日本代表は、もはやワールドカップの常連だ。だが、なかなか世界への扉を開けない時期があった。その先に「ジョホールバルの歓…

 日本代表は、もはやワールドカップの常連だ。だが、なかなか世界への扉を開けない時期があった。その先に「ジョホールバルの歓喜」があったわけだが、蹴球放浪家・後藤健生は彼の地で日本代表の「2試合」を観戦していた。

■1997年のワールドユース

 前々回の「蹴球放浪記」(167回)で中村俊輔がユース代表だった頃、1996年のアジアユース選手権(現U-20アジアカップ)について書きました。翌年のワールドユース(現U-20ワールドカップ)の予選を兼ねた大会でした。

 日本は準決勝で韓国に敗れ、3位決定戦でもアラブ首長国連邦(UAE)にPK戦負けを喫して4位に終わりましたが、なんとか世界大会への切符はつかみ取りました。予選を勝ち抜いてワールドユースに出場するのは1995年大会に続いて2度目のことでした。

 日本は中田英寿がいた1995年大会ではベストエイトに進出。準々決勝でブラジルに1対2で敗れています。当然“前回以上”を期待したいところですが、1997年大会は参加国が16から24に増えたので、ベストエイトに行くにはラウンド16を突破しなければなりません。

■ワールドカップ予選との兼ね合い

 さて、1997年大会はマレーシア開催だったので「ぜひ行きたい」と思ったのですが、日程のやり繰りが大変でした。この年はフランス・ワールドカップ予選があったのです。

 僕はワールドカップ予選は日本以外の強豪国の戦いもすべて見届けるつもりで、一次予選から香港やマレーシア、オマーン、サウジアラビアなどを飛び回っていたのです。

 マレーシアでのワールドユース選手権は6月16日開幕・7月5日決勝という日程でしたが、僕は6月2日からシリアとイランを回っていて、帰国は6月16日(つまり、ワールドユース開幕の日)の予定でした。シリアの首都ダマスカスでは「聖書の世界」を堪能。イランの首都テヘランではエルブールズ山脈を越えてカスピ海を見に行きました。

 しかも、6月22日から29日までは日本が所属するワールドカップ1次予選グループ4の試合があったのです。1次予選はダブルセントラル方式で、3月にマスカットで「オマーン・ラウンド」、6月に東京・国立競技場で「日本ラウンド」があったのです。

 しかし、日本は3月のアウェーですでにオマーンに勝利。得失点差でも大きくリードしており、最終予選進出は確実でした。

 そこで、僕は日本代表が初戦でマカオに10対0で勝利したのを見届けて、すぐにマレーシアに向かうことにしました。

■オーストラリアに勝てるのか

 こうして、僕は6月25日の未明にクアラルンプールに到着しました。まだ、街に近い旧空港の時代です。ラウンド16は25日に始まるんですが、日本対オーストラリア戦の会場はマレーシア北部ペルリス州のカンガーでした。そして、僕はクアラルンプール郊外のAFCのオフィスに用事があったので、「まあ、オーストラリアには勝てるだろう」と信じ込むことにして、ラウンド16はクアラルンプール近くのシャーアラムでウルグアイ対アメリカ、アイルランド対モロッコの試合を見ていました。

 今から思うと、かなりのギャンブルですよね。ラウンド16でオーストラリアに勝てる保証などまったくないわけですから。

 まあ、それでも日本代表は柳沢敦のゴールで1対0でオーストラリアを下して、準々決勝進出を果たしてくれました。

「さあ、準々決勝以降の3試合は日本代表をしっかり見よう」と、南部のジョホールバルに向かいました。準々決勝の相手はガーナでした。

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