連載『藤澤五月のスキップライフ』7投目:初めての日本選手権、初めてのひとり暮らしロコ・ソラーレ藤澤五月の半生、"思考"に迫る連載『スキップライフ』。今回は、中部電力入りし、初めて日本選手権に挑んだ時のことを振り返る――。【日本代表チームとの…

連載『藤澤五月のスキップライフ』
7投目:初めての日本選手権、初めてのひとり暮らし

ロコ・ソラーレ藤澤五月の半生、"思考"に迫る連載『スキップライフ』。今回は、中部電力入りし、初めて日本選手権に挑んだ時のことを振り返る――。



【日本代表チームとの対戦で感じたこと】

 初めての日本選手権は18歳の時でした。2010年、常呂町のカーリングホールでの大会です。

 当時、私は高校3年生でしたが、すでに入社が決まっていた中部電力の選手として、美余ちゃん(市川/現解説者)、絵美ちゃん(清水/現中部電力マネージャー)、(佐藤)美幸ちゃんと出場しました。

 私たちは予選リーグを7勝1敗の2位で抜けているのですが、その1敗は1カ月前にバンクーバー五輪を戦って帰国したばかりのチーム青森でした。

 リードに琴美ちゃん(石崎/現ロコ・ソラーレ)がいて、セカンドに麻里ちゃん(本橋/現ロコ・ステラ)、サードが杏菜ちゃん(近江谷/現フォルティウス)、スキップが萌絵ちゃん(目黒/現姓:金村)というメンバーでした。コーチには晋くん(阿部晋也/現コンサドーレ)もいましたが、その時、話せるのは晋くんくらいで、琴美ちゃんとも、麻里ちゃんとも、まだ言葉すらかわしたことがない時期だったと思います。

 日本代表チームとの対戦も初めてでしたが、当然「勝ちたい」と思って挑んでいました。でも、ハウス内になるべく石をためる展開にしてプレッシャーをかけているつもりが、サラッとかわされて、思いどおりのスコアにならない。

 特にスキップの萌絵ちゃんがすごく上手で、キーショットはほとんど決めていた印象があります。完敗でした。プレーオフでも勝てず、最終的には私たちは3位という結果に終わりました。

 5歳でカーリングを始めて、負けず嫌いで根拠のない自信を持ちながら練習や試合を重ねてきたそれまでの競技人生で、負けることもたくさんありましたが、「これはちょっと歯が立たない。勝てないな」と感じたことは正直、ありませんでした。

 それがこの時に、「日本選手権で優勝するのは簡単ではないぞ」と痛感したこと、そして当時はまだジュニア世代で、ジュニアの日本選手権も3位だったので、表彰式後に氷上でインタビューを受けながら「今年はジュニアも、日本選手権も3位かぁ、微妙だな」とぼんやり考えていたのを覚えています。

【浅間山の美しい姿を見て力をもらった】

 高校を卒業して、3月末に長野県に引っ越しました。

 私は佐久地区の営業所の配属だったので、千曲川のそばのアパートを借りました。人生初のひとり暮らしです。

 両親が引っ越しを手伝いにきてくれたのですが、ひととおりのことを済ませて帰ってしまうと、部屋はとても静かでした。軽自動車もテレビも購入済だったのですが、まだ届いていなくて退屈で、なぜかその時に「本当にひとり暮らしをするんだ」と実感した記憶があります。

 実際に生活がはじまると、周囲は田んぼだらけだったので、春から夏にかけては蛙がず~っと鳴いていて、慣れるまではとにかくうるさくて......。ある朝、起きてから窓を開けようとしたら、ガラスにでっかい蛙が張りついていて絶叫したこともあります。

 冬は想像以上に寒かったです。北海道の住宅や物件って断熱技術が高いのか、とても温かいんです。それに比べて、私が住んでいたアパートがそうだっただけかもしれませんが、特に冬は予想よりかなり寒かったです。台所でオリーブオイルが凍っていて、「冷凍庫以外でモノが凍ることがあるのか!?」という驚きの初体験をしました。

 そんなひとり暮らし1年目だったので、それまでは実家暮らしでちょっと虫が出たら半泣きで母を呼んでいた私でも、ちょっとの虫くらいでは動じないくらいタフにはなった気がします。

 そして、そういったことを経験するたびに、「ああ、ここは北海道ではないんだな」と感じつつも、「自分で選んだ道なんだから」と自分に言い聞かせて新生活と向き合っていました。

 もちろん寂しい気持ちはあって、あれがホームシックなのかはよくわかりませんが、そんな時、私はいつも浅間山を眺めていました。浅間山ってシルエットが綺麗で、雲がかかっている時も、水蒸気を噴き出している時もカッコいいのですが、やっぱり快晴の日に見る姿が壮観でした。青空と茶色い山肌と、山頂付近の雪がすべて映えた時の山影は本当に美しく、何百回も力をもらいました。

 私の生まれ育った北見は盆地なので、地域の象徴みたいな山はありません。だから毎日、浅間山を見られるのがうれしかったですし、今でも大会や合宿、プライベートで軽井沢に行った時に浅間山を見ると、「おお、軽井沢に帰ってきたな~」と実感します。

 引っ越し当初は不安もあったけれど、今では"第二の故郷"として、長野県、軽井沢町があるということはとても幸せなことだと思っています。



「当時の部屋から見えた5月の連休に行なわれる『佐久バルーンフェスティバル』も楽しみでした」(藤澤五月)。写真:本人提供

TOMIE●ヘアメイク hair&make-up by TOMIE
本多仁美●スタイリング styling by Honda Hitomi
衣装協力/Kastane、RANDA、CLOUDY

藤澤五月(ふじさわ・さつき)
1991年5月24日生まれ。北海道北見市出身。高校卒業後、中部電力入り。日本選手権4連覇(2011年~2014年)を果たすも、ソチ五輪出場は叶わなかった。2015年、ロコ・ソラーレに加入。2016年世界選手権で準優勝。2018年平昌五輪で銅メダル、2022年北京五輪で銀メダルを獲得した。趣味はゴルフ。