街とスケートボードの相互関係 こちらは中国にて。世界共通で、街とスケートボードはとても密接な関係にある。前回のコラムでは、愛好者サイドから見た「ストリートスケート」をテーマに書かせていただいた。ただスケートボードに馴染みのない方々からは、「…
街とスケートボードの相互関係
こちらは中国にて。世界共通で、街とスケートボードはとても密接な関係にある。
前回のコラムでは、愛好者サイドから見た「ストリートスケート」をテーマに書かせていただいた。
ただスケートボードに馴染みのない方々からは、
「コイツは正気でこんなことを言ってるのか
︎」
「こんな輩がいるから、いつまで経ってもスケボーは悪いイメージのままなんだよ!」
なんとなくこんな反応が出てくる予感はしていた。
だったら炎上商法を狙ってるのか
︎
そう思う人もいるかもしれないが、当然そんなこともない。
マイノリティながらも、実在しているストリートスケートと社会についての側面をほんの少し書かせてもらっただけだと思っている。
その内容は、スケートボードは質の異なる二面性(スポーツとカルチャー)を備えたアクティビティであり、本質やルーツはストリートにある。都市にインスパイアされており、都市はスケートボードにおける主役でもある。さらにそこには芸術性も内包されているといったようなものだったのだが、中には
「俺達はスケボーがやりたいんだよ! ジャマするんじゃねえ。多少物を壊すくらいでガタガタ言うな!!」
要はこう言いたんでしょ!? と推測した人もいたのではないかと思うが、当然そんなこともない。
ただストリートに本質やルーツがある以上、いくら競技として成熟してきても、街中で滑走する人がいなくなることはありえないのだ。
馴染みのない方には理解し難いことだと思うが、現在のように「禁止」という対策のみでは平行線を辿っていくだけなので、どのようにして公共の空間をシェアしていくのかを考えていく方が、真の問題解決に繋がるのではないだろうか。
ストリートスケートボードとの共存を選んだ都市とは!?
スケーターバニズム活動の中心人物、レオ・ヴァルスさん。
そこでキーとなるのが、前回コラムを締め括った「スケートボードを前提にした街づくりが出来れば良いのにな」という言葉。なぜなら、世界にはすでにスケートボードを前提にした街づくりを進め、一定の効果をもたらしている都市があるからだ。
そこはフランスのボルドー。
プロスケーターであり、都市計画家でもあるレオ・ヴァルスさんが提唱する「スケーターバニズム」と呼ばれるスケートボードフレンドリーな街づくり活動が行政をも動かし、禁止されていた場所を滑走可能にしただけでなく、改装によって縁石などの素材を強化し、傷に対する対策も講じた。さらに街のあらゆるところにスケートボード専用のデザインオブジェクトも設置。
そして今年の3月には、街にあるスケートボード禁止の看板が全て取り払われるまでになった。
この「スケーターバニズム」活動の一部始終は、昨年『スケートボードを「拒絶」から「共存」へ 東京五輪前から行政と取り組むフランスの未来都市創造』で詳しく執筆させていただいているので、合わせてご一読いただけたら幸いだ。
看板の持つ意味
今年禁止サインは全て外され、緑の許可サインとボードと手に持つイラストに変わった。
カンファレンス「スケートボードでまちを変える-Welcome Skaturbanism-」より引用。
そんな彼が4月に来日し、「スケートボードでまちを変える-WelcomeSkaturbanism-」というカンファレンスを開いた。
中身はボルドーにおいてスケートボードが非合法から合法なものへと変貌していく過程について話し、そこからアーバンデザインを担う日建設計NADの方々や、都市計画・都市デザインを専門とする大学の准教授の方など、さまざまな立場の有識者の方々とトークセッションを繰り広げるというものだったのだが、そこで興味深かったのが「看板」の話だ。
ボルドーでは、スケートボードを禁止する赤い看板があった頃は、多くの人がネガティブなイメージを持ち、怒って注意してくる人もいたとのこと。
ところが緑色の11時から20時までは滑走可能ですよ。20時以降は騒音被害を避けるためには手で持って歩きましょう。という看板に変わったら、それだけで街の人のスケートボードに対する印象が変わったそうだ。
こうして”認知”の問題である部分が大きいとわかったことが、公共の場所をどうやってシェアしていくのかを考えるきっかけになっていった。
以前は手で持って歩くイラストではなく、夜間の滑走を禁止するサインが張り出されていた。
カンファレンス「スケートボードでまちを変える-Welcome Skaturbanism-」より引用。
タクティカルアーバニズムとは!?
花崗岩は頑丈で音も静か。なおかつ移動もできるので最初の一歩にはピッタリ。日本にもこのようなベンチは数多くある。
だからといって、この事例を文化の違う日本にそのまま持ち込むのは無理があるだろう。
だからこそ日本でスケーターバニズムを始めるには「タクティカルアーバニズム」(小さなアクションから始めてその街との相性を検証したり、その反応をふまえ実態に合った計画検討など、段階的プロセスを踏んでいく街づくり)が良いだろうと話している。
具体例とはしては、パブリックスペースにスケートボードに最適な、頑丈かつ騒音の小さい花崗岩のベンチを置くことを挙げている。
これはうまくいかなければすぐに撤去できるのが理由だ。実際にボルドーでも置いた場所が住宅に近かったことで苦情が来たそうだが、場所を変えてからは上手くいっているとのこと。
日本でも地域と話し合いながら、大型公園の一角や一級河川沿いなど、まずは多くの人が行き交う生活エリアから少し離れた場所から始めるのが良いのではないだろうか。
もちろんそういった意図を”認知”してもらうために、前述の「禁止」ではなく、「許可」する看板をもセットで取り付けることが大切だろう。グラフィックだけのほんの少しの違いではあるが、人々に与える印象はそれ以上に大きいものになるのではないか。
「新しいカルチャー」を学ぶ機会
「スケートボードでまちを変える-Welcome Skaturbanism-」のカンファレンスではスケートボード以外にも各ジャンルの専門家が多く招かれた。
ただそれでも問題は多い。日建設計NADの方々は、「新しいカルチャー」を学ぶ機会が圧倒的に少ないことを課題に挙げている。
そもそもこのカンファレンスが開かれたのは、彼らが社会実験の一環として、昨年三重県の四日市市で期間限定のスケートパークを造って運営する事業に携わったことが発端で、そこで初めてこの世界に触れて衝撃を受け、新たな魅力を知ったからだ。
そうした経験やそれに伴った知識があれば、より良い社会にするために、このような新しいカルチャーを差し込んでいこうという話もすごくポジティブなものになる。だが経験がない、ほとんど知らないとなると、人間の心理としてマイナスな方向に転がっていってしまうのも仕方のないことだろう。だからこそ、新たな視点を獲得できる機会を作っていくことの方が、「タクティカルアーバニズム」以上に大切になっていくのではないか。
ただそのアプローチはひとつではない。レオ・ヴァルスさんの場合は「スケーターバニズム」の活動を、市のスポーツ部ではなく、文化部に話を持っていって、前回話したようなアート的側面を、エキシビジョンの開催を通して一般に方々に伝え、スケートボードのデザインオブジェクト設置にまで繋げている。
また最近では、スケーターだけでなく一般の方も対象にしたスケートボードのガイドブックも作ったそうだ。
これはボルドー市内の主なスケートスポットを網羅したもので、どういうところが良いのかも紹介しているのだが、それだけでなくポジティブな方法でパブリックスペースをシェアすることについても記載することで、積極的に周囲とコニュニケーションをとるようにしているとのこと。
そうして今やボルドーの政治家の方は、パブリックなスペースで、スケートボードは若い人たちにとってポジティブなものなんだよということをスピーチするにまでなっている。
スケーターなけでなく、世間の方のためでもあるスケートボードのガイドブック。
カンファレンス「スケートボードでまちを変える-Welcome Skaturbanism-」より引用。
それでも「こんなことのために貴重な税金を使うなんて言語道断だ!」と思う方も当然いるだろう。
だがスケーターバニズムはお金のかかるものではないとレオさんは話している。
確かにボルドーでは、若者のため、フィジカルアクティビティのため、カルチャーのためにシティプランニングのひとつとして財源が投資されたが、この活動の根本は街づくりになるので、そこにはすでに計画があって、財源が確保されているので、その予算の中から、スケートボード用にベンチを置いてもらえばいいだけ。要はデザインを変えるだけで良いということだ。そう考えれば、第一歩としてお金の面でのハードルは下がるのではないだろうか。
相互理解や思いやりを大切に
そう考えると、今最も大きな課題といえるのがやはり人々の意識や捉え方になるのではないだろうか。日本では東京五輪での活躍も相まって、現在大半の人がスケートボードを「スポーツ」と捉えているかと思うが、長年の愛好者の方々はそれだけでなく、カルチャーとして、あるいはセルフィズムの手段として、あるいはアート活動として多義的に捉えて活動している。そういったストリートから出てきた新しい文化が、日本ではなかなか馴染んでこなかったことが、今の現状を生み出しているのではないかと思う。
スケートボードを見ることが経験としてないと、”なにか”視野が悪くなるんじゃないか、”なにか”危ないんじゃないかといった固定概念や偏見は生まれやすいし、必然的に距離が生まれてしまう。となると当然コミュニケーションをとることもない。それでは行政側も根底で許容できなくても仕方のないことだろう。
だからこそ、そこを許容するために、ストリートにおけるハードや安全性をどう共存させていくのかを、狭い日本の歩道で考える必要があるのではないかと思う。
これはカルチャー側から見たスケートボードと、都市デザイン側から見たスケートボードが違っては良い方向には進まないし、当然一般の方々の理解も必要になる。それぞれがお互いにすり寄って、譲り合って、新しい日本の都市が創られていくことを心の底から願っている。
次回は、そんなボルドーの状況を踏まえたうえで、日本との違いや現状、行なっている取り組みを紹介していきたいと思う。
吉田佳央 / Yoshio Yoshida(@yoshio_y_)
1982年生まれ。静岡県焼津市出身。
高校生の頃に写真とスケートボードに出会い、双方に明け暮れる学生時代を過ごす。
大学卒業後は写真スタジオ勤務を経たのち、2010年より当時国内最大の専門誌TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン・編集・ライターをこなし、最前線のシーンの目撃者となる。
2017年に独立後は日本スケートボード協会のオフィシャルカメラマンを務めている他、ハウツー本の監修や講座講師等も務める。
ファッションやライフスタイル、広告等幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を広げ続けている
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