プロレーサーを目指していた井谷俊介が実際に陸上競技のプロアスリートとして成長を遂げたのは、事故で足を切断してからだった。◆【前編】「世界一不幸な自分」からの復活、足を失ったからこそ真摯に向き合える競技生活 井谷俊介陸上競技のアスリートとして…
プロレーサーを目指していた井谷俊介が実際に陸上競技のプロアスリートとして成長を遂げたのは、事故で足を切断してからだった。
◆【前編】「世界一不幸な自分」からの復活、足を失ったからこそ真摯に向き合える競技生活 井谷俊介
陸上競技のアスリートとしての井谷は、カーレーシングに本気で取り組んでいなければ誕生することもなく、そのカーレーシングに本気で取り組むスタートには足の切断があった。そのどれもがターニング・ポイントとなり、パラアスリート井谷が活躍する今がある。
井谷俊介(いたに・しゅんすけ)
●パラ陸上選手 1995年4月2日三重県出身。SMBC日興証券株式会社所属。競技種目:100m・200m。競技クラス:T64 (膝から下の切断)。20歳で交通事故により右脚の膝から下を切断し義足になる。その後、義足で走る楽しさを知りパラリンピックを目指すように。レーサーの脇阪寿一氏、仲田健トレーナーに出会い本格的に競技を開始。2018年には競技は始めわずか10カ月でアジア大会を優勝。2019年 世界パラ陸上では日本人初の100m決勝に進出。200mでも同じく決勝へ。24年のパリパラリンピックを目指す。
■「NAGASEカップ」で感じた刺激、垣根を越えた真剣勝負と可能性
世界パラ陸上競技連盟(WPA=World Para Athletics)公認の「NAGASEカップ」は、パラアスリートのみに向けられた大会ではない。障害を持たない健常のアスリートも同時に参加可能な、「すべてのアスリート」に向けて開催された新規の競技大会だ。
井谷にとって2022年、初開催となった「WPA公認 NAGASEカップ パラ陸上競技大会」は魅力的に映ったという。
「実は、友人・知人から『応援しに行くよ』と声をかけられても『来なくていいよ』と返しているんです。実際に会場に観に来ても面白くないからです。それならYouTubeで観戦してもらって、大会の後“お疲れ様会”とかで、その感想を聞かせてもらったほうが有意義だと思います」と、井谷。
陸上競技大会の会場に足を運んだことのある方はどれほどいるだろうか。スタジアムでは様々な競技が同時進行で行われる。トラックで短距離走が行われている中、中央では高跳びなどが実施され、それらの競技の模様は場内アナウンスで出場選手の名前が呼ばれ、記録が発表されるのみだ。実際、観客が興味を持っていたとしても、どこでどの競技が行われ、誰がどこにいるのかが非常に把握しにくい。陸上競技に取り組んでいる関係者、もしくは競技者の家族以外に興味を持ってもらうのはかなり難しい。世界大会でさえも、演出が加えられたテレビ中継のほうが素人にとってはわかりやすいほどだ。
「陸上の場合、本当に記録会という感じで淡々と進みます。名前を呼ばれて、よーいドンで走って、タイムと順位が読み上げられておしまい。エンターテインメント性はありません。競技が終われば、選手もそのまま流れ解散のように帰ってしまう。それでは観に来てもらうのは正直つらいです。しかし、NAGASEカップでは会場にBGMが流れたり、競技の合間に映像が流れたり……楽しませようという工夫が感じられ、参加する側も観戦する側も楽しめると思います。他の大会もこうあってほしいと感じます」と井谷は語る。
また、パラの競技会は障害の度合いによって非常に細かくクラス分けされている。すると、国内で戦っている限り毎回似たようなメンバーでの戦いとなり、目新しさがないという。また、出場者も「パラアスリート」に限定されてもいるため、パラスポーツに興味がない方々にとっては大会そのものを知ってもらえる機会さえない。
しかし健常のアスリートもパラアスリートも合同で参加可能な同大会については、同じ競技を目指している健常のアスリートにパラを知ってもらうきっかけだけではなく、パラアスリートの競技力を肌で感じてもらうチャンスでもある。パラアスリートにとっても刺激になる。
「義足の場合、短距離ではどうしてもスタートで離されるケースが多いんです。でも、その後で加速して行くパターンが多いので、一緒に走ったアスリートには『(義足の選手が)後半にこんなに加速するなんて知らなかった』と驚かれることもありました」と、パラアスリートの競技力を認知してもらう結果となっていると力説する。
■パラアスリートの「スゴさ」を体感
もちろん、アスリートに声援を送るために会場を訪れた観客にもパラ陸上競技のおもしろさ、パラアスリートの「スゴさ」を体感してもらえるきっかけともなっている。
「ダイバーシティ(多様性)、インクルーシブ(包括的)社会を具現化しましょうといくらキャンペーンを打っても、押しつけがましく聞こえて耳を傾けてくれる方はごく少数派だと思います。それよりも、こうした健常・パラが混走となる競技会を積み重ね、体験してもらうことが、その啓蒙につながる最良の手法だと思います」と、井谷は語る。
「共生社会」という旗を振るだけでは、ほとんどの方々が自分事として捉えることは難しい。「障害」は自身とは無関係だと思い込み、日々を過ごしている人々がほとんどだろう。しかし、井谷のように、ある日突然事故に巻き込まれる可能性は誰にでもある、障害のある人、ない人、お互いに知らないことが多いが故に「無関係」と錯覚してしまうだけだ。NAGASEカップは単なる陸上大会ではなく、健常とパラの垣根を越えて、選手だけでなく観客を含めた全員がお互いを“知る”場だ。何かを知ったとき、今までとは違う“景色”がそこにあるかもしれない。
「純粋に「走りたいから、スポーツを楽しみたいから」という目的で集まった方々が、NAGASEカップのような大会を通じて障害ってなんだろう、パラってなんだろう、と考えるきっかけになれば、自然と共生社会の実現に近づいていくんじゃないかなと思います。こういった大会や機会が少しずつ増えていってほしいし、スポーツを通じて多様性を認めるという動きが広まってほしいと思います」。
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提供●NAGASE CUP