93歳のフィギュアスケーター、浅野千江子さん●出合いは小学4年生、満州で 5月下旬、この日もアイスリンク仙台には真剣な表情で練習に取り組む彼女の姿があった。93歳の今もフィギュアスケートを続けている浅野千江子さんだ。その年齢とはまるで思えな…



93歳のフィギュアスケーター、浅野千江子さん

●出合いは小学4年生、満州で

 5月下旬、この日もアイスリンク仙台には真剣な表情で練習に取り組む彼女の姿があった。93歳の今もフィギュアスケートを続けている浅野千江子さんだ。その年齢とはまるで思えない軽やかな動きで、リンクいっぱいにスイスイと滑っていた。

「こんな歳までできるとは自分でも思わなかったですよ。体が元気で風邪もひかない。スケートを続けてきたおかげですね。スケートだけはやめられません」

 インストラクターとの30分間のレッスンを終えたあと、浅野さんは声を弾ませてそう言った。

 火曜と金曜の週2回、地下鉄とバスを乗り継ぎ片道約1時間30分をかけて自宅からリンクへ通っている。昨年6月には、愛好家が参加する競技会「マスターズチャレンジカップ」に、指導者とペアを組んで出場。浅野さんは大会最高齢賞を受賞した。

 浅野さんがスケートに出合ったのは今から80年以上さかのぼる。軍人だった父親が当時の満州へ赴任となり、家族で移り住んだ時のことだった。

「満州では冬の遊びと言ったらスケート。小学4年生の時、凍った校庭で友達のスケート靴を借りて滑ったのが初めてでした。とっても楽しかった。その時はスピードスケートという感じでしたが、男の子にも負けまいと一生懸命やって。私、けっこう速かったんですよ」



アイスリンク仙台で先生とレッスンをする浅野さん

●スケートは心の支え

 以来、浅野さんは氷上を滑る楽しさにたちまち魅了されていった。現在の中学校にあたる女学校に進むと、父親に靴を買ってもらいフィギュアスケートに取り組んだ。

 だが、満州での暮らしは厳しく、両親に加え、きょうだいの多くも亡くなった。浅野さんは満州で知り合った日本人男性と結婚し、ひとり娘を出産。終戦後、仙台に戻ってからも冬季は氷上へ出かけた。新たな家族とともに、スケートの存在が心の支えとなっていたという。

「思い返せば、いろんな経験をしてますね、私。そんななかでも、スケートだけはずっと続けました。主人が靴を買ってくれて、冬に仙台の五色沼とか与兵衛沼が凍るとひとりで滑りに出かけたんです」



生活環境が変わってもスケートはずっと続けてきた

●68歳で大会デビュー

 自身でスケートを続けてきた浅野さんに転機が訪れたのは50歳。夫の仕事の関係で東京に暮らしていた時、フィギュアスケート教室の新聞広告を見つけた。佐藤信夫氏や都築章一郎氏といった著名なコーチが参加するレッスンだった。

「覚えているのは、私、申し込みで2歳サバを読んだんですよ。本当は50歳なのに48歳に。なんでかわかんないですけど50歳って言いたくなかった。今ではもう90歳をすぎて平気で自分の年齢を言えるんですけどね(笑)」



ハキハキとした口調でインタビューに答える浅野さん

 教室に足繁く通い技術を身につけていった浅野さんは、68歳でマスターズチャレンジカップに初出場。その後、数多くの大会に出場してきた。

「もうちょっと上にいけるな、うまくなれるなと思ってバッジテストを受けて級を取ったり、先生とアイスダンスの課題に取り組んだりもしました。この年齢でここまでできる人はめったにいないって、褒めてもらえたんですよ」



マスターズチャレンジカップに出場した際の写真

 70代で夫が病に倒れ、仙台へ再び戻った。夫は生前、いつも浅野さんの一番のサポーターだったそうだ。

「主人がいたからスケートを続けられたんです。最期は肺癌だったんですが、入院している時にお見舞いへ行くと、『いいから、スケートいけ』っていつも言ってくれました」

●長く続ける秘訣

 アイスリンク仙台へ通って20年ほど。練習の時間以外にも、仲間との交流も楽しんでいる。実際にレッスン後、浅野さんは顔馴染みの仲間と会話に花を咲かせていた。

「浅野さん、浅野さんって声をかけてくれてありがたいですよ。私はお菓子づくりをするんで、たまにリンクに持ってくるんですよ。マーマーレードケーキとかピロシキとか。みんなが喜んで食べてくれるのがうれしくて」

 一方で、浅野さんの自分のルーティーンを大切にする姿勢に長続きする秘訣があるようだ。

「でも私、レッスンが終わったらリンクに長居はしないんですよ。ささっと帰るの。バスの時間も決まってるし、夕飯の準備もしないといけないですし。あまり無理をしないことで今も続いているのかもしれませんね」

 浅野さんにこれからの目標を聞くと、ほほ笑みながらこう語った。

「今はあんまりそういうのはないの。大会も去年頑張ってもう終わりかなと。火曜と金曜にここへ通ってきて、先生に習ってまた帰る。それが楽しい、だから続ける。地下鉄で階段を上り下りして歩いて通ってるからか脚は丈夫ですよ。この歳まで続けてる人って他にいないんじゃないですかね。脚が元気なうちは続けたいです」

「さて、今日もスーパーマーケットに寄って帰らなきゃ」と言って、颯爽とリンクをあとにした浅野さん。彼女は、フィギュアスケートがある日常を深く愛していた。



20年ほど練習拠点にしているアイスリンク仙台にて

撮影協力/アイスリンク仙台