実況アナ・舟橋慶一が振り返る「猪木vsアリ」(4)(連載3:試合前の10日間の秘話。猪木とアリには共通点があった>>) 昨年10月1日に79歳で亡くなったアントニオ猪木さん。幾多の名勝負をリングに刻んだ"燃える闘魂"が世界の格闘技史を揺るが…

実況アナ・舟橋慶一が振り返る「猪木vsアリ」(4)

(連載3:試合前の10日間の秘話。猪木とアリには共通点があった>>)

 昨年10月1日に79歳で亡くなったアントニオ猪木さん。幾多の名勝負をリングに刻んだ"燃える闘魂"が世界の格闘技史を揺るがせた試合といえば、1976年6月26日に行なわれたモハメド・アリとの一戦だろう。

 その「格闘技世界一決定戦」を実況した元テレビ朝日アナウンサー・舟橋慶一さんが、当時を振り返る短期連載。第4回は、15ラウンド引き分けとなった試合の実況で抱えた苦悩を明かす。



仰向けの状態からのキックでアリ(左)を攻める猪木

【アリの表情に感じた恐怖】

 試合のルールが決まらないまま決戦当日の6月26日を迎えた「猪木vsアリ」だったが、その日の早朝にようやく合意し、午前11時50分にゴングが鳴った。

 日本教育テレビ(NET/現テレビ朝日)は、この「格闘技世界一決定戦」を生中継ではなく、午後1時からの録画放送で流すことになった。舟橋は「番組編成の問題で、生中継する枠を確保することができなかったんです」と理由を明かす。

 会場の日本武道館にいる者だけが熱気を感じていた試合開始の直前、放送席にいた舟橋はリングに立つ猪木とアリの表情を見てこう思ったという。

「猪木さんは、いつもの試合とは違う表情でした。常にリング上では自信に満ちた鋭い眼力で相手を捕らえるのに、アリ戦では眼差しが違った。どこか不安を帯びていましたね。それは、そうでしょう。これまで経験したことがない未知の世界に入っていくんですから......。

 私はそう感じましたが、実況では話すわけにはいきません。そんなことをしゃべれば、この試合を期待する視聴者の気持ちに水を差してしまいますから、マイナスな表現はしませんでした。ただ、猪木さんと同じような不安を、アリの表情からも感じましたね。『いったい、この試合はどうなるんだ?』と戸惑っているような顔をしていました」

 さらに舟橋は、アリの表情に"猪木への恐れ"を読み取った。

「アリは6月20日に、後楽園ホールで猪木さんの公開スパーリングを見てから明らかに態度が変わったんです。猪木さんの蹴り、関節技を目の当たりにした時に、アリ自身が知っているアメリカのショーマンシップのレスラーとは明らかに違う"本物"を感じたんだと思います。

 これは私の想像ですが、アリは『猪木が俺のパンチをかいくぐって攻めてきたら、どうなるんだ?』と思っていたはずです。試合直前の表情を見ても『かなり動揺しているな』と感じました。ただ、それも実況で表現することはしませんでしたけどね」

【「猪木さんが攻める方法はこれしかない」】

 解説を務めたのは、『スポーツニッポン』の記者で、元プロボクサーの後藤秀夫。早稲田大ボクシング部出身の後藤は、日本フェザー級王者になった元プロボクサーで、当初はボクシング側の視点で解説してもらう予定での起用だった。

 だが、ほぼすべてのプロレス技が禁止された試合のルールを、番組プロデューサーから「猪木に圧倒的に不利だから、それを視聴者に知らせたら盛り下がる」という理由で説明できなかったため、舟橋は実況で苦しむことになる。

「ルールの詳細を視聴者に明かせないので、後藤さんにもどういった視点で話を振ればいいのか戸惑ってしまったんです。ですから、試合前に『今回は解説者とは会話ができない』と腹を括りました。『目の前で起きたリング上の2人の動きを、そのまま実況していくしかない』と」

 そんな中、運命のゴングが鳴った。瞬間、猪木がコーナーから小走りに飛び出て、スライディングしながらのアリの左足を狙って右のキックを放つ。しかしアリは、その蹴りを寸前にかわした。

 ゴング直後に猪木が放ったこの攻撃を見た舟橋は、実況をしながらこう思ったという。

「ルール上、『猪木さんが攻める方法はこれしかないんだな』と思いました。猪木さんは『蝶のように舞う』と評された、アリの華麗なフットワークをつぶす戦法なんだなと。だけど、繰り返しますがルールの詳細は視聴者に明かせませんから、実況で『猪木にはこの戦法しかありません』と伝えることはできませんでした」

 それ以降、猪木は仰向けになり、後に「アリキック」と呼ばれる蹴りを放ち続ける攻めに徹した。

「いったい、このキックはどこまで続くのか。果たして最後まで続くのか。そう疑いながら実況しました。試合前の予想通り、解説の後藤さんとはまともな会話はできなかったと思います。ただひたすら、リング上で起きる事実を話し続ける。長いアナウンサー生活で、あんな試合は初めてでした」

 試合は、猪木がアリキックを放ち、アリが「立ち上がれ!」と挑発する単調な攻防が続いた。しかし舟橋は、ラウンドを重ねるごとに、猪木の蹴りを受け続けたアリの左足の太ももが赤色、さらに紫へと変わっていくのに気づいていた。

「この試合の時点で、アリは同年の9月にケン・ノートンと防衛戦をやることが決まっていたんです。ですから、色が変わっていくアリの太ももを見ながら、『この試合の勝敗がどうなるかはわからないけど、相当なダメージが残る。ケン・ノートンとの試合はどうなるんだろう?』という心配が頭をよぎったことを覚えています」

 一方の猪木は、通常のプロレス技を禁じられたルールで、アリキック以外に活路を見出すことはできなかった。それでも舟橋は、リング上の猪木を見て「勝てると思っていたはずです」と明かす。

「猪木さんにとって、この試合のルールは極めて過酷でしたが、自分が勝てるという自信はあったはず。ただ、『アリに大きなケガを負わせるわけにはいかない』という葛藤があったんじゃないかと。そんな思いも重なって、あのアリキックに徹したんじゃないのかと思います」

 膠着状態が続くかと思われたが、6ラウンドに事態は急展開する。ついに猪木が、アリを"捕獲"したのだ。

(5)猪木とアリに芽生えた友情 世紀の一戦は「究極の『無言の会話』を交わした闘いだった」>>

【プロフィール】

舟橋慶一(ふなばし・けいいち)

1938年2月6日生まれ、東京都出身。早稲田大学を卒業後、1962年に現在のテレビ朝日、日本教育テレビ(NET)に入社。テレビアナウンサーとしてスポーツ中継、報道番組、ドキュメンタリーなどを担当。プロレス中継『ワールドプロレスリング』の実況を担当するなど、長くプロレスの熱気を伝え続けた。