蹴球放浪家・後藤健生は、サッカーを求めて世界中をさまよいながら、多くを学んでいる。時には、失敗から学ぶこともある。■1…

 蹴球放浪家・後藤健生は、サッカーを求めて世界中をさまよいながら、多くを学んでいる。時には、失敗から学ぶこともある。

■1996年の韓国にて

 中村俊輔がまだユース代表だった頃の、古~いお話です。

 1996年の10月、韓国でアジアユース選手権大会(現U-20アジアカップ)が開催されました。翌1997年にマレーシアで開かれるワールドユース選手権大会(現U-20ワールドカップ)の出場権を懸けた大会です。

 会場は韓国の首都ソウルと近郊の水原(スウォン)の2都市。ソウルでは東大門(トンデムン)運動場が使用されました。

 東大門は、今はもう取り壊されてしまいましたが、もともとは日本統治時代の1925年に当時はまだ皇太子だった昭和天皇の結婚を祝って日本が建設したスタジアムで、1980年代にソウル市内を流れる大河、漢江(ハンガン)の南岸、蚕室(チャムシル)にオリンピック競技場が完成するまではソウル最大のスタジアムで、1988年のソウル・オリンピックのサッカー会場としても使われました(現在も、スポーツ関係の資料を展示した記念館が設置されており、モニュメントとしてスタジアムの照明塔が1基残されています)。

 一方、水原の会場は水原総合運動場。1970年代に建設されたごく普通の陸上競技場でした。

■熱々の水餃子

 僕は東大門のそばのホテルに泊まって、そこから水原まで通うことにしました。

 東大門地区は衣料品や靴の市場が並ぶソウルの繁華街の一つ。東大門駅から地下鉄1号線に乗れば、そのまま国鉄に乗り入れているので水原まで乗り換えなしで行くことができるのです。スタジアムに行くには水原駅の一つ手前の華西(ファソ)駅で下りて20分ほど歩きます(ソウル市内から競技場の前まで行くバスもありますが……)。

 大会は10月17日から31日まで開かれたのですが、まだ10月というのにとにかく寒かったという記憶が残っています。たとえば、10月26日に日本がインドと戦った日は、17時のキックオフ時点で気温は5度でした。もちろん、夜になるとさらに冷え込んできます。

 そもそも、韓国の冬の寒さは日本の冬とは一味違います。空気が本当に冷たくて、足の先からしんしんと冷えてくるのです。

 水原での試合の後に、スタジアムから華西駅までの道のなんと寒かったことか。当時は、周囲には何もないようなところでした。そして、駅前の店で食べた熱々のマントゥ(水餃子)の美味しさが忘れられません。

■豪華なU-19の面々

 山本昌邦監督率いるU-19日本代表のメンバーは、今から思うと本当に豪華でした。

 GKは小針清允。スリーバックが戸田和幸、宮本恒靖、古賀正紘。右のウィングバックに廣山望、左が城定信次。MFが明神智和と山口智。トップ下に中村俊輔。ツートップが柳沢敦と吉田孝行……。

 その後、日本代表の主力としてワールドカップで活躍された人も多いですし、現在もさまざまな形でご活躍されている方々ばかりです。

 しかし、日本はまだJリーグが始まってすぐの時代でした。

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