1992年アルベールビル五輪銀メダリストの伊藤みどりが、国際スケート連盟公認「国際アダルト競技会」(2023年5月、ドイツ)に出場し、アーティスティック部門で優勝を果たした。 プログラムに入れたジャンプは1回転ループのみ。かつてトリプルア…

 1992年アルベールビル五輪銀メダリストの伊藤みどりが、国際スケート連盟公認「国際アダルト競技会」(2023年5月、ドイツ)に出場し、アーティスティック部門で優勝を果たした。

 プログラムに入れたジャンプは1回転ループのみ。かつてトリプルアクセルを女子選手として世界で初めて跳んだ「ジャンプの申し子」が53歳を迎えた今、つかんだ境地とは。(記事の最後に動画あり)


5月に開かれたフィギュアスケートの

「国際アダルト競技会」で優勝した伊藤みどり

* * *

●「もう一度、滑りたい」

「またドイツに行ってみようかな。あのアルプスの山々と、国際アダルト競技会の温かい空気、みんなが頑張る姿を見たい。私ももう一度、あの仲間と一緒に滑りたい」

 今年1月、伊藤は少女のような胸の高鳴りを覚えていた。



競技会はドイツ・オーベルストドルフのリンクで開催された

 コロナ禍の3年間、ほとんどスケートをせずに家にこもっていたことで、現役時代の古傷の痛みが消えていた。地元・北九州市のリンクで練習を再開すると、体はなまっていても、痛みがないぶん、滑ることそのものが楽しい。シングルアクセルを何度か跳ぶうちに、競技会で再び滑りたくなったのだ。

 国際アダルト競技会は、国際スケート連盟公認の、大人のスケーターのための大会。年齢規定は28歳以上で、上限はないが80代の参加者もいる。元選手も趣味レベルのスケーターも、お互いの努力をたたえ合う。2005年に始まってから規模は年々拡大し、2023年は過去最高の700人がエントリーした。

 伊藤自身は41歳だった2011年から参加し、今回が6度目。しかしこれまでと状況は違った。それは「アクセルジャンプ」の存在だ。

 競技会の種目は2つ。技ひとつひとつを採点される「フリースケーティング」と、アクセルジャンプは許可されておらず演技構成点(PCS)だけで競う「アーティスティック」がある。伊藤はそのうち「アーティスティック」を選んだのだ。


現地入りし公式練習に臨む伊藤

「ダブルアクセル」が跳べなくなった葛藤

 本来、トリプルアクセルを代名詞としてきた伊藤にとって、「アクセル」は自分の人生で切り離せないものだ。

「唯一、前向きに踏み切るジャンプ。他のジャンプとは違いますし、私の場合はスピードを使って前に大きく飛び出していく。私はアクセルを跳ぶとスケートそのものの調子が上がっていくので、ウォーミングアップでもあるし、一番見せたい技でもあります」



今回は代名詞であるアクセルジャンプを

 それは人生の節目にもなってきた。32歳でプロスケーターを引退するまでトリプルアクセルを跳び続け、41歳からは、質の高いダブルアクセルをこの大会で跳ぶことがモチベーションだった。

 しかし49歳の時にダブルアクセルを跳べなくなってからは、自身と葛藤した。

「ダブルアクセルを跳べないなら、もう滑らない、と思った時期もありました。でも50代になって、ダブルアクセルを跳ばなければいけないという強い気持ちが、『跳べたらいいな』くらいになって、自分を受け入れられるようになったんです。少しラクに生きられるようになったのかなと思います。今はただ、滑る楽しさを感じて、それを表現できたらいいなと思えるようになりました」

●旧知の振付師、ピアニストと作品づくり

「アーティスティック」を選んだ伊藤は、滑りや表現を追求しようと考え、旧知のピアニスト、福間洸太朗さんに編曲を依頼。『マイウェイ』と『愛の讃歌』のシャンソンメドレーを試合用の2分10秒で演奏してもらった。

 さらに、現役時代から交流があるデイビッド・ウィルソンが、リモートでの振り付けを買って出てくれた。

 曲を聞いたデイビッドは、直感的にこう感じた。

「50歳を迎えたみどりにとって、まさに今、滑るにふさわしい曲だと思いました。みどりのスケート人生への誇りと、スケートへの愛を、そのまま表現できる曲です。それに、みどりはジャンプが有名だけれど、実際にはスピード感あるスケーティングが魅力。その魅力が引き立つように、リンクを大きく使い、氷との一体感を伝えられるものにしました」

 仕上がったプログラムでは、ジャンプは1回転ループのみ。スピード感のあるランジ、イーグル、イナバウアーなど、滑りそのものをアピールするものだった。

●「私の人生と喜びを、みんなに届けたい」

 5月14日に日本を出発。現地入りして最初の公式練習では、40代の頃に競い合ったアダルトスケーターたちと、お互いの健康を喜びあった。



アダルトスケーターとして伊藤の戦友であるナタリー・シェイビー(60歳、米国)

 現地入り後、少しずつ調子が上がっていき、試合2日前には、30代のスケーターに負けじとダブルアクセルに挑戦もした。2回転ほどで着氷してしまったが、久しぶりに回転軸を限界まで締める感覚を楽しんだ。

 迎えた5月20日の本番。「マスターエリート(元選手)」の「49〜68歳」部門は4人がエントリーし、伊藤の滑走順は1番。試合直前の4分間練習では、高さのあるシングルアクセルを2本披露した。

「なかなか身体が動いてくれなかったので、アクセルをウォーミングアップに跳んで。それがうまくいって、調子が上がっていきました」

 本番は、丁寧にひとつひとつの動きを確認しながら滑っていく。前半の『マイウェイ』では、リンクの端から端まで一気に滑り抜くランジで、「私の人生を表現した」(伊藤)。後半、『愛の讃歌』になってからは、滑る心地よさを伝えようと、柔らかな笑顔をたたえた。



 最後は、キレ味のよいフライングキャメルスピンを決めてフィニッシュ。最後は両手を上に上げる予定だったが、思わず、観客席に両手を差し伸べるポーズをとった。

「私の人生と喜びを、みんなに届けたいという気持ちで、とっさに振り付けを変えてしまいました(笑)」

 得点は22.08点で、コンポジション、プレゼンテーション、スケート技術すべて7点台。現役のトップ選手に迫る演技構成点をマークしての優勝だった。

「ドイツに来てからの6日間、たくさんのカテゴリーを見学して応援しました。みんな、それぞれのカテゴリーで、自分なりの精一杯の演技をして、スケートを楽しんでいる。みんなからパワーをもらいました。私も、自分を信じて滑り切ることができたので満足です。ドイツに来てよかった!」



 アクセルを入れない演技で、自分の今を伝える。もちろんジャンプは好きだけれど、滑ることはもっと好き。伊藤みどり、53歳。これからも、スケートを始めたばかりの少女のような心で、真っ白なリンクにトレースを描いていく。

(文中一部敬称略)

【プロフィール】
伊藤みどり いとう・みどり 
1969年、愛知県生まれ。6歳からフィギュアスケートの競技会への参加を開始し、小学4年の時、全日本ジュニア選手権で優勝し、シニアの全日本選手権で3位。1985年の全日本選手権で初優勝し、以後8連覇。1988年カルガリー五輪で5位入賞。同年には女子選手として初めてトリプルアクセルを成功させる。1989年、世界選手権で日本人初の金メダルを獲得。1992年アルベールビル五輪で銀メダルを獲得後、プロスケーターに転向。その後、アマチュアに復帰し1996年の全日本選手権で9回目の優勝を果たしたのち引退。現在は、指導や普及に努めている。