神野大地「Ready for MGC~パリへの挑戦~」第3回プロマラソンランナー、神野大地。青山学院大時代、「3代目山の神」として名を馳せた神野も今年30歳を迎える。夢のひとつであるパリ五輪、またそのパリ五輪出場権を争うMGC(マラソングラ…

神野大地「Ready for MGC~パリへの挑戦~」
第3回

プロマラソンランナー、神野大地。青山学院大時代、「3代目山の神」として名を馳せた神野も今年30歳を迎える。夢のひとつであるパリ五輪、またそのパリ五輪出場権を争うMGC(マラソングランドチャンピオンシップ・10月15日開催)が近づくなか、神野は何を思うのか。MGCまでの、神野の半年を追う。

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神野大地は仙台ハーフで72位という結果に終わった

 重く、沈んでいた。

 仙台ハーフが終わったあとに撮影されたYouTubeでの神野大地の表情だ。MGCに向けて重視していたレースで、70分01秒の72位に終わった。レース後、「ショックで激しく落ちこんでいた」とマネージャーの高木聖也は語ったが、神野に一体何が起きたのだろうか。

 仙台ハーフに向けてのアプローチは、よかった。

 2月5日の丸亀ハーフは62分57秒で設定どおりのタイムで走れた。さらに2月26日の福岡クロカンでは総合4位、3月7日のアジアクロカンではラストスパートで敗れ、惜しくも2位。4月23日の日体大記録会5000m、5月6日の日体大記録会10000mもほぼ狙いどおりのタイムで走りきった。

「ただ、仙台に向けての大事なポイント練習で一度、外してしまったんです」

 それでももう一度、その練習をやり直して、しっかり終えることができた。ただ、完璧主義の神野は、本番でも同じように体が動くのか、微かな不安を抱いていた。

 そして、もうひとつ新たな不安が神野の心をざわつかせていた。

「僕は、前はそれほどスピード練習をしなくても先頭集団で戦えていたんですけど、最近、年齢が上がってきたせいか、スピードが出にくくなってきたんです。たとえばキロ3分の練習をしていると、試合では2分55秒ぐらいで押していけたんですけど、今は2分55秒から58秒ぐらいの練習をしないと3分で押していけなくなりました。以前と異なるレース展開が増え、このままで大丈夫かなという不安が少しあったんです」

 大事なレース前にできるだけ不安は解消しておきたい。自分の気持ちを納得させる意味でも、レースの週の火曜日、あえてポイント練習を入れた。それは、1000m3本で、200mと100mの流しを4本、1000mのタイムは1本目2分46秒、2本目2分45秒、3本目2分44秒という負荷の高いメニューだった。

「普通はハーフ前に、2分45秒の刺激はいらないんですけど、最近はハイペースのレースが多かったので、ちょっと無理にスピードを求めすぎたのかもしれません。本当は、2分50秒から55秒で3本を揃えるぐらいでちょうどよかったんですけど......」

 練習では、2分45秒前後の設定を余裕をもってこなせた。思ったよりも体がよく動き、これまでの不安が一気に解消された。一緒に走ったスズキの実業団のメンバーからも「仕上がりすぎなんじゃないですか」と驚かれるぐらいだった。

 神野は、万全の状態で仙台に乗り込んだ。

 仙台ハーフには、目標と目的があった。

「目標は単純に勝ち負けのところでMGC参加の選手と勝負して勝つこと。目的は気温が高く、10月のMGCのレースと気候的に似たコンディションのなか、どこで足がきつくなるのか。きつくなるとしたら殿筋にくるのか、(大腿)四頭筋にくるのか、腰にくるのか、フィジカル的に弱い部分を確認することでした。トラックだと、同じペースでスパイクを履くので、疲労の出方が違う。ロードで、しかも勝負のかかったレースでは、どこに弱さが出てくるのか。それを確認して、MGCまでに弱い部分の強化をしていこうと考えていました」

 トレーナーの中野ジェームズ修一とのトレーニングでフィジカルが強くなっていることは実感していたが、MGCに向けてより強くなるためには、弱い部分をいかにつぶしていけるか。その積み重ねでしか強くなれないと神野は信じていた。
 
 レースは午前10時05分、25.5度、湿度38%というコンディションのなか、スタートした。

「スタート直後の動きは悪くなかった」

 丸亀ハーフや福岡クロカンは、調子がもうひとつで「前で勝負するのは難しい。自分なりに追い込めればいいや」と思って出走し、前につけた感じだった。今回は、状態がよく、思いきり戦える。そんな自分への期待感と高揚感を持ってスタートすることができた。

 だが、1キロを過ぎた時、異変を感じた。

「呼吸が首のあたりから肺に入っていかず、スピードが上がらない。まさかって不安が大きくふくらみ、なんで呼吸が入ってこないんだって思って走っていたら、先頭集団との距離がかなり開き始めて......ここで遅れたら終わってしまう。でも、呼吸が入ってこない。めちゃくちゃあせりました」

 先頭集団は5キロを14分59秒で走っていた。スローで、練習先のひとつである長野の富士見高原でアップ&ダウンのある林道コースを走るのと同じタイムだった。そこに、ついていけないわけがなかったが、神野は徐々に遅れていった。

 10キロを超えると、腹部に鋭い差し込みが出た。

 今年に入って丸亀ハーフから日体大記録会まで5レースを走ったが、1度も差し込みは起こらなかった。だが、大事なレースで呼吸の問題に加え、腹部に痛みが出て、15キロ地点で日本人の先頭集団からは4分前後、遅れていた。このままでは目標も目的も達成できない。そう思い、途中棄権も考えた。

「僕は特別招待選手として走っていたんですが、途中で目標も目的も失ってしまった。もうやめようかなと思いましたが、できなかった。応援してくれる人から見れば、途中でやめたら嫌な気持ちになると思うんです。そこはプロランナーとして譲れないところ。気持ち的にはきれかけていたけど、目は死んでいない。ここからよくなれば前に行くぞという気持ちで走っていました」

 神野は、最後まで走りきった。

 フィニッシュしたあと、苦悶の表情を浮かべ、トラックに一礼をして控室に戻った。

 今回、なぜ呼吸が苦しくなり、差し込みが起きたのだろうか。

「正確にはわからないですが、仙台まですごく順調で、ここで腹痛が出なければ絶対に走れると思ったんです。そう思ってしまったせいか、これまでの5戦のように精神的にリラックスした状態で臨めなかったのかなと。さらに結果を出すとか、いろいろ考えすぎてしまったことが知らない間にフィジカルに影響して、呼吸や差し込みが出てしまったのかなと思います」

 強烈な差し込みは、これまでも神野の行く手を何度も阻んできた。

 いい練習をして、自信をもってレースに臨んでもそれですべてが壊された。レースに出るたびにまた起こるのではないか。その恐怖たるや相当のものだっただろう。

 何とかしなければと思い、原因究明のためにいろんな検査を受け、施術も受けてきた。だが、完全に解消する術は見つからなかった。最近は中野から「考えなくてもいい、変に考えるから出てしまう」と言われ、差し込みという言葉を頭から消すようにしていた。また、腹部への置き鍼も効いていた感があった。

 でも、大事なレースに出てしまった。

「差し込みが出たショックもありますが、それ以上に取り組んできたことの成果を確認できなかったことが本当に残念ですし、悔しかったです」

 神野はしばらくそのショックから回復できなかった。気持ちをなんとか押し上げることができたのは、仙台ハーフから1週間後に行なわれた神野のランニングチーム「RETO Running Club」の合宿のおかげだった。

「(合宿先の)富士見に行く車中では、アーって感じで全然気持ちが切り替わっていなかったんです。でも、合宿でメンバーと一緒に練習するなかで、気持ちが徐々に上がっていきました。みんな、市民ランナーですが、相当の覚悟と熱い気持ちを持って練習している。その姿を見ていると、なんか伝わってくるものがあって......。自分も競技に向き合って、もっと頑張ろうという気持ちにさせてくれたんです。いやー、ほんと、RETOがあってよかった(笑)。RETOがなかったら、まだしばらくひとりでこもって、いろんなものを抱えて、気持ちの切り替えがなかなかできなかったと思います」

 神野は、自らのチームのメンバーに救われた。

 6月、7月は仙台ハーフで出た課題に取り組む予定でいたが、それができなくなったので、プランを変更せざるをえなくなった。課題を明確にするために、ハーフなどのレースにもう一度、出走することも考えた。だが、コーチの藤原新とミーティングをした結果、レースには参加せず、地道に基礎練習に取り組むことにした。

「泣いても笑ってもMGCまで、あと4カ月。MGCが終わったあと、ああしておけばよかったとか、そういう後悔だけはしたくないんです。これからは、すごい成果を求めるというよりは1日1日、決めたことを淡々とこなしていく。それが最終的に結果につながると思うんで、これからも毎日0.1%の積み重ねを続けていきます」

 神野は、落ち着いた表情で、そう言った。

 もしかしたら今も100%吹っきれていないかもしれない。目標、目的を達成できなかったことを引きずっているかもしれない。でも、自分に言い聞かすように話をする表情からは、「もうやるしかない」という覚悟が見てとれた。競技は、思いどおりにいかないことのほうが多いが、そうした時の対応力こそアスリートには求められる。

 神野は、今、その力を試されている。

(つづく)

PROFILE
神野大地(かみの・だいち)
プロマラソンランナー(所属契約セルソース)。1993年9月13日、愛知県津島市生まれ。中学入学と同時に本格的に陸上を始め、中京大中京高校から青山学院大学に進学。大学3年時に箱根駅伝5区で区間新記録を樹立し、「3代目山の神」と呼ばれる。大学卒業後はコニカミノルタに進んだのち、2018年5月にプロ転向。フルマラソンのベスト記録は2時間9分34秒(2021年防府読売マラソン)。身長165cm、体重46kg。