蹴球放浪家・後藤健生は、サッカーを求めて世界中をさまよいながら、多くを学んでいる。時には、失敗から学ぶこともある。■ア…
蹴球放浪家・後藤健生は、サッカーを求めて世界中をさまよいながら、多くを学んでいる。時には、失敗から学ぶこともある。
■アジアをなんとか突破
アジア予選を勝ち抜いてワールドユースに参加したのは、その前の1995年カタール大会が初めて。中田英寿がいたチームがベスト8に進出して準々決勝でブラジルに敗れました(その他、日本開催だった1979年大会にも開催国枠で出場しています)。
1996年にはU-23日本代表がアトランタ・オリンピックに出場して初戦でブラジルを倒す“マイアミの奇跡”を起こしました。しかし、フル代表のワールドカップ初出場決定は、翌1997年のアジア予選を待たなくてはなりません。
「アジア予選などは絶対に突破できる」といった確信を持てる時代ではなかったのです。
実際、この大会でも日本はグループリーグで中国に敗れ、B組2位で準決勝に進出。準決勝では韓国に敗れ、3位決定戦でもPK戦の末にアラブ首長国連邦(UAE)に敗れて、なんとか世界大会への切符は手にしたものの4位に終わりました。
■ソウルの飲み屋にて
そんなある夜の話です。
やはり寒い夜でした。日本から韓国を訪れたジャーナリストやカメラマン仲間と連れだって、ソウルの飲み屋に行って飲んでいたのです。韓国は、まさに酒飲みにとっては天国のようなところ。麦酒(ビール)や焼酎をしこたま飲んですっかり酔っ払ってしまいました。
店内は、あちこちで大声を上げる人がいてワァワァという騒ぎです。当然、僕たち日本人のテーブルも大声になっていきました。そして、話題はなぜか北朝鮮の話になっていったのです。
1948年に建国された韓国(大韓民国)は1950年6月から53年まで北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)と激しい戦争を戦いました。そして、韓国では1961年に朴正熙(パク・チョンヒ)将軍がクーデタを起こして以来長く軍事政権の時代が続いていました。1987年に行われた民主的な大統領選挙に当選した盧泰愚(ノ・テウ)大統領もやはり軍人出身でした。野党政治家の金泳三(キム・ヨンサム)氏が大統領に就任したのは、1993年のことでした。
一方、北朝鮮では1994年のアメリカ・ワールドカップの最中に建国の父である金日成(キム・イルソン)国家主席が亡くなって、息子の金正日(キム・ジョンイル)総書記が権力を握ったばかりの頃でした。
韓国は1990年にソ連(ソビエト連邦)と、1992年に中国とようやく国交を樹立したものの、1996年といえばまだまだ北朝鮮とは激しい対立を続けていた時代です。1953年に停戦協定が発効したものの、今でも法律的には両国は戦争状態にあります。
■静寂に包まれる店内
酔っぱらい仲間の会話はどんどん発展していきました。そして、僕が北朝鮮の国営放送アナウンサーの物真似をやったのです。
あの、独特の抑揚をつけて指導部を称揚する李春姫(リ・チュニ)という女性アナウンサーは日本でも最近はおなじみですよね。
1974年に朝鮮中央テレビのアナウンサーとしてデビュー。以後、指導者の死去や国家的重大発表などのときには必ず登場します。「労働英雄」の称号を与えられ、昨年は「平壌(ピョンヤン)中心部を流れる普通江(ポトンガン)の畔にある高級住宅が与えられた」と報じられて話題になりました。
さて、僕の失敗はその物真似を大声でやってしまったことです。
「ウィデハンスリョンニム、キムイルソンドンチゲソヌン……」(偉大な首領さま金日成同士におかれましては……)
一瞬のうちに、店内は静寂に包まれました。
「マズッ」
さっさと支払いを済ませて、大急ぎで店を後にしました。