6月、埼玉県の利根川上流域を会場とした「全日本学生選手権 第29回 全日本学生個人ロードタイムトライアル自転車競技大会」にひとりのパラリンピアンが参戦していた。リオの銀メダルを前に、東京パラに向けて語ってくれた藤田征樹選手 藤田征樹(…

 6月、埼玉県の利根川上流域を会場とした「全日本学生選手権 第29回 全日本学生個人ロードタイムトライアル自転車競技大会」にひとりのパラリンピアンが参戦していた。


リオの銀メダルを前に、東京パラに向けて語ってくれた藤田征樹選手

 藤田征樹(日立建機株式会社/チームチェブロ)だ。藤田は義足を活用した日本人として全競技を通じて初めてパラリンピックでメダルを獲得した選手である。北京、ロンドン、リオとパラリンピックの大舞台を経験し、3大会連続でメダルを勝ち取っている(北京/1000mタイムトライアル(TT)で銀メダル、3km個人追い抜きで銀、ロードTTで銅。ロンドン/ロードTTで銅、リオ/ロードTTで銀)。

 ただ、パラリンピックでは銀、銅と素晴らしい成績を上げているものの、金メダル獲得までには至っていない。以前、他のメディアに「勝ち(金メダル)以外は負け」と語った藤田は、自転車がチャンピオンスポーツであるがゆえ、2番手(銀)、3番手(銅)では負けになるのだとシビアな見解を話してくれた。

「勝つ」つもりで臨んだリオは、誇るべき結果ではあったものの2番手に終わった。その状況で、次の2020東京への挑戦はあるのか――。そして、まだ手にしていないメダル、”金”へのこだわりとは――。いま、最も気になることを藤田征樹に聞いた。

「2020(東京パラリンピック)に向けて、障がい者スポーツにたくさんの注目をいただいています。リオの結果についても評価していただき、2020を控える今、スポーツやパラリンピックのあり方が注目されつつあるなかで、私が引き受けさせていただいていることも増えています」

 藤田は日立建機に勤めながら、自転車選手としてトレーニング、レースに励んでいるが、リオ大会以降、講演活動や取材などの対応も増えたという。パラリンピックでの活躍があってこその忙しさだ。

 北京、ロンドンでメダルを獲得し、リオでも銀メダルを獲得したことで本人の意思とは関係なく、周囲は次のパラリンピックを期待してしまう。ましてや自国開催である。現時点での注目度から考えても、3年後の東京の盛り上がりを想像すると、彼にかかる期待の”重み”が違う。

「単純に目指す、目指さないで決められたらいいのでしょうけど、そうじゃない部分がある。目指すという意思についても単純ではないですよね」

 インタビュー中の重苦しい雰囲気は、藤田の並々ならぬ決意と、それに伴う責任の重さを物語っている。それでも藤田は、東京パラリンピックを目指す意志を語ってくれた。彼が言う「単純ではない部分」とは何か。

「家族や会社をはじめ、いろんな人を巻き込むことになります。その上で、私以上に我慢してもらったり、苦労をかけることがあると思います。独り身で若ければ、単純に『よし!やるぞ!』となるかもしれないけど(笑)。今、4回目のパラリンピックを目指す上で、気軽に『よし!やるぞ』とはならなくなってきたなと。家族や周りの皆さんに楽しみにしてもらうことが、とても大切です。と言ってもまだ”方針”ですから。出場できるという保証も全くないし、確証もない。ただ、それに向かって競技活動をやっていきます」

 2020年までの残りの3年をどう強化に当てるのか。言うまでもなく、ここの時間の使い方がカギとなる。

「チャレンジするとなると、レースまでの日数が決まっていますし、大目標や中期計画を立て始めている。今のままでは出場するだけで終わってしまうかもしれないし、それ以上の結果を望んで、そこで優勝できるかどうかは、これからの取り組み方次第です」

「2020年はまずは出場すること」と言葉を慎重に選びながら受け答えしていた藤田は時折、アスリートとしてのプライドを覗かせた。「結果を残したいか」との問いにはあっさりと、そして力強く「それがお役目」と言ってのけた。

「そういう風になれるように頑張っていきたい。野望はね、持っています(笑)」

 発せられた「野望」というたったひとつの言葉が、自転車選手・藤田征樹が競技人生で味わった苦労、自信、向上心など藤田の歴史そのものを想起させる。

 そんな藤田には強く残っている言葉があるという。

「ロンドンの前の話になるんですけど、ロンドンに向けて準備していく中で、自転車のプロの選手から叱咤激励をいただきました。『もっと代表の自覚を持って、トレーニングや生活などをもっと真摯にやっていきなさい』。長くトップのプロ選手として活躍された方の言葉です。

 自分なりにやっていても、厳しい世界の方から、『まだまだ甘い』という見方、厳しい言葉をかけていただいた。正直、自分も北京でメダルを獲って、自分なりにわからない中で自転車の経験を積んで、選手としていっぱしにやっていこう、ロンドンを目指そう、と言っている中でなかなか成績が振るっていなかった。

 そこでしっかりやって、日本代表、メダリストの自覚やプライドをもっともっと持っていかないといけないよ、という言葉は今でも自分のためになっている。その言葉を十分満たしているかどうか、まだまだ甘いと思うんですけども、選手としてしっかりやりたいという気持ちはあります」

 2009年トラック世界選手権では1000mタイムトライアル優勝(LC3)、3km個人追い抜き2位(LC3)と好功績を残したが、2010年に行なわれたクラス分け変更以降、ライバルのレベルが上がり、表彰台から遠のいていた。そんなときにトップの自転車選手からの叱咤があったからこそ、ロンドンでのメダル獲得、そしてリオまでの継続というように、より高いレベルに自分を押し上げることができたという。

 藤田には”自転車選手”としてブレない目標がある。

「どれだけ速くなれるか、強くなれるか」

 出場するレース全てにおいてどうすれば勝てるか、常に追求する藤田の視線はパラリンピック選手の枠を超えた別次元にも向いている。

「さらに上のレースにも挑戦していきたい。オリンピックは難しいけど、全日本選手権や国体も視野に入れていきたい」

 藤田が言う全日本選手権、国体は健常者の大会である。健常者のレースでも野望を持って臨んでいるという。

 それゆえ、冒頭で触れた「全日本学生選手権 第29回 全日本学生個人ロードタイムトライアル自転車競技大会」の出場である。5年前から普及の部で出場しており昨年は優勝。今年は大学トップの選手が参戦する※選手権の部(オープン出場)にエントリーした。

※普及の部よりもレベルが高く、日本国内競技登録者であれば、日本学生自転車競技連盟が認めた場合、オープン参加が可能となる。

 結果は19位。「上位の選手はやはり強く、現時点での力の差が出た。全く敵わないわけではなく、これからもどんどん詰めていける差だと思っています」

「パラリンピック選手の藤田」から「自転車選手の藤田」として多くの人に見てもらいたいという。別次元の高みを目指すからこそ、東京での”野望実現”が現実味を帯びている気がしてならない。

【プロフィール】
藤田征樹(ふじた まさき)
1985年1月生まれ。北海道稚内市出身。
高校まで陸上競技を行ない、大学入学後はトライアスロン部に所属したが、事故により両下脚を切断した。その2年後には、義足でトライアスロン大会に参加し、見事完走。トライアスロン強化の一環として出場した自転車の大会がきっかけとなり、本格的に自転車競技に取り組み始めた。パラリンピック3大会連続メダル獲得。2009年、2015年に世界選手権優勝。