感じました」と感想を伝えると、坂井は少し表情を硬くしてこう答えた。

「ポテンシャルを持ってるだけじゃ意味がないので。実際に勝てていませんし、結果を出さないといけないと思います」

 まだ見ぬ未来の自分ではなく、今を生きる自分として評価されたい。そんな投手としての強烈な矜持を感じた。センバツの猛者たちをもかすませる坂井陽翔とは、どんな投手なのかを紹介していきたい。

 坂井が投手に専念するようになったのは、高校に入学してからと遅い。小学生時は「ストライクが入らなくて」と投手失格になり、中学時にはチーム内に絶対的なエースがいた。

「高松は誰も脅かせない存在で、背番号1は固定されていました。自分も負けたくないと追いかけながら、心のどこかで『厳しいかな』と思っていました」

 播磨ボーイズ同期のエース右腕・高松成毅(たいき)。その進路を巡っては40校に及ぶ争奪戦が展開され、最終的に神戸国際大付に落ち着いた。中学時代の坂井に与えられたポジションはライトで、投手としては「3〜4番手で公式戦は数えるほどしか投げてない」という存在だった。

「ずっとライトから『投げたいな』と思いながら、マウンドを見ていました」

 打撃力の高い坂井も、県内外の強豪校から勧誘を受けた。そんななか、坂井が選んだのは「投打二刀流」として声をかけてくれた滝川二だった。

 入学して間もなく登板のチャンスを与えられた坂井は、水を得た魚のようにマウンドに駆け上がった。

「憧れていた場所だったので、楽しくてしょうがなくて。マウンドではずっと笑ってました」

 投手育成に定評のある前監督(西詰嘉明氏)の指導を受け、坂井はみるみるうちに頭角を現していく。「技術からマウンドでの心構えまで、1から10まで教えてもらいました」と、坂井は前監督への感謝を口にする。

【報徳学園の高い壁】

 だが、坂井を待ち受けていたのは無垢な喜びだけではなかった。あまりにも強大な壁がそびえ立っていた。

「1年秋は自分が打たれて、コールド負け(2対10)でした。報徳に負けて、高校野球の厳しさを知りました」

 報徳学園。ドラフト上位候補の捕手・堀柊那(しゅうな)ら逸材を擁する、兵庫を代表する名門である。

 1年後の昨秋は兵庫大会準々決勝で報徳学園と再戦し、坂井は7回まで無失点と好投。だが、8回に4失点と崩れ、0対4でまたもや敗れた。今春の練習試合解禁日となる3月4日にも対戦し、坂井は3回を投げて4失点に終わっている。坂井にとって報徳学園は越えなければならない壁なのだ。

 私が滝川二を訪れた当日は、報徳学園が甲子園球場で健大高崎(群馬)とセンバツ初戦を戦っていた。坂井は報徳学園が7対2で快勝したことをいち早くチェックしたという。

 そして、坂井は淡々とこう述べた。

「せっかく甲子園に行ったので、ある程度いい思いをしてもらえれば。それで最後は負けてくれるのかなと。夏はウチが倒しにいきますから」

 坂井は就寝前に自宅で横になると、目を閉じて報徳学園との試合を思い浮かべる。坂井のまぶたの裏には、マウンドで雄叫びをあげる自分の姿が焼きついている。そのイメージトレーニングを坂井は毎晩やっているという。

「毎日僕が抑えて報徳に勝ってるんで。自信はあります」

 ただし、坂井には明確な課題がある。指にかかったストレートは誰もが圧倒される一方、指にかかりきらないボールも多い。坂井の体感では、「まだ10球中6球くらいしか納得のいくボールがいかない」という。

「いいストレートの時は、リリースの瞬間に『ピチッ』とボールを切る音が聞こえてくるんです。はまらない時はスーッと音が聞こえない。いいピッチャーは10球投げたら9〜10球はかかったボールが投げられると思うので、自分も練習してその感覚を見つけていきたいです」

【強豪校相手に好投】

 毎年春が訪れると、滝川二にはセンバツ出場校から練習試合の誘いが殺到する。なぜなら、滝川二の野球場は甲子園のリハーサルにうってつけだからだ。甲子園球場と同規格、同じ向きの造りで、太陽の位置まで同じ。しかも今年は坂井という逸材までいる。報徳学園、大阪桐蔭、社、敦賀気比、慶應義塾、高松商と多くのセンバツ出場校と練習試合をこなした。

 坂井は報徳学園戦こそ不本意な投球に終わったものの、大阪桐蔭戦では5回を投げて2安打2失点と好投。慶應義塾戦でも5回を投げて1安打無失点と好投した。甲子園出場校を相手に、坂井は自信を深めたという。

「大阪桐蔭は秋にも練習試合をしたんですけど、その時は7回7失点でした。当時は大阪桐蔭に名前負けしていましたけど、この春は『同級生やし、変わらんやろ』と下から入らずに投げられました。徳丸(快晴)に甘く入ったスライダーをホームランにされて、やっぱり強いと思いましたけど、いい収穫になりました」

 すでに多くのスカウトが滝川二を訪れ、坂井を視察している。なかには「大阪桐蔭の前田(悠伍)より好み」と語ったスカウトもいたという。

 周囲の喧騒をよそに、坂井は冷静さを保ちながらこんな本音を語った。

「スカウトの方々に見ていただけるのはうれしいことですけど、まだまだ結果が出てないので。この夏は必ず結果を出して、認めてもらいたいです」

 坂井に「将来性ばかりを評価されるのは、うれしくないですか?」と尋ねると、苦笑いしながら「今の評価ではないので」という答えが返ってきた。だが、近未来の坂井の姿を想像するだけで、夢がふくらむのもまた事実なのだ。

 この夏の滝川二の試合では耳を澄ませてみよう。坂井の指先から「ピチッ」という音がコンスタントに響いてくれば、坂井陽翔は間違いなく「ドラフト1位候補」の称号を手に入れるはずだ。