東日本大震災の復興へ第一歩となった2011年4月23日の川崎戦。1点のビハインドを背負ったまま後半に突入した仙台は最後…

 東日本大震災の復興へ第一歩となった2011年4月23日の川崎戦。1点のビハインドを背負ったまま後半に突入した仙台は最後の最後まで絶対に勝利を諦めることはなかった。

 流れを変えた1つの節目が後半17分の中島裕希(現町田)の投入だ。アグレッシブにゴールに迫る点取屋が活力を与え、チームに勢いがついてくる。川崎の守備も固く、なかなかゴールをこじ開けられなかったが、後半28分、待望のシーンがついに訪れる。

 ペナルティエリア左手前で梁勇基とDFが交錯。こぼれたボールを赤嶺真吾(現岡山広報匿名大使)がタメて逆サイドに展開。ここに上がってきた太田吉彰(解説者)が迷うことなく右足を振り抜いた。シュートはスライディングで止めようとした横山知伸に当たってネットを揺らしたのだ。

「『何で入るんや』っていうゴール。普通だったら入らないシュートだった」と角田誠(現仙台アカデミーコーチ)も驚き半分に語っていたが、目に見えないものが乗り移った同点弾だった。

 そこから手倉森監督は疲労困憊だった太田らを下げ、斉藤大介(現京都普及部)、富田晋伍(現仙台クラブコミュニケーター)のボランチをダブルで投入。中盤の安定化を図るとともに、梁と関口の両ワイドの推進力を一段階高める策を講じた。これが当たり、試合の流れは仙台が傾いていく。川崎もジュニーニョらを送り出してきたが、ボランチからDFに下がった角田と鎌田のCBコンビがしっかり体を張って守り続けた。

■歴史的一戦を初めて90分間フル視聴

 そしてラスト3分というところで劇的逆転弾が生まれる。右CK付近の位置からのFK。名手・梁が蹴ったボールはファーで待ち構えていた鎌田へ。彼の打点の高いヘッドがネットを揺らし、スタジアムには耳をつんざくほどの大歓声が響き渡った。

「あの時は赤嶺さんのマークを俺がブロックしようとしていたんで、『ニアに行ってください。僕はファーで待ってます』と言いました。リャンさんのボールがメチャクチャよかったし、ホントに信頼できる人が蹴ってくれたボールなんで押し込むだけでした。ただ、今考えると、あんなに遠い位置からヘディングを叩くことはほとんどない。何か目に見えないものに突き動かされたゴールだったのかなと思います」と殊勲の鎌田は感極まった瞬間を振り返った。

 そしてタイムアップの笛。手倉森監督が号泣し、選手たちも歓喜の雄叫びを挙げる。ゴール裏の熱狂的サポーターも“ベーガールータ・セーンダーイ~”とひと際大きな声で合唱する。これほどまでにスタジアムに一体感と結束力を感じさせたゲームは過去になかったと言っても過言ではないだろう。

 昨年末に現役引退した鎌田はつい最近、歴史的一戦を初めて90分間フル視聴したという。
「内容的には川崎がしっかりボールをつないでいたし、仙台は耐える時間が長かったけど、球際や戦う姿勢、運動量を生かして前に行く姿勢といった部分では相手を上回ったのかなと思います。

 サッカーは技術・戦術がもちろん必要だけど、闘争心とかメンタル面、そして一体感がなければ勝てない。うまい人はいくらでもいるけど、やっぱりそういう部分が何よりも大事だと思うし、僕らの思いが多くの人に伝わったことが一番、嬉しいですね。

 僕自身のサッカー人生を振り返ってもあの川崎戦が一番だったし、あの試合に勝つためにプロサッカー選手をやってきたんじゃないかと思うくらい意味がある。今回、Jリーグ30年のベストマッチに選んでもらえて、本当に有難いと思っています」

■「僕らにはやるべきことがある」

 力を込める鎌田は今、品川CCの社会人選手とともに、下丸子シューターズというクラブで子供たちを教えている。川崎戦をリアルタイムでは見てない次世代に「サッカーの本質」を教える重要性を噛みしめながら、日々、グランドに立っているのだ。

「あの時のメンバーは自分の力を全て出し切ろうと思って長く現役で戦った選手が多いですし、今もサッカー界に還元しようと頑張っている。僕らにはやるべきことがある。それをこれからも地道に続けていきます」

 長い月日が経過しても、これだけ人々の魂を揺さぶるゲームはそうそうない。今一度、この名勝負を思い出すことが、Jリーグの存在価値を考える好機になればいい。

(取材・文/元川悦子)

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